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2023年3月30日 (木)

神経質礼賛 2090.弱くなり切った家康公

 毎月送っていただいている「生活の発見」誌四月号の「遊You」コーナーに拙著『家康 その一言』の紹介記事があった。書かれたのは生活の発見会・生泉会会員、さらには「鈴木学校」卒業者で正知会会員でもある藤田嘉信さんである。以前、畑野文夫さんをはじめとする正知会メンバーが三島森田病院に見学に来られた際にお目にかかったことがある。

 従来、家康公のイメージは、よく言えば、苦労人から出発し、何事にも動じない強い胆力があって苦難に耐え抜いた人物。悪く言えば棚ぼた式に天下を取ったずる賢い狸親父といったところである。しかし、本当は短気で小心で心配性で動揺しやすい神経質人間だったというのが私の主張である。今年の大河ドラマ「どうする家康」では従来になかった家康公のそうした部分にも光を当てているようである。家康公は、幼くして母と生き別れになり、分離不安を抱えていて、不安になると爪を噛む癖があった。父親も祖父も若くして家臣に暗殺されている。だから、家臣の扱いは極めて慎重であり、家臣の意見をよく聞き、家臣に対して「殿」と呼んでいたという話もある。これほど家臣に気配りした戦国武将はまずいないであろう。弱力性と強力性を併せ持った神経質であるから、周囲からは「何を考えていらっしゃるかわからない」と言われていたらしい。武田信玄が浜松に攻めて来た時、家臣の多くが籠城戦を主張したにもかかわらず、家康にしては珍しく撃って出ることを主張して惨敗を喫したのが三方原の戦である。籠城していたのでは地侍の離反を招く恐れがあり、援軍を出してくれた織田信長への配慮もあったのだろう。強力性が裏目に出たのだ。それからというもの、弱力性を前面に出して、ひたすら弱くなりきった。自分の情けない姿を画家に描かせた「しかみ像」を座右に置き、慢心しないように常に自分を戒めていたと言われる。武田への密通を信長から疑われた嫡男の信康を切腹させ妻の築山殿(瀬名姫)を殺害した件にしても、煮え湯を飲む思いで耐え忍んだ。その結果、信長からも秀吉からも、徳川殿は図抜けた律義者であると認められるところとなった。そして、そのガマンが天下取りにつながり、長い平和の世を構築することができたのだ。徹底的に「弱くなりきる」(277話)を通して大成した最高の人物が家康公だと言えると思う。

 

2023年3月26日 (日)

神経質礼賛 2089.忙しいほど仕事がよくできる(2)

 ここ1週間、目の回るような忙しさだった。昨日、仕事を終えて帰宅してほっと一息である。月曜日の午後に母が亡くなってから葬儀社に電話して施設から遺体を搬送してもらい、打ち合わせ。夜にお寺に行ってまた打ち合わせ。以前、一度危篤状態になった時にあらかじめ連絡はしてあったのでスムーズに事が運んだ。次の火曜日は朝から精神科救急日直・当直で替わってもらうわけにはいかないので、前日のうちに葬儀の段取りをつけておいたのだった。救急では入院受けがあって、ドタバタである。病棟では高齢の患者さんの急変があって、死亡診断書を書いて御家族に説明する。前日に母の死亡診断書を訪問クリニックの先生に書いていただいたばかりで、つくづく因果な商売だなあ、と内心苦笑する。水曜日の午前は以前から私が受ける予定の患者さんの入院受けがあって、診察してから指示を出し終えてから昼過ぎにようやく仕事場を後にする。帰宅してすぐに黒服に着替え、通夜に臨む。コロナの影響で3年程会っていなかった叔父・叔母・従兄弟たちが参列してくれていた。木曜日は朝8時半から葬儀。喪主挨拶では緊張したが、何とかできたからよしとしよう。10時出棺。大量の生花とともに、虎屋の羊羹と『神経質礼賛』を棺に入れて送り出す。モタモタしていて『ソフト森田療法』が間に合わなかったのが悔やまれる。火葬場へと向かう土手沿いの桜が5分咲きになっていた。心配された雨も小降りで済んだ。「いい日旅立ち」である。無事に火葬を終えて、遺骨とともに帰ってきた。すぐに着替えて、市役所の「お悔やみ窓口」へ行き、健康保険証・限度額適用認定証・介護保険証を返納。葬祭金の手続きもしてくる。遅れて届いた弔電があるという連絡が葬祭会館からあったので、それを取りに行きながら、支払いも済ませてしまう。さらに、年金の関係も電話で処理して、書類を郵送してもらうようにした。この日木曜日は本来の公休日なので、結局忌引き休暇は取らず、水曜午後を早退しただけだった。自分でもよくこれだけ動いたものだと思う。621話「忙しいほど仕事がよくできる」で引用した森田先生の言葉を再掲しておこう。

 能率の事で一番大切な事は、「忙しいほど仕事がよくできる」という事です。和歌・俳句のようなものでさえも、「暇になったら上等のものを沢山につくってやろう」と考えるのは、大きな思い違いです。実際にそうなってみれば、実は気が抜けて、ちっともできない。よい思いつきや思想などもみなその通りである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.759)

 

2023年3月23日 (木)

神経質礼賛 2088.願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃

 3日前、母が逝った。去年の秋から、転倒による骨折や心不全のため救急車で入退院を繰り返し、今年に入って施設で発生したクラスターのためコロナ罹患。何とか持ちこたえたが、その後、誤嚥性肺炎を起こして危ない状態が続いていた。妻・弟と一緒に面会した際には、酸素マスクを着けてあまり言葉が出なくなっていたけれども「今度来る時に虎屋の羊羹を持って来るね」というと目を輝かせてにっこり笑ってくれた。施設での看取りをお願いしていたので、訪問診療の医師や看護師さんから毎日、電話で状況が報告されていた。一週間後、この前の日曜日に羊羹を持って行ったが、もはや声掛けには反応せず、目を閉じたまま浅い呼吸をするばかりだった。その日の夕刻、看護師さんから下顎呼吸になりました、との報が入り、いよいよだなと思った。次の20日午後に亡くなった。享年91歳。農家の生まれで、親からは「女に学問はいらない」と言われて男兄弟が大学に行かせてもらっているのに近所の商業高校に入れられて悔しい思いをした。夫が亡くなり、息子である私が会社員を辞めて医大に入りなおしたのを見て、短大の栄養学科に入学した。60歳で卒業してからは、栄養普及や精神障碍者のためのボランティア活動を続けていた。己の性を尽くし人の性を尽くし物の性を尽くす。まさに生き尽くしての大往生だったと思う。

 今、桜が咲き始めている。西行が「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」と詠い、亡くなったのは、新暦で言うとちょうど今時分にあたる。亡くなる時は選べないけれども、母らしくいい時に逝ったと思う。昨日通夜で今日これから葬儀である。棺の中には食べることが叶わなかった虎屋の羊羹を入れて送ろう。

 

2023年3月19日 (日)

神経質礼賛 2087.そんなもんなんですねえ

 マスク着用義務が緩和され、新幹線には大きなキャリーバックを携えた旅行客が増えてきた。旅行関連の折り込みチラシが増え、長らく運休していた高速バスの運転再開のチラシも入ってきた。少しずつコロナ前の日常に戻りつつあるのは喜ばしい。

 不安障害で通院中の方。ツアーの添乗の仕事をしていたが、コロナ禍で仕事がなくなっていた。その上、息子さんが海外勤務になり、当地のコロナ流行のため長いこと帰国ができず、ネットで連絡を取るだけになっていつも心配されていた。一昨日、外来受診された時は満面の笑顔で入って来られた。息子さんが国内勤務になり帰国するのに合わせて旅行に行ってきたとのことだ。1日2回くらい不安時頓服の抗不安薬を飲んでいて薬の残量をいつも気にしていたが、旅行に行っている間は一回も飲まなかったとのこと。飲むことをすっかり忘れていたそうである。「そんなもんなんですねえ」と仰る。その上、このところツアー添乗の仕事の依頼が舞い込み始めているとのことである。「そんなもんなんです」と私もそれに合わせて答える。次の診察予約は大分先にしておいた。
「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.386)という森田先生の言葉が頭に浮かぶ。

 

2023年3月16日 (木)

神経質礼賛 2086.風呂給湯器が故障?

 夕食後、洗い物をしていた妻が大騒ぎを始めた。給湯器がおかしい、と言うのだ。電源が入っている時に時刻が表示されるところが「888」と点滅表示となっている。電源を一度切って入れなおしても変わらない。ベランダに出て、給湯器本体のコンセントを抜いてしばらくしてから入れなおしてみるが同じことである。「お風呂に入っていて水しか出てこなくなったらどうしよう」と言うが、風呂の給湯も普段通りできている。しかし、何かの警告サインであることは間違いないだろうから気味が悪い。8年前ほど前に、家の外壁塗装をしたついでに全てのエアコンと給湯器を買い替えている。給湯器の寿命は10年という話もあるけれども、壊れるにはちょっと早い。取扱説明書を引っ張り出してきて、アラーム表示の番号表を探してみるが、「888」などという番号はない。その日はとりあえずアラーム表示のまま使い、翌朝、メーカーであるP社の修理受付センターに電話してみる。なかなか繋がらず、3分以上待ってようやく担当者と話ができた。

 「888」の点滅表示は、製造後10年経過して、(有償の)点検を受けてください、というサインとのことだ。「どうしますか」と聞かれる。そういえば、7年間の保証期間が切れた時に有償点検の案内ハガキが送られて来ていたことを思い出した。「とりあえず、当分はそのまま使ってみて、調子が悪くなったら買い換えますよ」と答える。アラームの解除方法を教えてもらう。風呂場のコントローラの電源を入れ、温度調整の下向きボタンを長押ししながら「運転」ボタンを押すとピピと鳴って表示が消えます、とのことで確かに消えた。やれやれ。この警告は今後も1年ごとに出るのだそうだ。取扱説明書のどこかに記載しておいてほしいものだ。

 

2023年3月12日 (日)

神経質礼賛 2085.ゲラ刷り

 3日前、白揚社から「ソフト森田療法の初校ゲラを発送します」というメールが入る。編集者から「ゲラ刷りを行わずWord画面上で行う方法もありますがどうしますか」と以前に聞かれていて、「画面上の処理は自信がないので」と答えると従来通りのゲラ刷りが作られたのだ。普段、電子カルテの「御守り」で目が疲れ切っているから、パソコン上の作業はなるべく避けたい。ゲラとは英語のガレー船(galley・地中海で使用された軍船)に由来するそうである。活字の組版で使われる枠箱のことで、その枠箱で印刷されるためし刷りを意味する。

  昨日、仕事を終えて帰宅すると宅急便が届いていた。開封すると2ページ見開きB4版で刷られた原稿が入っている。「特に締め切りはございません」と書かれているが、早く処理しなくては、という気持ちになる。「全般にとても読みやすく、こちらからの提案も少なめとなっています」とお世辞も添えられているけれども、それなりに直しが入っている。自分では十分にチェックしたつもりでも見落としが結構あるものだ。さらに送り仮名や漢字にするか平仮名にするか統一が取れていないところも揃える必要がある。例えば「よい」は「良い」、「とき」は「時」、「事」は「こと」に統一する、数字はすべて漢数字にする、というようなことで、原稿の最初にその一覧表が添付されている。以前に『神経質礼賛』制作時にはこの一覧表はなかったから、出版技術の進歩でいろいろ自動化されてきているのだろう。これから1~2週間が神経質の勝負所。いよいよ『ソフト森田』も8合目まで来たな、という感じである。

 

2023年3月10日 (金)

神経質礼賛 2084.春のミニミニコンサート

 2年間勤務された副院長の女医さんが今日で退職される。そこで、職員が食事をするホールで昼休みの後半に送別のミニミニコンサートを行おうと企画した。事前に事務部門や経営サイドに許可を求めたところ、「何でそんなことをするんですか」と冷ややかな答えが返ってきた。昨年末には職員や入院患者さんのコロナ感染が相次ぎ、対応に追われた。その後遺症で病院全体が「コロナ疲れ」の沈滞ムードに覆われているのを強く感じている。そこで、それを払拭したいのだ、ということを説明して、ようやく認めてもらえた。

 歌や管楽器と異なり、弦楽器では感染リスクは極めて低いとはいえ、ここ2年間、クリスマスの演奏も自粛してきた。普段、職員が「黙食」している場で演奏してしまうのだから、ちょっとスリリングである。曲目は2年前に認知症病棟で演奏(1826話)したものに準じている。2曲目を「花は咲く」から「卒業写真」に変更し、①ヴィヴァルディ『四季』から春の第一楽章 ②卒業写真 ③千本桜 ④ジュ・トゥ・ヴ というラインアップにして、12:40頃開始という予定でいた。今日は外来担当日で、11時の予約なのに12時過ぎに来院する遅刻常習犯が二人いる日だ。うち一人は日記指導をしている強迫の人でとても時間がかかる。間に合うかどうかヒヤヒヤものだ。何とか開始5分前に外来を終え、すぐに楽器を出して弾き始める。主賓の女医さんが近い席に座り、すでに食事を終えている職員さんたちも集まって来て立見である。ごく簡単な②で集中力が途切れ、早く終わってしまい、伴奏だけが鳴り続けるという失態を演じてしまったが、後は何とか無難に切り抜けた。皆さんに喜んでいただけたのが救いである。自分も昼食を食べ、書類書きなどの仕事をしてから、今度は慢性期病棟に行き、患者さんたちの前で同じプログラムで演奏した。慌ただしかったが、やって良かったと思っている。

 

2023年3月 9日 (木)

神経質礼賛 2083.オドオドして恥ずかしがつて居ればよろしい

 人とのコミュニケーションが取れないといって悩んでいる人がいる。中学校は完全に不登校。その後、長年ひきこもっている。たまに家族に連れられて買物に行く以外は全く外出しないし、家族以外の人との交流もほとんどない。家族から生活上の注意を受けると、キレてしまう。主治医の先生が不在の時に受診したので、私が代診した。終始、下を向いていて視線を合わせることはないが、質問にはポツリポツリ答える。「初めてお会いしたのによく話せましたね」と言うと、「緊張してます」と答える。「それでいいんですよ。緊張してもコミュニケーションが取れていますよ」と話す。

 森田先生は視線恐怖の人からの手紙に次のように返事している。

眼つきの鋭くなるのが氣になる(偶然、風呂上りの男性客の性器に目が行ってしまってから、視線恐怖になった女性からの手紙に対する返事)
「顔が上げられなくなる」其のまゝでよろしい。強て勇氣を出して、顔を上げやうとせず、オドオドして恥かしがつて居ればよいのです。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.417)

 人と対面する時、話す時に緊張してドキドキする。そして、人が自分をどう見ているか、人の視線が気になる。それは、多かれ少なかれ、誰にでもあることだ。自分は気が小さくて情けない、もっと気を大きくしなくては、大胆にならなくては、などと考える必要はない。気が小さいまま、オドオドしながら、弱いままに、仕方なしに必要なことをやっていけばいいのである。

 

2023年3月 5日 (日)

神経質礼賛 2082.スギ花粉「満開」

 日が長くなり、春らしさを感じる日が増えてきた。その代わり、悩ましいスギ花粉症真っ盛りである。目は痒くてショボショボで、仕事にも支障が出る。コロナ対策でマスクをずっとしていて花粉の吸いこみが少ないためか、鼻の症状は比較的軽い。このところ治療薬の抗ヒスタミン剤はだんだん眠気が少なくて効果の高い薬が発売されてきた。前の勤務先ではビラノアという薬を処方してもらっていたけれども、現在の勤務先にはそれがなく、その前のザイザルのジェネリック薬に戻っている。15年前には花粉症対策にレーザー手術を受けたが効果は長続きしなかった(281話)。手術そのものは楽だが、その後1週間はひどい鼻閉に悩まされたので、以後は受けていない。私の場合、スギだけでなくヒノキ花粉症もあって、5月後半までつらい日々が続く。

 外来通院中の患者さんたちもこの時期になると、我も我もと内服薬や点鼻・点眼薬を希望される。最近見たニュース番組では、スギ花粉症の有病率は年々上昇して4割を超えたそうである。特に今年の花粉飛散量は多いらしく、ついに花粉症デビューしてしまったという話もちらほら聞く。今年は薬の効きが悪いという人も少なくない。一番の対策は、やはり花粉が多く飛んでいる時は外出を避けることである。そして、帰宅時は衣服や髪をよく払い、家の中に持ち込まないようにすることだ。日中は花粉の飛散が多いが夕方になればいいだろうと思っている方が少なくないと思う。ここが盲点で、実は夕方18時頃になると、上空に舞い上がった花粉が下りてきて、二度目のピークとなる。私は駅のホームで帰りの電車を待っている時間帯なので残念ながら避けようがない。皆様も油断しているとやられてしまうので御注意いただきたい。

 

2023年3月 2日 (木)

神経質礼賛 2081.夕刊配達の終了

 外来通院中の方で当年75歳、夕刊の配達をしているという女性がいる。近隣の約70軒に歩いて1時間ほどで配達し終えるのだそうだ。「寒い日や暑い日や雨の日は大変ですね」と言うと、「いえ、ちょうどいい運動になります」という答えが返ってくる。ところが、年明けの外来診察日にお聞きした話だと、この3月で配達の仕事を辞めることになりましたとのこと。急に習慣が変わってしまうからこれからどうしようか考えていますとも言われる。やはり、年齢と共に体力的に厳しくなってきて辞められるのかなあ、と思っていた。すると、先月の終わりに新聞と一緒に販売店からのお知らせの紙が入っていた。コスト上昇など諸般の事情により、今までのように夕刊を配達するのが困難な状況になったため、4月から夕刊単独の配達は中止して、翌朝の朝刊と一緒に配達するようになる、ということだ。この女性の個人的な問題ではなかったのだ。

 今までも山間部などでは夕刊を翌朝の朝刊と一緒に配達するということが行われていた。しかし、市街地でもそうなってしまうとは。ますます新聞離れが懸念される。確かに夕刊は薄くて読むところが少ないが、時々面白い特集記事やコラムもあって、次の日の配達では寂しい。当分は翌朝配達でも夕刊を継続してみてメリットが少なければ朝刊だけの契約に変更しようかとも思っている。

 

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