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2023年1月29日 (日)

神経質礼賛 2070.眠れないと思っても眠っている

 外来の患者さんで不眠を訴える人は多い。特に高齢者では、「途中で一度目が覚めて、そこから全然眠れなくて困る」「夜中にトイレに二度三度起きて眠れなくなって困る」という訴えが増えてくる。このところの冷え込みで、ますますトイレが近くなっていることもあるだろう。神経症性不眠の人では、「みんなグッスリ眠れているのに自分ばかりが眠れない」「ちゃんと眠れないと害があるから眠らなくては」と考えがちである。しかし、本当に全然眠れていないのだろうか。

 高校生や大学生の頃、授業中・講義中に、あるいは社会人になって会議の最中にウトウト居眠りした経験がある方は少なくないかと思う。眠ってはいけない、いけない・・・と思っているうちに気が付かないうちに眠りに落ちているのである。気が付けばノートや手帳のメモは途中でぐちゃぐちゃになって止まっている。下手をすると、講義や会議はもう終わっていた、なんてこともある。室内楽のコンサート中、静かな第2楽章では客席のあちこちに「眠りの精」の魔法にかかって眠りに落ちている人々を見かける。座っているから、体の脱力で姿勢が崩れてハッと目が覚めたりするのだが、これが横になっている時だったらどうだろうか。眠りに落ちたことに全く気が付かなくてもおかしくない。

 私は若い頃からあまり眠れない方だったが、高齢者の仲間入りした現在、夜中に一度や二度トイレに行くようになっている。その後、横になっても眠れていない気はするが、しばらくしてまた時計を見ると、10分くらいしか経っていないだろうと思うと、それからもう1時間以上も経っていたりするのだ。自分では気が付かないうちにまた眠っているのである。結局、「眠れないと思っても眠っている」ということなのだ(将棋の大山康晴十五世名人の名言「助からないと思っても助かっている」のパクリ)。神経症性不眠では眠ろうと努力することはやめ、森田療法でよく言われる「眠りは与えられただけ取る」が一番の処方箋となる。

 

2023年1月26日 (木)

神経質礼賛 2069.晩祷歌(Preghiera)

 最大級の寒波襲来のため、一昨日から強烈な冷え込みとなっている。温暖な静岡市街地でも初雪、とは言ってもパラパラ程度。全国的には雪のために列車が立ち往生したり、雪による交通事故が多発したりして大変なことになっている。

 このように寒さが厳しい季節になってくると、やはりチャイコフスキー(422話)やラフマニノフ(307話)の音楽が似つかわしい。どちらも神経質度が高い人物であり、明らかにうつ状態に陥ったエピソードを持っている。ラフマニノフの最もよく知られた作品はピアノ協奏曲第2番であるが、第2楽章の美しい旋律は他の楽器用に編曲されてもおかしくないだろう、と思って、ネット上のペトルッチ楽譜図書館で調べてみたら見つかった。それもクライスラー編曲のものだ。20世紀最高のヴァイオリニストの一人であるフリッツ・クライスラーは陽気で社交的。一方、ピアニストとしても大成功を収めたラフマニノフは心配性で内向的で全く対照的。この二人は仲が良く、共演のレコードがいくつか残っている。しかし、この楽譜での二人の演奏録音は見当たらない。晩祷歌(Preghiera)という題名が付けられている。

 プリントアウトして楽譜を打ち込んでいく。聞くとシンプルそうな曲だけれども、3連符と普通の8分音符が入り乱れていて、打ち込みには時間がかかる。10日ほどで完成。ピアノパートに合わせて実際に弾いてみると、なかなか美しい。ただし、入りが難しいところがあって、ズレてしまいやすい。もう少し練習してみよう。 おっと、その前に今度の日曜日は、友人が参加しているピアノサークルの練習会でフランクのヴァイオリンソナタイ長調第4楽章を一緒に弾くことになっている。大恥をかかないように練習しておかなくては。

 

2023年1月22日 (日)

神経質礼賛 2068.女性のバス運転手さん

 女性のタクシー運転手さんやトラック運転手さんを見かけることが多くなった。「仙厓のすべて」展(2033・2034話)を見に東京に行った帰りに乗ったJR高速バスの運転手さんも女性だった。途中のパーキングエリアでの休憩後、出発前の人数チェックは丁寧に行っていた。

  朝、掛川駅前にタクシーが停まっていない時はバス停に走って1時間に1本の「北回り」循環バス6:55始発に飛び乗っている。市からの補助金で運営されている自主運行バスのため運賃は100円均一である。先月から見習いで乗車していた女性運転手さんが今月から独り立ちデビューした。1月4日がその初日だったらしく、出発前にたった3人の乗客に御挨拶のアナウンスをしていた。初心を忘れずにがんばってほしい。市役所や施設・病院の近くを通って循環する路線なので、途中で体の不自由な方が乗り降りして時間がかかる。転倒事故などのないように気配りが特に必要である。男だから、女だから、ということは関係なく、温かい気配りやマナーは必要である。降車の時に「ありがとうございました。行ってらっしゃい」と声をかけてくれると元気をもらえてありがたい。

 森田正馬先生が書かれた色紙に次のようなものがある。
「人に親切と思はれようとすれば 親切の押売りになり
人を悦ばせようとすれば 即ち親切となる」
はからいのない純な心が大切である。私たちの仕事も同じである。

 

2023年1月19日 (木)

神経質礼賛 2067.葛根湯

 昨年暮れから、医師のコロナ感染による出勤停止が相次ぎ代診の仕事が増え、近隣の精神科病院でのコロナ感染のため救急患者の受入要請が続き、仕事量は増える一方である。昨今の感染状況だと、いくら気を付けていても、通勤に電車やバスやタクシーを利用しているから自分もいつどこで感染するかわからない。インフルエンザも流行りだしたというし、普通の風邪もあるから、体調管理には注意している。

 風邪のひき始めに効果のあるのが漢方薬の葛根湯である。名前の由来となっている葛根(かっこん)は葛(くず)の根で、血行促進・発汗作用がある。他の成分も風邪症状に効果を示す。大棗(たいそう)は棗(なつめ)を乾燥させたもので筋緊張を緩める。麻黄(まおう)はエフェドリン・フラボノイドを含み交感神経の働きを強め気管支拡張作用もある。高血圧や緑内障の人は注意が必要だ。それとスポーツ選手が服用するとドーピングに引っかかる。甘草(かんぞう)は漢方薬によく配合されているもので、有効成分はグリチルリチンで甘みが強く、ステロイド様作用・抗炎症作用があるが、ナトリウム貯留・カリウム低下をきたすため注意しなくてはならない。桂皮(けいひ)はシナモンであり、温熱・発汗・鎮痛作用がある。芍薬(しゃくやく)は鎮痛・抗炎症作用があると言われ、婦人科系の漢方薬によく含まれている。生姜(しょうきょう)はショウガ(823話)のことで、健胃作用・温熱作用で知られるが、昔から食品に添えられていて、抗菌作用があることが近年明らかになっている。

 これだけ読んでも、とても効きそうな気がしてくる。江戸時代にはどんな患者にも葛根湯を処方する医者がいたらしい(20話・拙著p.58-60)が、風邪以外にも急性の炎症には効果を示しそうだから、結果的にそうなってしまったのだろう。最近では抗ウイルス効果も言われ、コロナからの回復を早めるという話も出ている。需要が伸びているためか、品薄になっているという。上手に利用していきたい。

 

2023年1月15日 (日)

神経質礼賛 2066.パキる

 ネットのニュース記事を読んでいたら、「グリ下でパキる」という表現があって、はて、何のことだろうと疑問に思った。SNSで居場所を求めて集まってくる少年少女たちの話であり、「グリ下」とはグリコの看板で有名な大阪ミナミ戎橋の下の遊歩道を言い、新宿歌舞伎町の「トー横」に相当するらしい。そして、「パキる」とは抗うつ剤パキシル(パロキセチン)を服用する、さらには広く精神科薬を過量服用(OD:オーバードーズ)することを言うようだ。

 パキシルはうつ病・うつ状態・パニック障害・強迫性障害・社交不安障害の治療薬であり、強い効果がある反面、減量や中止時の反動が大きく、やめにくいという問題点がある。古いタイプの抗うつ薬に対してこうしたSSRIと呼ばれる薬は比較的副作用が少なく、現在では精神科以外の科の先生方もうつ症状だけでなく不安症状に対して気軽に処方されるようになっている。しかし、私は当ブログ開始当初から、その問題点を書いて警鐘を鳴らしてきた(20話・102話・684話、拙著p.58-60)。不安は誰もが忌み嫌うけれども、私たちが危険を避け安全に生きていくために必要不可欠な安全装置でもある。自動列車停止装置ATSを切って電車を走らせたら危険極まりないのと同様、不安がなくなったら無謀な行動や浪費をきたしたり暴言を吐いて周囲の人とトラブルを起こしたりする可能性がある。ましてや過量服用の害は言うまでもない。医療者の側も抗うつ薬の安易な処方は避けたいものだ。

 

2023年1月12日 (木)

神経質礼賛 2065.どんど焼き

 昨年の暮れから「どんと焼き」のポスターがあちこちに貼られていた。通常は「どんど焼き」と呼ばれることが多い。地方によっては逆に「とんど焼き」と呼ばれたりもするらしい。歳神様をお迎えするための正月飾りを正月明けに燃やしてお見送りして無病息災や五穀豊穣を願うこの儀式は平安時代の「左義長(さぎちょう)」に由来すると言われ、「道祖神祭」、「鬼火焚き」、「さいと焼き」などと呼ばれる地域もあるようだ。近くの公園で行われるので初めて行ってみることにした。

  この前の日曜日、始まりの午前10時に行ってみると、公園の中央に円形に紅白の幕で仕切られた部分があり、そこへは木の鳥居をくぐって出入りするようになっていた。祭壇には供え物が載っている。すでに200人前後が集まっている様子だった。ここぞとばかり市会議員も来ている。普段は子供たちが走り回ったり、高齢者がゲートボールを楽しんだりしている公園に突如として異空間が出現したようである。神主さんが祝詞をあげ、お祓いをする。儀式には30分ほどかかった。次に男の子と女の子が一人ずつ前に出て、点火が行われた。それから続々と集まった人々が、お賽銭を入れて、正月飾りを係りの人に渡し、それが積み上げられ燃やされていく。係りの人からは安倍川餅1パックを渡される。お神酒も振舞われている。今まで見たことがなかったけれど、こういう伝統的な儀式も悪くない。舞い上がる煙を見ながら、新型コロナも一緒に退散して行って欲しいとつくづく思う。

 

2023年1月 8日 (日)

神経質礼賛 2064.求不可得(2)

 松の内が過ぎ、帰省の人々も戻り、平常の生活がまた始まっている。昨年の大晦日は当直勤務。大暴れして警察に保護された人を夜になって保健所職員が連れてきて入院となり、大忙しだった。元日の朝、当直明けで帰ったが、静岡駅の階段を下りていてあと2段というところで右足首がぐらっときて転倒してしまった。油断禁物である。

 今年最初の外来患者さんは三島森田病院で森田療法の入院を担当したAさんだった。遠方からみえるので、通常の外来診察とは別枠で予約していた。Aさんからの年賀状も病院に届いていた。入院中のAさんは「作業の虫」とでもいえるくらい、作業にうちこんでおられた。ただ、不完全恐怖があって、何でも決められた通りにやろうとするから時間がかかってしまう。優先度が高い仕事が発生しても柔軟に対応できない。実際の社会生活でも同様であり、時間がかかりすぎて不適応を起こしやすかった。三聖病院の森田療法を何度か受けた経験があり、森田療法家の先生のクリニックでカウンセリングを受け、生活の発見会にも参加している。最近、仕事の部署が変わり、職場の人たちとの関係も良くなり、割とうまくいっているとのことだった。ただ、生活状況を聞くと、休日の朝は森田療法の本の一節を読み、脳の働きを良くするために剣玉をやったり、決まった体操をやったりするのだそうだ。付き添ってきた奥さんに話を聞くと、そうした行動を優先してしまうため、朝食が遅くなって困るという。そうした行動は「治す」ための「はからいごと」のように思えてならない。奥さんが朝食を作ってくれたら、とにかく一緒に食べて、それからまた行動するようにとアドバイスした。そして、Aさんへの年賀状には「求不可得」と書いて投函した。

 「求不可得」(求めて得べからず)は慧可(えか)大師の言葉であると言われている(750話)。Aさんの場合、「治す」ことが人生の最大目標のようになってしまっている。そのエネルギーを仕事や日常生活に充てれば、もっと充実した毎日になるのではないだろうか。求めれば求めるほど、皮肉なことに森田から遠ざかってしまうということなのだ。そして治すことを忘れた時に治っているのである。

 

2023年1月 5日 (木)

神経質礼賛 2063.「我」をおしたてよ

 私たち神経質、特に対人恐怖傾向の人はどうも自己主張が弱く、周囲の目を気にして引いてしまいがちである。いわゆる弱力性が行動面に表れやすいのである。それで満足しているかと言えばそうではない。本来は生の欲望が強くて内心は負けず嫌いという強力性を持っているから、欲求不満に陥りやすい。「恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性」(白揚社:森田正馬全集 第3巻 p.114)という表現がピッタリである。この言葉を知った時、まさに自分のことをピタリと言い当てられたと感じたものだ。森田先生は形外会の場で次のように言っておられる。

 「我」とは、電柱に突き当たって癪にさわるとか、親に叱られて腹立たしいとかいうのも、時と場合における「自然の感じ」であって、これが「我」である。皿を落として割って、思わず取り上げてつぎ合わせて見るとかいうのも同様で、いまさらつぎ合わせたとてしかたがない。柱に腹を立てるのは無理だとかいうのは、単なる屁理屈であって自然の感じではない。私は、この「自然の感じ」を、最も大切に尊重しなければならぬというのであります。
 一般に教育とか修養とかは、この「我」を否定・抑圧する稽古を積むのである。私からみれば、これが最も大なる弊害である。古来の偉人は野口英世や二宮尊徳でも、エジソンやニュートンでも、皆この「我」をおしたてて努力した人ばかりである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.556-557)

 偉人にはなれなくても、もう少し、考え過ぎず感じるままにスッと行動していけば自分も楽になれるはずである。つい下を向いてぼそぼそ小声で話しがちになるけれども、時には背筋を伸ばして思ったことを大きな声で言ってみよう。

 

2023年1月 3日 (火)

神経質礼賛 2062.椿事

 毎年、1月2日・3日は箱根駅伝をTVで見ている。ここ数年、私の出身大学のチームは優勝争いに絡むことができず、9位とか10位とかが多く、シード権が獲得できるかどうかでハラハラしながら見ている。昨日はTVをつけるのが遅れて、画面を見てビックリ。1区を先頭で走っている選手は見慣れない黄色いユニフォームだった。大学チームとしては出場できない選手たちを集めた関東学生連合の育英大学の新田選手だった。そのままブッチギリでトップを独走していく。大きく離された後方の集団には有力校のスピードランナーたちがひしめいているのだが、お互いに牽制し合って飛び出せず、スローペースのまま団子状態が続く。鶴見中継所の少し手前でスピードを上げてきた明治と駒沢の選手に抜かれて3番目になってしまったけれども、見事な快走だった。新春の椿事である。関東学生連合はオープン参加ということで、参考記録にしかならないのは気の毒である。同じ条件で走っているのだから個人記録には入れてあげてもいいのではないかと思う。4年生で就職が決まっていて、陸上はこれが最後という新田選手にとってはいい思い出になることだろう。社会に出ての活躍を期待したい。  一方、1区の有力校のスピードランナーたちはせっかくの自分たちの能力を発揮できず、良い記録が出せずに残念なことになってしまった。相手がどう出るか過度に考え過ぎた結果である。人の思惑ばかり気にしてチャンスを逃しがちな神経質も同じことである。ここぞという所では、ドキドキハラハラしながらも、ダメでもともとと、思い切って勝負に出てみることである。

2023年1月 1日 (日)

神経質礼賛 2061.ソフト森田始動

 三島森田病院に勤務している間に最後の一冊を出版する計画でいた。デイケアで行っていた「生活に役立つワンポイント森田」(1229話)をさらに発展させて本にしようという心づもりだった。ところが、予想もしなかった事態が発生して三島森田病院を去ることになり、このところの新型コロナ対応もあって、頓挫を余儀なくされた。それでも、神経質の虫がうずいて原稿をまとめ始め、暮れには出版社に依頼した。おそらく今年中には『ソフト森田療法』として世に出せることになるだろう。前作『神経質礼賛』の半分程度の軽い内容で、字体を大きくして御高齢の方々にも読みやすくする予定である。

  前作は神経質性格や神経症に悩む方やその御家族を読者として想定していて、全国の大学図書館や都道府県立図書館、地元静岡県内の市町村立図書館に寄贈した。ところが、意外にも「図書館にあったから読んでみたよ」「役に立った」「よかったよ」というような声を寄せて下さったのは統合失調症で通院している患者さんたちだった。森田療法の考え方は神経症だけでなく、多くの方々の役に立つものだと痛感した。

 森田療法は神経質性格の持ち主には特にシャープな効果を示す。しかし、本質は治療法と言うより人間教育であり、日常生活の中で幅広く人々に役立つものだと思う。佛教大学名誉教授にして三聖病院で長年森田療法に関わってこられ京都森田療法研究所を主宰されている岡本重慶先生は森田療法の本質は「神経症に限らず、万人が人生の「苦」に向き合って生きる智恵」であると看破されている。認知行動療法ばかりが脚光を浴びてもてはやされている昨今だが、一石を投じることができたらと思っている。

 

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