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2023年2月 2日 (木)

神経質礼賛 2072.不安定即安心(2)

 仕事でも日常生活でも、予期せぬ事態が次々と発生する。それは良い事とは限らない。むしろ望ましくないことの方がはるかに多い。安定した仕事や生活を望んでいても、なかなかそうはさせてくれない。起こってしまったことはどうしようもない。何でこんなことになるんだ、と腹を立ててもどうにもならない。面倒だなあ、嫌だなあ、という気分は気分として、仕方なしに一つ一つ対処していく他はないのである。森田先生は次のように言っておられる。

 「不安定即安心」という事については、不安定とは客観的の日常の事実であり、安心は主観的の想念である。風や、寒さや絶えず変化する事が日常の不安定の事実であり、これをその事実ありのままに見る時に安心があり、いやな事苦しい事をも、ことさらにこれをいやと思わず苦しいと感じないようにしようとするところに心の葛藤が起こり、余のいわゆる思想の矛盾が起こり、強迫観念が起こり不安心が起こる。すなわち余はただ「事実唯真」という。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.26)

 現代の森田療法で「不安心即安心」(208話)という言葉はよく用いられているけれども、この「不安定即安心」はあまり見かけない。事実をありのままにとらえる、不安は不安でそれっきり、それができれば不安定即安心になっている。何か事が起こると動揺してあたふたする小心者の私にとっては、はるかかなたに光る言葉である。それでも仕方なしに行動できていれば、まあよしとしよう。

注:同一タイトル・同一引用が1724話にありましたので、タイトルに(2)を追加しました。

 

 

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コメント

 四分休符先生

 以前どなたかがコメントしてられたと記憶していますが...

 鈴木知準先生は「不安即安心」と言っておられたのを後年、「不安即不安」と言い換えられたと私は聞いています。

 私は道元思想を考えるに当たって、「不安即不安」それこそが分別・はからいの無い精神だと捉えています。不安になりきる。

 そこで見えてくるものがなんであるのか、私は体得していません。あくまでも頭の中での、頭でっかちな解釈です。ですが、どう考えても道元を突き詰めると上記の解釈が相当と考えるに至っています。

 鈴木知準先生は道元思想を意識しておられました。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 「不安心即不安心」は707話に書いています。森田先生は「不安心即安心」でしたが、そうすると、不安をなくすために行動するというような神経質者も出てくるでしょうから、知準先生に言わせれば、不安は不安でそれっきり、はからいごとをするな、ということで、不安心即不安心になったのではないかと想像します。

鈴木知準先生の本を昔読んだことがあります。それには「不安は不安でただそれっきり」、と書いてあるのを記憶してます。

はからいを捨て、気分、症状はあるがままに受け入れてやるべきことをやる、という森田先生の考え方は心が楽になります。今の心のままでいい、というのは救われます。

森田療法は素晴らしいと思います。

今後もブログで役に立つ記事を載せて下さい。よろしくお願い致します。

森田療法命 様

 コメントいただきありがとうございます。

 不安は不安でそれっきり、と強く言い切っておられるのが知準先生らしいですね。この言葉に背中を押されて行動してよくなられた方は数えきれないことと思います。

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