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2022年8月25日 (木)

神経質礼賛 2019.漱石山房の人々

 毎日新聞の書評で目に付いた本があった。林原耕三著『漱石山房の人々』。最近、文庫本化されて講談社文芸文庫から出版されたものだ。書店では通常の講談社文庫とは別の棚に並んでいる。このシリーズの文庫のシンボルマークは羽を広げた鳥のようにも見えるし、コウモリのようにも見えるが、クジラなのだそうだ。となるとクジラの尾の部分をマークにしたのだろうか。題名を見ただけで、よほどの文学マニアでもないと買わないだろうな、というような本ばかりである。見つけて手に取ってみると文庫本の割に価格は2200円(税別)とお高くてちょっと躊躇する。あまり売れそうではないからこの価格もやむを得ないのだろう。それでも、あれば買おうと決めていたので購入する。
  牛込早稲田南町の漱石山房には若い弟子たちが出入りしていて著者はその一人であり、漱石晩年、明治40年から大正5年までの10年間、交流があった。夏目漱石は気難しい人で癇癪持ち、というイメージがあるが、著者が言うには「私はただの一度も先生から叱られたことがなかった」「あんな優しい人には二度と遭えないと信じている」とのことで、本の帯には「先生はどんな場合にも決して嘘の言えないひとでした」とある。著者は神経衰弱に悩み、学校を休み、学費を滞納していた。同じく神経衰弱に悩んでいたに漱石からすれば、同病相憐れむといったところかも知れない。漱石から林原の病状や試験の結果を心配する手紙が何通もあり、学費援助の話もある。かなり可愛がられていた若い弟子ということになるだろう。
  鏡子夫人からも可愛がられたが、ある事件を契機に山房への出入りが制限されることとなる。それは、鏡子夫人から依頼されて著者が自分用の名目で処方してもらった睡眠薬ヴェロナールを渡し、それは秘かに漱石の胃薬に入れられた。夫人からすれば漱石の神経衰弱がひどいから、というわけだが、極量のヴェロナールを知らずに飲まされていた漱石は執筆中に激しい眠気に襲われて何度も筆を落としたという。それを知った著者は鏡子夫人から再度の薬の要求には応じず、鏡子夫人と顔を合わせづらくなってしまったのだ。

  この時代、つまり森田正馬先生が巣鴨病院や根岸病院に勤務されていた頃は、抗精神病薬も抗うつ剤もなく、睡眠剤・鎮静剤としてヴェロナール(バルビタール)はあったが、副作用や依存性が強く、山房にも出入りしていた芥川龍之介もこの薬を常用してやがて自殺に至っている。森田先生は安易な睡眠薬の処方を戒めておられる。

  (自然良能を無視するの危険) 又、例へば不眠を訴へる患者に対して、多くの立派な医者が、之に徒らに、催眠剤を種々撰定して与へる事がある。而かも患者の不眠は、少しも良くはならない。この医者は単に不眠の治療といふ事にのみ捉はれて、其人間全体を見る事を忘れたがためである。其患者の毎日の生活状態を聞きたゞして見ると、豈に計らんや患者は、毎日・熟眠が出来ないといひながら、十二時間以上も臥褥し、五時間・七時間位も睡眠して居るのである。多くの医者は不思議にも、其患者の日常の生活状態や、何時に寝て・何時に起き・其間に如何に睡眠が障害されるか・といふ事を聞きたゞさないで、患者の訴ふるまゝに、不眠と承認して、之に催眠剤を与へるのである。(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.401)

 現代の睡眠薬ははるかに安全性が高くなっているが、できれば薬を使わないに越したことはない。

 

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コメント

四分休符 先生

先生も漱石に興味を持たれているのですね。
私もある時期、森田先生との関連があるかと思い、漱石の病跡について少しだけ調べていたことがあります。
ご承知のとおり、漱石は、鏡子夫人の手引きで森田先生の師匠である呉秀三教授の診察をうけているのですね。
鏡子夫人を診察していた尼子四郎医師の紹介ですが、尼子医師は森田先生と昵懇でしたのでなにかつながりがあるかと思ったのです。
森田先生は漱石に出会ったことも、彼の著書も読んでいないようですが、いかがでしょう。
ついでですが、尼子医師は診察した漱石について、どうもただの神経衰弱ではないようで、一種の精神病ではないかと鏡子夫人に告げていますね。

神経質流儀 様

 コメントいただきありがとうございます。

 かつて「夏目漱石の性格」(626話)を書いています。高良武久先生による見解もまとめてあります。漱石については統合失調症説・躁うつ病説がありますが、そう単純にいかないところが面白いです。今回買った本には著者と漱石・鏡子夫人・他のお弟子さんたちとの手紙やはがきのやりとりが載っていて興味深いものでした。コロナが収まったら、また漱石山房記念館(1556話)に行きたいです。

 森田先生と漱石の出会いはなかったであろうと思います。熊本の第五高等学校時代、帝国大学医学部進学のコースだったため、外国語は英語ではなくドイツ語であり、漱石から英語を学ぶチャンスはなかったようです。

四分休符 先生

コメントありがとうございました。

早速、「夏目漱石の性格」を拝読いたしました。大変参考になりました。
私も、『漱石山房の人々』を読んでみようかと思っています。早速アマゾンです。

以前に土居健郎先生の『漱石文学における「甘え」の研究』を読みましたが、これも楽しんで読みました。
「(創作活動に打ち込み)漱石は自己分析によって治癒に至った稀有な例」とあり、なるほどそういう見方もあるのかと思いました。とすると神経質性格濃厚かと。森田とはある面治療方法が異なりますが。

ありがとうございました。

神経質流儀 様

 コメントいただきありがとうございます。

 漱石自身の症状もさることながら、鏡子夫人のヒステリーもなかなかのものです。鏡子夫人が荒れている時には漱石は書斎に引きこもっていましたが、家の中で自由に過ごす「吾輩猫」の存在は漱石にとって大きな癒しとなっていたことと思います。

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