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2023年2月26日 (日)

神経質礼賛 2080.おいどん、星になる

 漫画家の松本零士さんの訃報が伝えられた。享年85歳。松本さんは宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999、キャプテンハーロックといった宇宙SFアニメで人気を博した。私にとっては中学・高校時代に読んだ「男おいどん」(82話)などの四畳半物が強く印象に残っていて、大学生の時に買ったコミック本はまだ書棚の片隅にある。主人公のおいどん・大山昇太は青雲の志を抱いて汽車で九州から上京して古い下宿屋で単身生活をしていた松本さんの分身でもある。短足・ガニ股・眼鏡のさえない風貌とともに貧乏が災いして女性たちには振られっぱなしである。それでも劣等感を持ちながらも失敗を繰り返しながらも「今に見ちょれ」と頑張り続けるおいどんの姿に共感を覚えた読者も少なくないだろう。私もその一人である。神経質ゆえ自己評価が低く、自分は人生の落伍者だと思い続けていた。その一方では生の欲望も強く、こんなもので終わってなるものか、とも思っていた。神経質の弱力性と強力性である。だから男おいどんにはスッカリのめり込んだ。少女漫画からスタートした松本さんだけあって、心のつかみどころが実にうまい。男おいどんは乙女チック漫画の男子版という評価もある。青年期は周囲の人々が自分よりも優れているように見えて劣等感にさいなまれやすいし自意識過剰になりやすい。自分の周囲の登場人物が美男美女ばかりというのもそうした心理を反映している。成功を収めて立派な家に住んでいる人からアルバイトを頼まれたおいどん君はいつものように失敗をやらかしてすごすごと帰っていくのだが、「お前はいいよ。まだ若くて」と言われて「?」と言葉も出ない。みじめでも貧乏でも若さは莫大な財産であることに気が付いていない。それを痛感するのは歳を取ってからである。

 松本さんは上京して頑張ったが、なかなかヒット作が出なかった。少年マガジンの連載を任され、汚れたパンツの山やインキンタムシに悩まされる実生活をベースに「こんな漫画が売れるのか?」と思いながら開き直って描いた男おいどんが出世作となったという。アニメ化されることはなかったし、四畳半の世界は日本独自のものであるけれども、男おいどんに登場するキャラクターたちはのちの宇宙SFアニメにも登場してくる。松本さんは常々、「遠く時の輪の接する処でまた巡り会える」という言葉をSFアニメの登場人物に語らせ、自分自身そう言っていたそうだ。星になったおいどんは誰と会っているだろうか。

 

2023年2月23日 (木)

神経質礼賛 2079.お兄ちゃんだから・お姉ちゃんだから

 前話で「お姉ちゃんだから我慢しなさい」というありがちな親の言葉が出た。私も「お兄ちゃんだから我慢しなさい」を言われたものだ。弟がよく私の物を勝手に持ち出して使う。それに怒って取り返すと弟が泣き出し、親からいつもの言葉を浴びせられるというお決まりのパターンだった。

 最初の子供は親も慣れていないから、子育てはおっかなびっくりである。どうしても過保護になったり過干渉になったりしやすい。また、過度に期待してしまったりする。その点、弟や妹の立場だとのびのびと育ちやすい。漫画「ちびまる子ちゃん」はその典型であろう。主人公で小学3年生のももこ(通称まる子)は良く言えば天真爛漫で素直な女の子。悪く言えばちゃらんぽらんでずる賢い面もみられる。その姉で小学6年生のさきこは真面目なしっかり者で我慢強い。両親・祖父母とも「お姉ちゃん」と呼び、名前で呼ばれることはない。妹思いでよく面倒をみているが、同じ部屋で暮らすまる子に引っ掻き回されてついに大爆発する場面も時々ある。弟や妹を持つ読者はこの「お姉ちゃん」に共感するのではないだろうか。

 「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」と親が言いたくなるのも無理はないが、それこそなるべく我慢して欲しい言葉である。役割の強要はまだ小さい子供には厳しすぎる場合があるだろう。言いたいことも言えなくなる。それに、お兄ちゃん、お姉ちゃんでなく、名前で呼んであげた方がよいと思う。

 

2023年2月22日 (水)

神経質礼賛 2078.こころの休符

 外来に通院している看護師さん。うつになった妹さんを自分のアパートに連れてきて面倒を見て、パワハラ傾向の上司やらお局様的先輩たちのいる職場で指示に従って頑張り続けているうちについに自分がダウンしてしまった。適応障害である。しばらく仕事を休んで元気を取り戻し、同じ病院の別の部署に配属してもらって復職し、今のところ順調である。この人の場合、幼少時から親に「あんたはお姉ちゃんなんだから我慢しなさい、頑張りなさい」と言われ続けてきて育ったそうだ。仕事の上でもつい無理して頑張ってしまう癖がついていて、上司から仕事を頼まれると反射的に「できます」と言ってしまう。こういう人に頑張るように言うのは厳禁であり、「頑張らないようにしましょう。クビにならない60点スレスレを目指しましょうね」と繰り返しアドバイスしている。最近はゴルフに行って気分転換していると言う。「自分だけ仕事を減らしてもらって遊んでいていいのかなと思ってしまいます」「打たれ弱くなりました」と述べるが、弱くなり切ればよい。仙厓さんの「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」で外圧は受け流しながらボチボチやっていればよい。そして、生活の中に「こころの休符」を入れることも大切だ。

 森田療法では行動本位、どんどん仕事に手を付けるようにという指導ばかりしていると思われがちだが、それはあくまでも考えてばかりいて行動が伴わない人への指導であって、本来は行動と気分のバランスが取れているのが一番である。森田先生御自身、お弟子さんと晩酌したり将棋を指したりしていたし、月1回の形外会でも、落語家を呼んで楽しんだり、ゲームをしたり、全員で東京音頭を踊ったり、ハイキングに出かけたり、とレクリエーション的な面もあった。適度な「遊び」も潤滑油として必要である。

 

2023年2月19日 (日)

神経質礼賛 2077.今年の確定申告

 2月は日数が少なくて何となく気ぜわしい。それでいて年度末が近くていろいろな予定が入ってくる。さらには確定申告の時期でもある。今年は申告初日が公休日だったので、朝から国税庁のホームページに源泉徴収票などのデータを入力して申告書をプリントアウトした。スマホでe―TAXを利用して税務署に行かずに申告できるようになっているが、神経質ゆえ間違えたらどうしようと心配で結局、例年通りのやり方で全く進歩がない(1357話)。税務署までは駿府城公園の堀沿の道路を反時計回りに半周して徒歩25分ほどだ。例年、スギ花粉が多くなる時期で、目はショボショボになる。

 整理券をもらい、住所・氏名・電話番号を申込用紙に記入して待つ。申告書提出だけの人は私の前に4人いた。簡単なチェックをしてもらって終わり、控に受領のスタンプを押してもらうだけなのですぐ終わるはずだが、前の人たちは窓口で何やら言われている。私の番になった。職員から「これは要りません」と言われて申告書に貼ってある源泉徴収票をすべて剝がされてしまった。前の人たちも同じことを言われていたらしい。よくわからないので「はあ、そうですか」と剥がされた源泉徴収票を受け取る。控にスタンプを押してもらうこともなくなった。簡略化して、極力スマホで申告してくれ、ということなのだろう。とはいえ、後になってやはり源泉徴収票を提出しろと言われたら困るので、2,3年は保存しておくとしよう。

 帰り道は元気があれば公園内の梅の花でも見ていくところだが、そのまま堀を反時計回りして帰る。スーパーの食品トレイ回収ボックスに家から持ってきたトレイを投入していく。銀行のキャッシュコーナーで通帳に記入する。よく利用するみかんの無人販売を覗くと、デコポンが4個200円でたくさん積まれていた。食品高騰の昨今、この無人販売はありがたい。欲張ってあれやこれやと用事を済ませるのが神経質の手口(?)である。

 

2023年2月16日 (木)

神経質礼賛 2076.インターホンの故障

 家を建てて20年以上経って、いろいろと不具合が出る頃である。最近、インターホンが故障した。画面が突然に映らなくなってしまったのだ。使用頻度が少ない1階と3階のは使えるが、一番よく使っている2階のものだけがダメである。音は聞こえるけれども画像が出ないので訪問者が誰なのかわからないのは困る。物騒な事件も増えているから早く修理依頼をしなくては、と思いながらも面倒で1週間、2週間が過ぎてしまった。強迫行為のために重要なことは後回しにしてしまう外来患者さんには、「優先度の高いことから先にやるように」「早く手をつけるようにしよう」と言っているくせにこれではいけない。ネットの住宅メーカーの会員ページから不具合状況を報告して修理依頼をするとその日のうちに電話があり、インターホンのメーカーと連絡が付く。録画機能の付いた当時出始めたばかりの機種だったから、修理不能かもしれないとは言われたが、ダメだったら買い替えるつもりで1週間後にサービスマンに来てもらうことにした。

 幸いなことに、まだメーカーには補修用の予備機が残っていた。液晶のバックライトが当時は小型蛍光管を使っていて、寿命が来て点灯しなくなったのが原因で画面が映らなくなったものと判明。今のノートパソコンが出る前時代のラップトップパソコンの液晶バックライトみたいなものだ。今時はLEDバックライトだからまず寿命切れによる故障の心配がない。予備機の液晶部分と交換して修理は短時間で完了した。これで一安心である。

 

2023年2月12日 (日)

神経質礼賛 2075.コロナ関連恐怖

 昨日は朝からちょっと落ち着かなかった。一昨日、職員のコロナ陽性が判明して一緒に仕事をしていた10名ほどがPCR検査を受けた。私もその一人だった。陽性になったのがケースワーカーさんだったから多職種が関連している。心配性ゆえ、陽性だったとしたら1週間あまり休むことになるからどういうことになるかとつい考えてしまう。外来患者さんの代診は出勤している先生にお願いすることになるが、家族面談の予定が詰まっているのはまた日を改めるしかない。2日休んだだけで書かなくてはならない書類が溜まってしまうので、考えただけで恐ろしい。また、家での生活も気になる。病気そのものよりそれ以外のことが心配になる。いわばコロナ関連恐怖である。結果は病院にFAXで送られてきて、当直者から電話連絡が入る。陰性と聞いてほっとする。今までこれを何度繰り返しただろうか。

 その結果を聞いてから出かける。例年2月の第1週か第2週の土曜日午後に県の精神保健指定医会議というものがあって、長年出席している。昨年だけはリモート開催だったが今年はまた従来通りの会議に戻った。祝日ということもあってか参加者は例年より少なかった。今回は精神保健福祉法改正、家族を含めた患者さんの支援についての話だった。

 夕日と西風を背に浴びながら駅の方へ歩いていく。そろそろスギ花粉が飛び始める頃である。コロナ対策のマスク常用は花粉からの防御に役立っている。地下に降り、駅前のデパートに入るとバレンタインデーのチョコレートを買い求める人々で賑わっている。エレベータで8階に上がり、特設会場でロイズの生チョコを買う。ささやかな自分へのプレゼントである。

 

2023年2月 9日 (木)

神経質礼賛 2074.餃子日本一

 一昨日のニュースで、2022年の家計調査による餃子購入額日本一の発表があった。一位は宮崎市、二位は宇都宮市、三位は浜松市だった。県内ニュースでは浜松の街角で「優勝」できなかったことを知った人々のガッカリぶりが紹介されていた。浜松市民の餃子愛はなかなかのものだ。かつては浜松市と宇都宮市が一位を競っていてお互いライバル意識が強かった。ところが2021年に宮崎市が初の一位となり、ここ2年続けて日本一ということだ。

 私が浜松に住んでいた頃、餃子を注文すると茹でたモヤシが付いてきたものだ。もっともモヤシが添えられることは絶対条件ではない。浜松餃子の定義は「浜松で作られた餃子であり、製造者が3年以上在住していること」(浜松餃子学会)なのだそうだ。浜松餃子の特徴としては皮が薄めでキャベツ、ニラ、玉ねぎを多く使うが肉も比較的多い。戦後、フライパンで焼いていたことから、円形に花びらのように並べて焼く店が少なくない。宇都宮には行ったことがないが、私が住んでいる街に宇都宮出身の主人がやっている中華料理屋があった。家族で月に1回位食べに行っていたが今は閉店してしまって、別の場所で宇都宮餃子の専門店を経営しているという。この店の餃子の皮は厚めでもっちりした食感だった。宇都宮餃子のもう一つの特徴はキャベツ・白菜といった野菜が多いことらしい。宮崎餃子は全く食べたことがない。宮崎餃子には特に決まりはなく、ラードでカリッと焼く店が多いとも言われている。

 餃子は肉・野菜がバランスよく摂れる健康食である。それに、ニンニクやショウガが入っているので元気の源になる。どこが日本一でもいい。おいしく食べて元気をもらいたいものだ。

 

2023年2月 5日 (日)

神経質礼賛 2073.寒さと腰痛

 朝、駅前に出るとタクシーが止まっている。7時前だから一台も止まっていないことの方が多くてその場合はバス停に走るけれども、今日はラッキーだと思って見ると運転手さんがいない。どうしたんだろうと思う間もなく後ろから「すみませーん」と声がしてきて見慣れた運転手さんが走って来る。70代くらいの気のいい人である。「駅のトイレに行ってたもんでね。どうもトイレが近くていけないですよ」と。私も他人事ではない。車を発車させてから、さらに続ける。「だけど、ここ2日は腰痛が軽くて助かってます。このまま治ってくれればいいだけどね」と。先週は厳しい寒さが続いたが、今週は節分・立春に合わせてか寒さが緩んで少し春めいた陽気になっている。私も魔女の一撃(378話)・・・ぎっくり腰にやられたり、腰痛(891話)が出たりするのは、寒い時期が多いような気がする。腰痛持ちの人にとっても恵みの春がやってくる。

 二足歩行の人類にとって腰痛は宿命だと言われている。精神科外来通院中の患者さんでも湿布を希望される中高年の人が結構いる。いわゆる腰痛症の原因はハッキリしないことが多い。最初は整形外科に通っていたが、良くならなくて湿布や鎮痛剤を処方されるだけだからやめてしまい、精神科で「ついでに湿布も出して下さい」ということになるのだ。痛いからと言って寝てばかりいても良くなるものでもない。無理のない程度に運動したり歩いたりして筋力を維持することも大切である。このあたりは神経症の症状への対処法と同じで、整形外科で診てもらって特に異常がなければ、あるいは加齢によるものですと言われたとしたら、多少の痛みはあっても健康人として日常生活を送っていくのがよいだろう。

 

2023年2月 2日 (木)

神経質礼賛 2072.不安定即安心(2)

 仕事でも日常生活でも、予期せぬ事態が次々と発生する。それは良い事とは限らない。むしろ望ましくないことの方がはるかに多い。安定した仕事や生活を望んでいても、なかなかそうはさせてくれない。起こってしまったことはどうしようもない。何でこんなことになるんだ、と腹を立ててもどうにもならない。面倒だなあ、嫌だなあ、という気分は気分として、仕方なしに一つ一つ対処していく他はないのである。森田先生は次のように言っておられる。

 「不安定即安心」という事については、不安定とは客観的の日常の事実であり、安心は主観的の想念である。風や、寒さや絶えず変化する事が日常の不安定の事実であり、これをその事実ありのままに見る時に安心があり、いやな事苦しい事をも、ことさらにこれをいやと思わず苦しいと感じないようにしようとするところに心の葛藤が起こり、余のいわゆる思想の矛盾が起こり、強迫観念が起こり不安心が起こる。すなわち余はただ「事実唯真」という。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.26)

 現代の森田療法で「不安心即安心」(208話)という言葉はよく用いられているけれども、この「不安定即安心」はあまり見かけない。事実をありのままにとらえる、不安は不安でそれっきり、それができれば不安定即安心になっている。何か事が起こると動揺してあたふたする小心者の私にとっては、はるかかなたに光る言葉である。それでも仕方なしに行動できていれば、まあよしとしよう。

注:同一タイトル・同一引用が1724話にありましたので、タイトルに(2)を追加しました。

 

 

2023年2月 1日 (水)

神経質礼賛 2071.ゴセックのガヴォット

 日曜日に友人が加入しているピアノの会の練習会に参加した。会場は清水駅前のホールの練習室。東は長泉町、西は湖西市、北は山梨県、と皆さん結構遠方から参加されている。今回はフランクのヴァイオリンソナタ第4楽章を弾かせていただいた。ヴァイオリンパートは気持ちよく旋律を弾けるけれども、ピアノパートはとても重労働である。おまけの一曲はかわいらしくゴセックのガヴォットにした。譜面台は普段使っていない軽いアルミ製のものを持って行ったが、使い慣れていないので演奏直前に楽譜を落とし、慌てて拾って乗せたのが、半分逆さまに乗せてしまい、弾いている最中に気が付くという失態を演じてしまった。失敗した時はさらに失敗を重ねないように一呼吸を置く位のつもりで次の動作に入った方がよい。

 ゴセック(1734-1829)という作曲家は今ではこの一曲のみで知られていると言ってよいだろう。バロック末期からロマン派までの長い時期を生きたベルギー生まれの人で、パリ音楽院作曲科の最初の教授であり、交響曲を30曲も作った人だという。ガヴォットはフランスの4拍子系の古典舞曲でバッハをはじめ実に多くの作曲家が作っているが、その中でゴセックのものが一番有名かもしれない。小学校の音楽の時間に聴いている方も多いだろう。何かのCMのBGMに使われているのを聞いた記憶もある。スタカートの軽快な旋律が心を浮き立たせてくれる感じがする。たまには初心に帰って、こういう曲もいい。

 

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