神経質礼賛 2105.クラス会
昨夜は高3の時の恩師の米寿祝・クラスメートの日本学士院賞受賞祝の高校のクラス会があった。クラスのメンバーで集まるのは何十年ぶりだろうか。同じ学年が集まる同期会はあったが、それもコロナの影響でここ3年は開かれていなかった。53人のクラスで26人が集まった。5人逝去しているから過半数である。地元に残っている人は少ない。卒業後初めて顔を合わせた人も何人かいた。その大方は医師で多忙のため動きが取れなかった人たちである。そのうちの一人は同じ弦楽合奏部で部長をしてチェロを弾いていた男だ。チェロはあるけれども全く弾いていなくて「今はこれだよ」とポケットからハーモニカを出して見せる。クリニックを開業していて、お年寄りの患者さんたちの前で演奏することが多いという。これならいつでも持ち歩けて良さそうだ。私もポケットに入るソプラノのオカリナを持ち歩こうかなとも思う。
恩師はお元気そうな御様子で、昔話に花が咲いた。記念撮影では米寿を祝う金ぴかの衣装と帽子を付けておられ、かわいらしかった。今回、受賞された狩野正伸氏のスピーチがあった。彼はいわゆるガリ勉タイプではなくサッカー部で大活躍していた。それでいて、恩師が解けないような数学の超難問をスラスラ解いてしまうので、天才だと思われていた。数学がまるでできない私から見たら雲の上の人という存在だった。基礎医学の研究者となり、東大教授になった。「みんな、僕がなんの苦労もなくここまで来たと思っているでしょうけど、研究していて全く成果が出なくて、それこそ、どうする、と思ったときがあります。同期で臨床医になった人たちが着実にキャリアを積んで患者さんたちを治していくのに、自分は何も実績がないじゃないかと悩みました」という。それでも地道に実験を続けて今に至ったのである。高校生の時は彼を見て、私は「自分は頭が悪いからどうにもならない」と決めつけていた。それは神経質のヒネクレ・言い訳であって、頭が悪ければそれを補うようにその分、努力するしかないのだ。神経質には粘り強さがあって努力が長続きしやすいから、小さくても何かしら成果を出すことができる。まさに努力即幸福(180話)である。
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