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2023年4月 2日 (日)

神経質礼賛 2091.「負けるが勝ち」の「今川さん」

 静岡に住んでいると、非公式キャラの「今川さん」に時々お目にかかる。地下から静岡駅に上げるエスカレーターの両側には、犯罪への注意を喚起する「今川さん」のシールが貼られている。普通のかわいらしい御当地ゆるキャラとは異なり、目が吊り上がり、左眼からは涙がこぼれ落ちている。海道一の弓取りの異名を持ち、文武両道に秀でた今川義元公をモデルにしているらしい。御存知の通り、桶狭間で織田信長の奇襲攻撃に遭って命を落としてしまったがために、後世に「公家かぶれ」という汚名を残してしまった。もっとも、合戦に化粧して臨んだのは身分の高い武士にはありうることだったし、輿に乗っての進軍は家格の違いを見せつけるためのパフォーマンスだったとも言われる。そこで、無念の涙を流す自虐キャラが出来上がったのだろうか。その嫡男の今川氏真は、掛川城の籠城戦で家康と和睦して、妻・早川殿の実家の北条家の庇護を受け、戦国大名としての今川家は終焉を迎えた。のちには家康に臣従している。これまた蹴鞠にうつつを抜かして家を滅ぼしたように言われてしまっている。キャラの氏真はサッカーボールを蹴っている子供として描かれている。

 しかし、戦国大名ではなくなっても、今川家は立派に存続し、江戸時代も高家旗本として繁栄して明治維新を迎えているのである。和歌や蹴鞠を得意とし、公家文化や宮中行事の知識に精通していて、平和な世では、皇室や公家との交渉役として欠かせない存在になっていたからである。戦いに敗れて武士としての体面を重んじて最期を遂げた名将も数多くいるけれども、生き延びて別の活路を見出して、子々孫々活躍していけたのは「負けるが勝ち」に他ならない。武士たるものはかくあるべし、という強迫観念を捨てて、あるがままの自分を肯定してこそできたことである。

 

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コメント

 今川義元のこと。「公家かぶれ」と後世噂されたとか。小生、神経質の資質?を発揮して桶狭間の戦いを自分勝手に考えたことがあります。清須城址から桶狭間まで車に乗せてもらって走ったことがあります。かなりの距離で、途中信長は名古屋市の熱田神宮へ立ち寄ったといわれていますが。
 文武両道に秀でた今川義元が、先発に多くの密偵を放っているでしょうし、山岳地帯でもあるまいに信長軍が東上してきたことに気が付かなかったはずはないと思うのです。
 これは、信長が表敬訪問と偽って少人数で桶狭間へ出かけたのではないか、そして家来の侍たちを船で津島(信長の父が支配)から熱田へ送り込んだのではないか、と推測しました。表敬と戦と両面を考えていたと。ただ、当時津島から船を出した記録がないと地元の郷土史家は言っています。
 私は、今川は信長の表敬挨拶を待っていたのに、いわばだまし討ちにあったのではないか、と考えています。この時の秀吉の行動は不明ですが、東海道の今川軍を街道に酒樽をすえ歓迎の接待をしていたといいます。
 こんなことを想像するのですが、この説はどの専門史家はとりあげていませんから妄想かな。(笑)
 大佛次郎氏も清須城から桶狭間まで車で走ってみて随分距離があるな、と思ったそうです。

神経質 様

 なかなか面白い仮説です。以前、信長は実は女性だったという仮説に基づいた『女信長』という新聞連載小説があって、驚いたものです。神経質様の説も小説ネタに使えるかもしれませんね。

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