神経質礼賛 2050.「あるがまま」あるある
高良興生会・森田療法関連資料保存会から勤務先にお手紙を頂いた。開封してみると、年2回発行されるニュースレター「あるがまま」の原稿依頼だった。私のようなずっこけた人間が書かせて頂いてもいいのだろうか、と思いながらもほぼ反射的に承諾しますというメールを送ってしまった。年末年始の宿題になりそうである。
あるがままは森田療法の基本理念としてよく知られている。そして、とても響きが良い言葉である。それだけに誤解もされやすい。
不安神経症の患者さんで、不安になると、「あるがまま」「あるがまま」と唱えています、という方がいた。森田療法は宗教ではないので、念仏や題目と異なり、いくら唱えても残念ながら御利益は期待できない。不安なまま一歩踏み出して実際に行動していくことが大切だ。
対人恐怖の患者さん。「今日は気分が乗らないからあるがままに休んでいます」と。これは完全にあるがままの誤用である。保養と怠惰は似て非なるものである。気分は気分としてやるべき行動をする、それが森田療法のあるがままなのだ。
強迫神経症の患者さんで、作業に熱心に取り組む人がいた。いいかげんに作業している人を批判し、怒りをぶつける。「早く症状がなくなるように作業しています。あるがままになれるように努力しています」とのこと。一見、森田の優等生に見えるけれども、作業は症状をなくすためにするのではない。生活に必要だからするのである。そして、あるがままになろうとすればするほど、皮肉にもあるがままから遠ざかっていく。あるがままではなく「かくあるべし」になってしまっているのだ。行動本位の生活態度が身についた時、結果的にあるがままになっているのである。そして、ただ言われたことをやっていく「お使い根性」ではなく、創意工夫をこらしてよりよくできるようにしていくとなれば、「仕事三昧」になってくる。もはや上等の人となっているのである。
最近のコメント