神経質礼賛 2045.神経質とADHD
岡本重慶先生による京都森田療法研究所ブログの最新版「森田正馬の病跡」-ADHDが森田療法になるとき-」は4月から始まったシリーズの総決算的な内容になっており大変興味深く読ませていただいた。これまで、詳細に森田先生の性格分析を行い、神経質というだけでなくADHD(注意欠陥障害)的な傾向も持ち合わせていたことを明らかにしてこられた。内向的で内省的な神経質と外向的で行動的なADHDは逆の面を持っている。その相補性により自己治療的に相互に作用していることを今回指摘しておられる。
確かにその通りである。自分も含めて神経質人間は頭でっかちでなかなか手を出せない。ADHDの人の実行力や瞬発力が羨ましく思える時もある。森田先生は次のように言っておられる。
(まず手を出して始める、という話について)
上に述べたような事は、気の軽い気質の人には、生まれつきで自然にできる。それは、単に軽率であって、まとまった努力の仕事はできない。
しかるに、気が重くて何事にもおっくうな神経質の人が、修養により捨身の態度ができて、気軽に手を出すという事ができるようになれば、それは一つの悟りのような状態であって、ただの軽率とは全く違う。例えば気の軽いのは、貧乏で金遣いが早いようなものだが、神経質のほうは、金持でよく散じ・よくもうけるようなものである。 第5巻 p.760-761
考えるばかりでなかなか行動に移せない神経質には「とにかく早く手を出しましょう」「尻軽く行動しましょう」と行動本位を指導していくが、軽率に行動し過ぎるADHD傾向の人には「始める前にちょっと立ち止まって考えてみましょう」「周囲の人の反応もみてみましょうね」といった逆のアドバイスになってくる。頭の硬い神経質は何が何でも行動本位にしないといけないのだ、と思うかもしれないけれども、あくまでも神経質者を指導する上の方便であることは言うまでもない。神経質の良さを生かしながら、それに実行力を付けて行けば最強である。
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