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2023年1月 8日 (日)

神経質礼賛 2064.求不可得(2)

 松の内が過ぎ、帰省の人々も戻り、平常の生活がまた始まっている。昨年の大晦日は当直勤務。大暴れして警察に保護された人を夜になって保健所職員が連れてきて入院となり、大忙しだった。元日の朝、当直明けで帰ったが、静岡駅の階段を下りていてあと2段というところで右足首がぐらっときて転倒してしまった。油断禁物である。

 今年最初の外来患者さんは三島森田病院で森田療法の入院を担当したAさんだった。遠方からみえるので、通常の外来診察とは別枠で予約していた。Aさんからの年賀状も病院に届いていた。入院中のAさんは「作業の虫」とでもいえるくらい、作業にうちこんでおられた。ただ、不完全恐怖があって、何でも決められた通りにやろうとするから時間がかかってしまう。優先度が高い仕事が発生しても柔軟に対応できない。実際の社会生活でも同様であり、時間がかかりすぎて不適応を起こしやすかった。三聖病院の森田療法を何度か受けた経験があり、森田療法家の先生のクリニックでカウンセリングを受け、生活の発見会にも参加している。最近、仕事の部署が変わり、職場の人たちとの関係も良くなり、割とうまくいっているとのことだった。ただ、生活状況を聞くと、休日の朝は森田療法の本の一節を読み、脳の働きを良くするために剣玉をやったり、決まった体操をやったりするのだそうだ。付き添ってきた奥さんに話を聞くと、そうした行動を優先してしまうため、朝食が遅くなって困るという。そうした行動は「治す」ための「はからいごと」のように思えてならない。奥さんが朝食を作ってくれたら、とにかく一緒に食べて、それからまた行動するようにとアドバイスした。そして、Aさんへの年賀状には「求不可得」と書いて投函した。

 「求不可得」(求めて得べからず)は慧可(えか)大師の言葉であると言われている(750話)。Aさんの場合、「治す」ことが人生の最大目標のようになってしまっている。そのエネルギーを仕事や日常生活に充てれば、もっと充実した毎日になるのではないだろうか。求めれば求めるほど、皮肉なことに森田から遠ざかってしまうということなのだ。そして治すことを忘れた時に治っているのである。

 

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