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2023年5月28日 (日)

神経質礼賛 2110.アプリ払い

 高校同窓会の会報が春と秋に送られてくる。同窓会の集まりや部活OB会などの話題に加えて、春は教員の異動・大学合格者数の話題、秋はスポーツ大会、特に野球部の試合成績が取り上げられている。8ページの春号の後ろ3ページは卒業期ごとに同窓会維持費拠出者名が載せられている。そこに名前が載っているということは元気にしているということである。維持費は郵便局で払い込むのだが、今回の記事にはアプリ払いによる拠出者が別枠に記載されていた。後期高齢者の方々も利用されているようである。

 「電子マネー」の記事(1393話)を書いてから7年ほど経った。その後、キャッシュレスに誘導するためのバラマキ政策が次々と打ち出されたこともあって、急速に普及してきた。ほとんど現金払いだった私自身、電車バス、セルフのガソリンスダンドだけでなく、スーパー、ホームセンターのプリペイドカードを作ってしまった。美術館も予約制になるとともに入場料はカード払いになってしまっては、それに従わざるを得ない。かつては年末から年始の間に現預金のチェックを行い、現金出納帳に記載もれがないか調べていた。たいてい、記載漏れによる不足が生じており、それを清算して新年を迎えていたものだ。もはやそれは不可能となっている。まだやっていないが、アプリ払いまで始めたら、ますますわけがわからなくなるのではないかと心配である。

 「キャッシュレスの落とし穴」(1688話)に書いたように、キャッシュレスには死後の問題や認知症になった場合の問題がある。そうでなくても、財布の「見えない化」により、自分が一体いくら持っていていくら使ったのかわからなくさせる問題がある。金銭感覚を麻痺させてしまうのだ。プリペイド残額が少なくなって現金でチャージをする時には意識するけれども、オートチャージのアプリ払いではそうはいかない。ポイントの餌に釣られてついつい遣い過ぎてしまうことも起きやすい。外来の患者さんで浪費のために困ったことになっている人の話をよく聞く。神経質が足りないと大変なことになる。

 

2023年5月25日 (木)

神経質礼賛 2109.相続税の申告

 母親の銀行預金・ゆうちょ通常貯金の相続手続き・生命保険の死亡保険金受取・生協脱退による出資金返還などが完了した。それらを合わせても、基礎控除額の半分にも満たないので、全く相続税の対象外であり、税務署への申告は不要である。相続税の申告期限は10か月以内。父が亡くなった時も、基礎控除範囲だったため申告しないでいたら「お尋ね書」が送られてきて私が書いて郵送した記憶がある。財務省のホームページに「相続税の申告要否の簡易判定シート」というものがあって、これに入力していくと、最終的に「相続税の申告要否検討表」という3枚の書類がプリントアウトできた。忘れていて税務署からのお尋ねが来て慌てるのも困るので、これを持って税務署に行くことにした。今日は自分自身の市立病院受診日だったので、それを済ませてからすぐ隣の税務署へ寄ってみる。確定申告の時と異なり、来署者は誰もいない。窓口の人もこんなものを提出する人はいないためか戸惑っている。とりあえず受け取ってもらった。

 出かけた足で、そこから遠くない茶町へ向かう。例年、新茶を送り、家で使うお茶もまとめ買いをする時期だ。以前はこの町を歩いていると新茶のいい香りや、ほうじ茶を作っている香ばしい匂いが漂っていたものだが、近頃はお茶の消費が低迷しているためか、お茶屋さんも減ってしまっているような印象がある。今年はクラス会で久しぶりに会ったお茶屋のK君の店で買うことにした。K君は農学部大学院博士課程で学んだ後、地元に戻ってお茶屋を継ぎ、奥さんと二人三脚で仕事をしながら、地元の短大で講師をし、お茶文化を広げる活動をし、今も次々と研究論文を書いている。こういう人と話をしていると、とても触発される。

 

2023年5月21日 (日)

神経質礼賛 2108.マスクのない日常

 新型コロナの5類移行に伴い、マスクのない日常に戻りつつある。道行く人々もマスクなしが増えて来た。電車の中ではマスクをしている人が多い。TV番組のクラシック音楽館で最近のオーケストラの演奏を見ていると、弦楽器奏者では減ってはきたがマスクをしている人がまだいる。職場では入院患者さんの面会・外出・外泊がようやく可能になった。ただし、外部の人との接触状況によっては感染防御のために帰院後に部屋を替わっていただく場合がある。そして、新規入院の方のコロナウイルスの定性検査は続いている。職員のマスク常用は変わりない。出勤時と退出時の1日2回検温して記録用紙に記入していたのが出勤時だけに緩和されている。院内にコロナを持ち込んだら大変なことになるので、まだまだ油断はできない。マスク常用はもうしばらく続くことになるだろう。

 先日のクラス会の写真集がメールで送られてきた。会場内では途中から皆マスクを外していたから、しっかりいい笑顔で写っている。長いことマスク常用が当たり前だったから不思議な感じもするが、これが本来の姿だよなあ、と思う。

 新型コロナ流行以前は精神科ではマスクをする習慣がなかった。マスクをしていると表情が伝わりにくくなる。対人恐怖の人の場合はマスク常用で少し気持ちが楽だったことだろう。密を避けるためにイベントが中止されて人と会う機会も少なくなっていた。マスクなしの日常が戻ってくると、女性はお化粧に時間がかかるようになり、対人恐怖の人は苦手な場面が増えるかもしれない。

 

2023年5月20日 (土)

神経質礼賛 2107.脚下照顧

 今年度、町内の組長の番が回ってきた。年度初めの引継ぎの会合には私が出た。まずやることは町費の集金である。これは妻がやってくれていた。これから神社の草取り、祭りの準備などいろいろ出なくてはならないから、手分けしてやっていくことになる。仕事から帰ってくると、同じ組の中でいつも不在の家があって、その家だけまだ町費をもらってない、と妻が言う。 「今、その家の前を通ったら電気が点いていたよ」と私が言ったら、「ほんと?じゃあ、すぐ行ってくる」と妻はすっ飛んで出て行った。それから1分後に騒ぎが起きた。その家の前の駐車場の車止めのコンクリートに躓(つまづ)いて転倒して、左顔面を強打したというのだ。集金はできたが、家に戻って玄関の鏡で自分の顔を見てびっくりしている。左眼の少し外側と左膝を切って出血している。鼻血も出ている。不幸中の幸いで、眼には問題なく、鼻血はすぐ止まり、頬骨骨折もなさそうであり、医療機関を受診するほどではなかった。普段から「亥年生まれだから」と猪突猛進ぶりを自認している人であるが、私も人のことは言えない。商店の前の駐車場の車止めに躓いてコケたり新しい革靴に傷を付けてしまったりしたことがある。

 よく禅寺の玄関に脚下照顧と書かれた額がある。日々の暮らしの足元を照らし顧みよ、という戒めの言葉である。高齢者の仲間入りをした私や妻の場合はそんな深い意味よりまずは単純に足元注意ということになるだろう。森田先生は次のように言っておられる。
「捉はれ」とは、物事の或る一方面のみに注意するため、其全般を観ることが出来ず、之に対する適切なる処置を採ることの出来ない事をいふのである。下を見て歩けといはれて、クヾリで額を打ち、上を見なければいけないと思って、物に躓くやうなものである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.400)
一方ばかり見ていないで四方八方に気を配りなさい、ということなのである。

 

2023年5月18日 (木)

神経質礼賛 2106.カバー絵

 『ソフト森田療法』の出版準備は1月半ほどストップしていたが、ゲラ再校が終了。編集者さんからは本の表紙カバーのデザイン案が送られてきた。4案のうち2案は茂った木々、緑の木の葉をデザインしたもの、もう一案はタンポポの花、最後が殻付き落花生の絵だった。最後のものがロゴデザインや配置が一番よいと思ったが、本の内容と殻付き落花生との関連がどうしても思い当たらない。タンポポは暖かさや力強く生きる様がピッタリであるけれども、渡辺和子著『置かれた場所で咲きなさい』の文庫本カバーに使われているので避けたい。そこで、最後のもので、絵を差し替えられないかとお願いしている。差し替える絵のテーマは青もみじと楓花(ふうか)である。

 ちょうど6年前、京都国立博物館で海北友松(かいほうゆうしょう)の展覧会を見た後、智積院の長谷川等伯の絵を見に行った(1386話)。境内は新緑が見事だった。もみじの木が多くて、秋だったら美しい紅葉が楽しめるだろうに、ちょっと残念だなあ、とまず思った。しかし、青もみじをよく見るとかわいらしい赤やピンクのプロペラ型の楓花を付けているのに気付いた。これもまた素敵である。この羽部分の片方には種が入っている。夏になると茶色く変色して、風に乗って竹とんぼのように回転しながら飛翔していくのだそうだ。そして遠く離れたところで芽吹くのだ。自然の仕組みにはただただ感嘆するばかりである。森田療法の考え方も同様に広がって行ってあちこちに根を下ろしてほしいと思う。

 

2023年5月14日 (日)

神経質礼賛 2105.クラス会

 昨夜は高3の時の恩師の米寿祝・クラスメートの日本学士院賞受賞祝の高校のクラス会があった。クラスのメンバーで集まるのは何十年ぶりだろうか。同じ学年が集まる同期会はあったが、それもコロナの影響でここ3年は開かれていなかった。53人のクラスで26人が集まった。5人逝去しているから過半数である。地元に残っている人は少ない。卒業後初めて顔を合わせた人も何人かいた。その大方は医師で多忙のため動きが取れなかった人たちである。そのうちの一人は同じ弦楽合奏部で部長をしてチェロを弾いていた男だ。チェロはあるけれども全く弾いていなくて「今はこれだよ」とポケットからハーモニカを出して見せる。クリニックを開業していて、お年寄りの患者さんたちの前で演奏することが多いという。これならいつでも持ち歩けて良さそうだ。私もポケットに入るソプラノのオカリナを持ち歩こうかなとも思う。

 恩師はお元気そうな御様子で、昔話に花が咲いた。記念撮影では米寿を祝う金ぴかの衣装と帽子を付けておられ、かわいらしかった。今回、受賞された狩野正伸氏のスピーチがあった。彼はいわゆるガリ勉タイプではなくサッカー部で大活躍していた。それでいて、恩師が解けないような数学の超難問をスラスラ解いてしまうので、天才だと思われていた。数学がまるでできない私から見たら雲の上の人という存在だった。基礎医学の研究者となり、東大教授になった。「みんな、僕がなんの苦労もなくここまで来たと思っているでしょうけど、研究していて全く成果が出なくて、それこそ、どうする、と思ったときがあります。同期で臨床医になった人たちが着実にキャリアを積んで患者さんたちを治していくのに、自分は何も実績がないじゃないかと悩みました」という。それでも地道に実験を続けて今に至ったのである。高校生の時は彼を見て、私は「自分は頭が悪いからどうにもならない」と決めつけていた。それは神経質のヒネクレ・言い訳であって、頭が悪ければそれを補うようにその分、努力するしかないのだ。神経質には粘り強さがあって努力が長続きしやすいから、小さくても何かしら成果を出すことができる。まさに努力即幸福(180話)である。

 

2023年5月11日 (木)

神経質礼賛 2104.もらって困る引物(2)

 昨日、仕事から帰ってくると荷物が届いていた。香典返しの品だった。母が亡くなる直前に父方叔母の御主人が亡くなり、一日葬とのことだったが、こちらも通夜で動きが取れず、香典だけお届けしたのだった。デパートの包装紙を開けてみると「プチプチ」のクッション材で包まれたボール箱が出てくる。割れ物なのかと思いきや箱の中は「ガーゼケット」という夏向きの寝具だった。良いものではあろうけれども使う見込みがないので、押入の枕棚へ直行である。そして、そのまま忘れ去られることになるだろう。枕棚にはそうした香典返しのタオルやシーツたちが鎮座している。

 十年以上前に「もらって困る引物」(761話)について書いている。家族葬の増加、ここ3年ほどはコロナ禍のため葬祭での密集を避けて、規模が縮小化される流れにはなっているが、香典やその引物はあまり変化がないように思う。今回、引物を出す側を経験した。香典を頂いた時に渡す「即日返し」は軽いフリーズドライの味噌汁セットとして、一万円以上の香典を頂いた方には四十九日頃を見計らって「半返し」相当のカタログギフトをデパートから送った。カタログギフトというと結婚式の御祝儀のお返しというイメージがあるかもしれないが、不祝儀用のカタログギフトもあって、カタログ本の表紙は地味な色柄となっている。内容的には肉や酒類の選択肢もあって、もらって困ることはまずないと思われたからだ。ただし、欠点は、重くて分厚いカタログ本は捨てることになるのと、申込期限があるから忘れてそのままになってしまう恐れがあることだ。本当は香典や引物の習慣はもっと簡略化されるのが望ましい。

 

2023年5月 8日 (月)

神経質礼賛 2103.ぴーなっつ最中

 先日、千葉県に住んでいる弟が来た時に、ぴーなっつ最中をお土産にもらった。千葉県の名産品と言えばやはり落花生。以前はよく新物の殻付き落花生をもらっていた。C国産とは比べ物にならない香ばしさで味も良かった。しかし、歳とともに歯が弱ってきてナッツ類は敬遠するようになってしまった。食べきれなくて余ってしまうのでストップしてもらっていた。今回はなごみの米屋という製菓会社のぴーなっつ最中・ぴーなっつ饅頭・ぴーなっつパイのセットを持ってきてくれた。千葉の銘菓は思い浮かばないけれども、これは銘菓と呼ぶにふさわしいと思った。外箱は落花生型である。どれも落花生の殻を模した形の皮の中に甘煮したピーナッツ入りの餡子が入っている。個包装の袋には最中は赤色・饅頭とパイは黒色でキャラクター「ぴーちゃん」の顔と手足が描かれていてかわいらしい。

 もう販売されて20年以上経つそうで、結婚式の引き物に使われるという。ピーナッツだから子供に多く恵まれるという縁起もあろう。もちろん、味もなかなか良い。普通の最中だと、口の周りに皮のかけらがくっつきがちだが、この最中の形状はとても食べやすい。1個あたりのカロリーもあまり高くないから体重を気にする人にもいいだろう。開発に至るまでには相当の紆余曲折とそれを乗り越える工夫があっただろうと想像する。

 

2023年5月 7日 (日)

神経質礼賛 2102.何となくさみしい

 外来に通院して来られる年配の女性。ごく少量の抗うつ剤と抗不安薬を服用し、安定した状態が続いている。御主人と二人暮らし。女性向けのジムで汗を流して他の会員たちと談笑し、ボランティアにも出かけ、楽器も吹いている。とても充実した生活が送れているように見える。夜は眠れているし食欲もあって体重は変化していない。話すテンポも良いし、笑顔を浮かべて話される。しかし、「年齢とともに何となくさみしいと言うか、落ち込むことが多くなりました」と言われる。そしてその原因をいろいろ考えてしまう。「天気が悪くなる前が気分が落ち込みやすいです」「自律神経のせいでしょうか」とも言う。

 注意が自分の方に向いて、悪い所探しをされているように思われる。天気が悪いと気分が落ちるのは多かれ少なかれ誰しもある。特に頭痛や腰痛のある人には身体症状が出やすいのは確かである。しかし、天気と結び付けてしまうと、天気予報で天気が崩れると聞くと、気分が落ち込むであろう、体調も悪くなるだろうと予想して、自己暗示にかけてしまうことになる。

 年齢とともに体力や気力は低下していく。そして、自分よりも年上の人たちがだんだん亡くなっていき、時には自分より若い人も亡くなっていく。自分もどうなるかと不安になる。これは避けて通れない。そんな中でも不安はそのままにして生の欲望に沿って行動していくことを説く森田療法は有力な対処法だろうと思う。少しでもできたことを素直に喜び、気分はパッとしなくても、ガッカリしないで「まあ、こんなものだ」と受け流すのが良い。結果的に「あるがまま」になっているのである。

 

2023年5月 4日 (木)

神経質礼賛 2101.四十九日法要の謎

 日曜日に四十九日法要と納骨が済んでほっとしている。葬儀の後、四十九日と納骨の相談をした時に、「お寺での四十九日法要」、「四十九日の朝」と書かれた紙を各1枚渡された。お寺に持っていく物として、花(本堂一対、お墓一対)、四十九日の餅、だんご一対、焼き饅頭10~20個、菓子、果物、お布施、新しく作った位牌と書かれている。お布施は戒名のランクで異なり、「目安です」としながらも、信士、信女が3万5千円、上座、尼上座が4万円、居士、大姉が4万5千円、院号が5万円と記されている。母の戒名は信女であるけれど、5千円は半端な感じがするので4万円にした。花は家の近くの花屋さんに予約。お寺の名前を聞かれて、その仕様で用意してもらい、税込7千円。餅・だんご・焼き饅頭はお寺近くの和菓子屋さんに当日に配達してくれるよう注文。税込6千円ほどで、そのうち餅代が4千円だった。果物は前日にスーパーで2千円ほど購入。さて、「四十九日の朝」と書かれたものは謎だらけだ。海で線香を立て、白木の位牌を海水につけ、ビニール袋に入れ寺へ。海水を汲んで帰り、仏壇に海水を備える、海水を入れた茶碗をお盆に乗せ、海水をまいて家の中を清める、家の周りに海水をまいて清める。これはまず実行不能である。お寺の奥さんに聞いてみると「やらない家もありますよ」とのことだが、これをその通りにやっている家があるのだろうか?

 さて、当日の参列者は私と妻と弟の3人だけである。心配された雨もやんでくれた。花を取りに行ってからお寺へ。3日前にお墓にあげておいた香花は風に飛ばされずにあった。それに色花が加わり華やかになる。本堂で読経・焼香の後、納骨。最後に本堂で「お餅を持って帰って下さい」と餅を渡される。ずっしり重い。2kg以上あるだろうか。こんなに渡されても困ったなあ、というのが正直なところだ。小さな丸餅49個と大きな丸餅1個である。母が住んでいた家の仏壇に10個ほど供えて帰ってくる。その日の夕食に10個食べて、後はラップに包み冷凍である。この餅の意味は、故人の浄土への旅立ちを祝うとか、故人への追善供養だとか種々の説があるようだ。大きな餅は切って手足や胴体などを作り、墓の前で親族がちぎって食べるという風習もあるらしい。家族葬などのように葬儀は簡略にという流れからすれば、こうした習慣は消えていくだろうと思われる。

 

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