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2023年3月26日 (日)

神経質礼賛 2089.忙しいほど仕事がよくできる(2)

 ここ1週間、目の回るような忙しさだった。昨日、仕事を終えて帰宅してほっと一息である。月曜日の午後に母が亡くなってから葬儀社に電話して施設から遺体を搬送してもらい、打ち合わせ。夜にお寺に行ってまた打ち合わせ。以前、一度危篤状態になった時にあらかじめ連絡はしてあったのでスムーズに事が運んだ。次の火曜日は朝から精神科救急日直・当直で替わってもらうわけにはいかないので、前日のうちに葬儀の段取りをつけておいたのだった。救急では入院受けがあって、ドタバタである。病棟では高齢の患者さんの急変があって、死亡診断書を書いて御家族に説明する。前日に母の死亡診断書を訪問クリニックの先生に書いていただいたばかりで、つくづく因果な商売だなあ、と内心苦笑する。水曜日の午前は以前から私が受ける予定の患者さんの入院受けがあって、診察してから指示を出し終えてから昼過ぎにようやく仕事場を後にする。帰宅してすぐに黒服に着替え、通夜に臨む。コロナの影響で3年程会っていなかった叔父・叔母・従兄弟たちが参列してくれていた。木曜日は朝8時半から葬儀。喪主挨拶では緊張したが、何とかできたからよしとしよう。10時出棺。大量の生花とともに、虎屋の羊羹と『神経質礼賛』を棺に入れて送り出す。モタモタしていて『ソフト森田療法』が間に合わなかったのが悔やまれる。火葬場へと向かう土手沿いの桜が5分咲きになっていた。心配された雨も小降りで済んだ。「いい日旅立ち」である。無事に火葬を終えて、遺骨とともに帰ってきた。すぐに着替えて、市役所の「お悔やみ窓口」へ行き、健康保険証・限度額適用認定証・介護保険証を返納。葬祭金の手続きもしてくる。遅れて届いた弔電があるという連絡が葬祭会館からあったので、それを取りに行きながら、支払いも済ませてしまう。さらに、年金の関係も電話で処理して、書類を郵送してもらうようにした。この日木曜日は本来の公休日なので、結局忌引き休暇は取らず、水曜午後を早退しただけだった。自分でもよくこれだけ動いたものだと思う。621話「忙しいほど仕事がよくできる」で引用した森田先生の言葉を再掲しておこう。

 能率の事で一番大切な事は、「忙しいほど仕事がよくできる」という事です。和歌・俳句のようなものでさえも、「暇になったら上等のものを沢山につくってやろう」と考えるのは、大きな思い違いです。実際にそうなってみれば、実は気が抜けて、ちっともできない。よい思いつきや思想などもみなその通りである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.759)

 

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コメント

お母様のこと、お悔やみ申し上げます。
虎屋の羊羹、好物をさっと思い出せるのは日頃のお世話があればこそです。
お母様は晩学で志を果たし自己実現を遂げられました。
立派な生涯に、桜の下の大往生でした。 合掌

たらふく 様

 お悔やみいただきありがとうございます。

 最期まで生の欲望を燃焼し続けた人だったと思います。私もあやかりたいと思います。

 四分休符先生

 確かに忙しいほどあれこれと動けるものです。余計な事を考えずに効率的に動こうとすることが第一になりますので。

 私の父がぽっくり逝ったのが一昔前ですが、1月4日深夜。仕事始めの日です。現場検証が終わったのが明け方。朝一番に会社へ忌引き届け。私の場合、同居だった為5日間の忌引きでした。会社からは「いつ出勤してくるのか」と無茶ぶり。零細企業では担当が決まっていますので仕事が滞るのです。断絶している姉一家は非協力的、母はボー然。私一人であれこれと動くしかなかったのです。

 明けてまぁ無事済ませて出勤日にちょうど予約・歯科検診に行きましたら、血ダラダラ。「疲れていますか?」訊かれて、あぁ、そういえば...疲れは感じていなかったのですが、身体は正直なのだ、と思った記憶があります。

 先生は忌引きも取られずに喪主として動かれた由。

 精神的にはともかく、お体にはお気をつけあそばして下さいませ。お医者様に言うのもはばかられますが、春時雨、花時雨、花冷えとあらば更に体調気遣って下さいますように。

 返信には及びません。四分休符先生が変わらずに勤務されておられれば、それに越した事はありません。 お疲れが出ません事を。

yukimiya 様

 御心配いただきありがとうございます。昨夜の当直は運よく(?)夜中のコールがなかったので、7時間も爆睡しました。ちゃっかりどこかで休んでいるものです(笑)。yukimiya様も父上の御逝去の際は大変な思いをされたのですね。お察しします。大企業ならば喪主だと1週間程度の忌引きを取れるのですが、人手の足りない職場だと休むわけにもいきませんね。中小病院の医師の場合も替えが利かないので休むわけにはいかないです。今の病院に移って3年間有休は一度も取っていないです。「働き方改革」とやらは絵にかいた餅に過ぎません(苦笑)。

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