神経質礼賛 2011.SDGsと森田療法
近頃、SDGsということが盛んに言われるようになってきた。持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)の略で、2001年に策定されたミレニアム開発目標の後継として2015年の国連サミットで加盟国の全会一致で採択されたものであり、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標とのことである。17のゴールと169のターゲットから構成されている。特に資源やエネルギーなどを無駄なく利用していくことが大きな骨子となっている。しかし、それは森田正馬先生の家では徹底的に行われていたことである。
山野井氏 私が入院中、ここのお家で、すべて物を大切になさる事に驚いた。顔を洗った水を、そのまま捨てずに、バケツにためて、盆栽にやったり、表へ打ち水にしたりする。米のとぎ水は、油のついた皿を洗う。反故紙は、六、七種に使い分け、全く用に立たぬものは、飯炊きの燃料にする。私もいつとはなしに、そんな傾向になり、家で紙くずで御飯を炊く、ヘッツイ(かまど)を買うと、二、三円かかるから、自分でこしらえた。決してガス代を節約するとかいう理屈でなく、ただ、物そのものがもったいなく、捨てるのが惜しいのである。水道なども、一円七十五銭と決まっていて、前にはどうせ、決まっているからと思って、ジャージャーやったが、今はその水をむだにするのがもったいないから、倹約にする。電灯でも、月決めで、決まっているけれども、入用のない時は消すという風になったのであります。
森田先生 私のところで、皆さんも御承知の通り、外来患者の住所姓名を書くのに、反故紙から撰り出したものを小さく切って使っている。ある病院では、金ぶちの紙を使っているとの事である。診察料は高くて、相当の体裁を張るべきところを、この反故紙を使うという事は、一般の人から見ると、はなはだ矛盾のように思われようけれども、今の山野井君のお話から想像しても、私には決してその間に矛盾はないのである。
(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.228)
水や紙の節約ばかりでなく、屎尿は畑の肥料として使った。森田先生が率先して肥桶を担いで見本を示すのだから、不潔恐怖の患者さんもやらざるを得なかった。飼っている鶏のエサは青物市場へ行って落ちているくず野菜を拾ってきて使うのだった。市場の労働者からは「いい若者が何やってるんだ」と嘲笑されることもあって、対人恐怖の患者さんにとっては辛いことだけれども、治療効果は抜群だった。まさに一石二鳥である。SDGsなどという難しい言葉を使わなくても森田療法では自然にSDGsになっていたのである。
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