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2023年5月20日 (土)

神経質礼賛 2107.脚下照顧

 今年度、町内の組長の番が回ってきた。年度初めの引継ぎの会合には私が出た。まずやることは町費の集金である。これは妻がやってくれていた。これから神社の草取り、祭りの準備などいろいろ出なくてはならないから、手分けしてやっていくことになる。仕事から帰ってくると、同じ組の中でいつも不在の家があって、その家だけまだ町費をもらってない、と妻が言う。 「今、その家の前を通ったら電気が点いていたよ」と私が言ったら、「ほんと?じゃあ、すぐ行ってくる」と妻はすっ飛んで出て行った。それから1分後に騒ぎが起きた。その家の前の駐車場の車止めのコンクリートに躓(つまづ)いて転倒して、左顔面を強打したというのだ。集金はできたが、家に戻って玄関の鏡で自分の顔を見てびっくりしている。左眼の少し外側と左膝を切って出血している。鼻血も出ている。不幸中の幸いで、眼には問題なく、鼻血はすぐ止まり、頬骨骨折もなさそうであり、医療機関を受診するほどではなかった。普段から「亥年生まれだから」と猪突猛進ぶりを自認している人であるが、私も人のことは言えない。商店の前の駐車場の車止めに躓いてコケたり新しい革靴に傷を付けてしまったりしたことがある。

 よく禅寺の玄関に脚下照顧と書かれた額がある。日々の暮らしの足元を照らし顧みよ、という戒めの言葉である。高齢者の仲間入りをした私や妻の場合はそんな深い意味よりまずは単純に足元注意ということになるだろう。森田先生は次のように言っておられる。
「捉はれ」とは、物事の或る一方面のみに注意するため、其全般を観ることが出来ず、之に対する適切なる処置を採ることの出来ない事をいふのである。下を見て歩けといはれて、クヾリで額を打ち、上を見なければいけないと思って、物に躓くやうなものである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.400)
一方ばかり見ていないで四方八方に気を配りなさい、ということなのである。

 

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コメント

 四分休符先生

 私は最近「脚下照顧」を思う事が常でしたので、今回のタイトルにちょっとした驚きを感じました。

 失礼を承知で、4コマ漫画の世界のような「コケよう」で。大過なかったので言えるのでしょう。クスッとしました、そしてあるある、です。大きく転倒しないものの、思いがけずコケる事が多くなったように思います。

 さて、脚下照顧ですが、よく朝顔の前に貼ってあったように思います。私などはふ~ん、てなものです。 ですが、私が最近思うのは脚下照顧が極めて礼節ある行為であるという事についてです。
 
 考えすぎかもしれませんが、今社会現象になっているキリスト教系新宗教の甥っ子達が訪ねてきますと、玄関に靴がバラバラ。中年になってこれか?と思うようです。靴を揃える事。我々年代ですと子供の頃から言われてきたように思うのです。そしてそうであった、と思う。キリスト教文化背景を持つ国はまず靴を脱がない習慣がある。その習慣の違い。靴を揃えるという事が無い。 はぁ~、そういう事か。それにしても日本人じゃろ、靴くらい揃えろ!と心の中で私は言う。

 脚下照顧。それはいにしえの大陸や半島からの伝来。儒教や道教などの礼節、行儀を尊ぶ。宗教ではなく、道徳や生き方指南とでも表現出来ましょうか。

 既に宗教色を廃した隣国は行列出来ないという。道徳が無い?主張がある。それはそれでよき事として(日本は長いものには巻かれろ、付和雷同、寄らば大樹の陰)
それにしても礼節はどうなっているのだろう、と思わざるを得ない。

 こうしてみると森田は極めて日本的な生き方指南とでも言えるように私には思えるのです。禅という考え方は森田には無かったと鈴木先生は言われましたが、鈴木先生は道元の禅思想を相当意識しつと森田療法を行っておられたようです。今、ここに生きる。それは禅的生き方指南です。脚下照顧は一つ一つの行動に気を配るの初歩になります。そしてまたそれは儒教的道徳精神にも繋がると私は考えます。

 日本にはキリスト教は極めて根付くのが難しかった。それには日本には日本の確固とした精神が根底にあったから、とも思えるのです。

 森田療法がかくして日本独特の精神で生まれるべくして生まれたのでは。

 しかし、禅という生き方は仏法や仏典を知らずとも生き方の根本ではあると思えます。その上で慈悲があり、慈愛があったりするのではないでしょうか。禅的生き方が他国で支持される所以と思われます。

 脚下照顧からゴチャゴチャと連ねましたが、大切な事と思っている次第です。

 また別の意味で加齢と共に脚下照顧。気をつけたいものです。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 ほとんど「サザエさん」の状況であります。漫画では大きなペケ印の絆創膏貼るところです。転倒事故には注意です。

 仰るように森田療法は日本的生き方の指南と言えそうです。森田先生は禅ではないと言っておられましたが、禅と重なる部分が大きいし、儒教など他の東洋思想とも重なります。知準先生はさらなり、でしょう。脚下照顧、いい言葉だと思います。

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