神経質礼賛 2070.眠れないと思っても眠っている
外来の患者さんで不眠を訴える人は多い。特に高齢者では、「途中で一度目が覚めて、そこから全然眠れなくて困る」「夜中にトイレに二度三度起きて眠れなくなって困る」という訴えが増えてくる。このところの冷え込みで、ますますトイレが近くなっていることもあるだろう。神経症性不眠の人では、「みんなグッスリ眠れているのに自分ばかりが眠れない」「ちゃんと眠れないと害があるから眠らなくては」と考えがちである。しかし、本当に全然眠れていないのだろうか。
高校生や大学生の頃、授業中・講義中に、あるいは社会人になって会議の最中にウトウト居眠りした経験がある方は少なくないかと思う。眠ってはいけない、いけない・・・と思っているうちに気が付かないうちに眠りに落ちているのである。気が付けばノートや手帳のメモは途中でぐちゃぐちゃになって止まっている。下手をすると、講義や会議はもう終わっていた、なんてこともある。室内楽のコンサート中、静かな第2楽章では客席のあちこちに「眠りの精」の魔法にかかって眠りに落ちている人々を見かける。座っているから、体の脱力で姿勢が崩れてハッと目が覚めたりするのだが、これが横になっている時だったらどうだろうか。眠りに落ちたことに全く気が付かなくてもおかしくない。
私は若い頃からあまり眠れない方だったが、高齢者の仲間入りした現在、夜中に一度や二度トイレに行くようになっている。その後、横になっても眠れていない気はするが、しばらくしてまた時計を見ると、10分くらいしか経っていないだろうと思うと、それからもう1時間以上も経っていたりするのだ。自分では気が付かないうちにまた眠っているのである。結局、「眠れないと思っても眠っている」ということなのだ(将棋の大山康晴十五世名人の名言「助からないと思っても助かっている」のパクリ)。神経症性不眠では眠ろうと努力することはやめ、森田療法でよく言われる「眠りは与えられただけ取る」が一番の処方箋となる。
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