フォト
無料ブログはココログ

« 神経質礼賛 2107.脚下照顧 | トップページ | 神経質礼賛 2109.相続税の申告 »

2023年5月21日 (日)

神経質礼賛 2108.マスクのない日常

 新型コロナの5類移行に伴い、マスクのない日常に戻りつつある。道行く人々もマスクなしが増えて来た。電車の中ではマスクをしている人が多い。TV番組のクラシック音楽館で最近のオーケストラの演奏を見ていると、弦楽器奏者では減ってはきたがマスクをしている人がまだいる。職場では入院患者さんの面会・外出・外泊がようやく可能になった。ただし、外部の人との接触状況によっては感染防御のために帰院後に部屋を替わっていただく場合がある。そして、新規入院の方のコロナウイルスの定性検査は続いている。職員のマスク常用は変わりない。出勤時と退出時の1日2回検温して記録用紙に記入していたのが出勤時だけに緩和されている。院内にコロナを持ち込んだら大変なことになるので、まだまだ油断はできない。マスク常用はもうしばらく続くことになるだろう。

 先日のクラス会の写真集がメールで送られてきた。会場内では途中から皆マスクを外していたから、しっかりいい笑顔で写っている。長いことマスク常用が当たり前だったから不思議な感じもするが、これが本来の姿だよなあ、と思う。

 新型コロナ流行以前は精神科ではマスクをする習慣がなかった。マスクをしていると表情が伝わりにくくなる。対人恐怖の人の場合はマスク常用で少し気持ちが楽だったことだろう。密を避けるためにイベントが中止されて人と会う機会も少なくなっていた。マスクなしの日常が戻ってくると、女性はお化粧に時間がかかるようになり、対人恐怖の人は苦手な場面が増えるかもしれない。

 

« 神経質礼賛 2107.脚下照顧 | トップページ | 神経質礼賛 2109.相続税の申告 »

コメント

四分休符先生

僕はもう去年の春ごろからマスクを着用していません。
もちろん、「密」になる場面や、医療機関など、着用が推奨されているところでは着けていましたが、そのほかの場面では、ほとんどマスクを外して生活をしていました。
ウイルスの性質もだいぶわかってきて、適切な対策をして適切な行動をとっていれば、感染させる可能性も感染する可能性も低いと判断したからです。

「人との距離がある場合はマスクをする必要はない」――政府もそのようにアナウンスしていました。
にもかかわらず、つい最近まで道ゆく人の多くがマスクを着用していました。
昨年の夏も、周囲に誰もいないのに、炎天下でマスクを着けて我慢して歩いている人を数多く見かけました。とくにお年寄りの姿を見ると、「熱中症で体調を崩すのでは」と心配になりました。それに自転車やバイクに乗っているのに、ひとりで車を運転しているのにマスクを着用している人の姿も。

くしゃみや咳は別として、黙っていれば飛沫を飛ばすおそれはない。けれど、空いている電車内でも、映画館でも、ガラガラの美術館でも、そして前述のように、ひとりで道を歩いたりしているときも、ほとんどの人がマスクを着用していました。

かと思えば、その一方で、飲食店では大勢の人がマスクを外して会話をしながら飲食を楽しんでいました。
どちらが、感染リスクが高いかは考えるまでもないことです。みんな、黙っている場面でマスクを着けて、飛沫を飛ばすところでマスクを外して平気な顔をしている。僕はもうわけが分からなくなりました。

もうずいぶん前から、欧米諸国ではマスクを着用していないと聞きます。
実際、大会場でプーチンの演説を聞くロシアの人々も、戦場となったウクライナの人々も、満員のスタジアムで応援する大リーグやサッカーの観客たちも、テレビで見るそれらの人々は誰ひとりとしてマスクをしていませんでした(岩田真理先生のブログでは、アフリカで行われたある会議で、日本から参加した一団だけがマスクを着用していて、それを他の国の参加者が面白がって撮影していた、という新聞記事が紹介されていました)。でも、日本では、いまだに多くの人が……。まったく不思議な話です。「新型コロナって、いったい何なんだろう?」と思ってしまいます。

「マスク着用は個人の判断」となった後も、マスクを外さない(外せない)人が多くいました。
マスコミの取材で、「なぜ外さないのか?」との質問に、ほとんどの人が「他人の目が気になるから」と答えていました。
本当はもうマスクを外したい人が多いのに、なぜそうしないのかというと、「みんなが外さないから外さない」という、笑い話のような、なんともヘンテコな現象が日本全土を覆いました。

マスクをする一番の目的は、人にうつさないためでしょう。
本来の目的である「感染防止」から、それが、いつの間にか、周りから白い眼で見られないために「みんなと同じにすること」に目的がすり替わってしまった。
日本人がこれほどまでに他人の目を気にするとは、思ってもみませんでした。

森田正馬先生は、あまりひとの目を気にしないかただったと聞きます。
晩年、足腰が弱った先生は、近所の人に何と思われても平気だというように、リアカーの荷台に乗って外出されたりしておられたようですね。
そんな、「実際」や「事実」を重んじられた森田先生が、コロナに付随するこの一連の奇妙なマスク現象をご覧になったらどう思われるだろうか、と僕は通りを歩きながら度々考えます。
森田先生なら、なんと言われるでしょうか?

追記
数日前に、テレビで浅草の三社まつりの映像を見ましたが、それこそ大勢の人が「密」になってマスクなしで、大きな掛け声を発し、(おそらく飛沫を飛ばしまくって)神輿を担いでいました。
「コロナってほんまに何なんやろう?」と思ってしまいます。

※いそいで書いたので、まとまりのない文章になってしまいました。すみません。

クヌギタ 様

 コメントいただきありがとうございます。

 マスクをするしないは合理性を考えて決めればよいことです。ただし、組織としての整合性は必要なので、病院の場合、院内の感染委員会が対応を決めていて、マスク常用、会食禁止、入院患者さんは全員コロナ検査とされてしまうと、一人だけ逆らうわけにもいきません(本来は「みんながやっているから」というのは非常に嫌う人間なんですが)。常勤医を辞めて引退したら好きにしようと思っています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神経質礼賛 2107.脚下照顧 | トップページ | 神経質礼賛 2109.相続税の申告 »

最近のトラックバック

2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30