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2023年6月18日 (日)

神経質礼賛 2117.何のために生きるのか

 外来の強迫神経症の患者さん。いつも予約の時間から1時間遅れて来院する。出がけに確認行為をしまくって時間がかかってしまうのだ。日記は1ページびっしり書いてあるが、2週間のうち4日分位しかなく、しかも受診日の朝にまとめ書きしている。これを打破するために、日記はたとえ5,6行でもよいからその日のうち、できなければ翌朝には書くように毎度繰り返して指導しているのだが、2年以上経っても改めようとしない。

 この人が最近言い出したのが「何のために生きているのかわからない」ということだ。そして、私に答えを求めてくる。こういうことは普通、中学・高校生位の時に大いに悩むことである。50歳過ぎて言うことでもなかろうにとも思う。そんなことを考えている暇があったら、もっと優先度が高い日常の仕事がある。「何のために生きるのか」に私は答えを持っていないし、答えを求めようとも思わない。ただ、今という時間を大切にして、やるべきことをやってよりよく生きていくのが森田療法のやり方ですよ、とだけ答えた。
 当ブログ初期の134話に「なぜ生きるのか」について書いたことがある。森田先生は種々の疑問に悩んでいるという28歳の教師からの手紙に次のように返事しておられる。そうした悩みはそれとして、今できることを積み重ねていくのが大切なのだと思う。

 「自分は何故に生存するか、如何に生きれば人生を最もよく完ふする事が出来るか」といふ事は、古今の詩人哲学者の考へ悩んだ事であり、小生も少年時から長い半生を苦しんだ事です。しかしそれは「自分は」といふ主観のみに閉ぢこもる時に、全く論理のたゝぬ矛盾に墜るといふ事に氣がつかない。之は実は不可能の努力であるといふ事は、自分の心で自分の心を見やうとする事で、自分の眼で自分の眼を見やうとすると同様です。
 禅では之を「一波を以て一波を消さんと欲す。千波萬波交々(こもごも)起る」といつて心の葛藤の益々激しくなる事にたとへてあります。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.582)

 

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コメント

 四分休符先生

 ウフフ...です。 つい最近、いわゆる宗教2世の甥っ子に問いかけた言葉です。

 正確には甥っ子達なのですが、その一人に尋ねたのです。「えぇと...」と聖書聖句を取り出そうとして、かなり頑張ってくれました。が、私には全然響かない。

 叔母ちゃん思うのね「生き物は全て 産まれ、子孫を残し 死ぬ 但し子孫に関しては例外は全ての生き物にあり」と。
 で、家人に訊きますと「産まれてきたから 生きる 一人称として」だろう?
「え?子孫無くしてはこの気の遠くなるような年月命を繋いでこれないですよ?」
「だから、一人称として、だよ」

  いや~、これは反論の余地有りだなぁと思った次第です。

 生き物や宇宙・天体のテレビ番組を観るのが好きです。で、私は上記のように結論しました。サピエンスは考えるを意味しますが、ヒトのみが生き物の中で優れているか、というとそれは傲りと思い、諸事情は修飾語であると考えました。どう生きるか、となると話は別ですが、他の生き物を観ていると、ヒトもそうだよなぁ、とつくづく思う次第です。
 死に関しては、そうですね、家人に反論できず(^^ゞです。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 すべての生き物は子孫を残して死んで行く、それは絶対の宿命です。ただ、人間の場合は単に親子の育てだけでなく、典型的には教育のように社会の多くの人々が成長に関わっています。人の役に立つ行動をすれば、それが広い意味での育てになっているとみることもできましょう。森田正馬先生は一人息子さんを亡くされていますが、お弟子さんたちを育て、後世の私たちにも叡智を与えて下さって、生き続けておられるも同然かと思います。

 四分休符先生

 はい、生き続けておられる。それは繋いでいくという意味では子孫を残すと同じ意味を持つと私は考えます。ヒトならではと思います。

 絶対といえるものこそ真理とも考えます。真理とはそんなに多くはない、でしょう。

 修行坊主「動ぜずして坐る」 私「では津波に坐りながら流されていくのですね」
 坊主「時と場合による」 私 、違うなぁ、その今を適宜に行動出来る事こそ生き方の真理であり、修行僧の意見は絶対ではないなぁ、との言葉を飲み込みました。
 余談です、失礼致しました。

夜眠れず、森田療法の本読んだり、先生のブログを読んだり、ユーチューブで眠れる音楽を聴いて心を癒してます。

やっと神経の高ぶりが収まり、寝れそうです。良かった。ピアノの音楽がいいですね。ジブリの音楽なんかを聴いています。

四分休符先生は夜眠れない時どうしてますか?いい対処法あれば教えていただきませんか?

肩の痛みも自然に良くなってきました。

先生のお言葉の「悩みはそれとして置いておいて今できることを積み重ねていくことが大事」、には共感いたしましました。

森田療法命 様

 コメントいただきありがとうございます。

 私も子供のころから不眠に悩んできました。特に大きな行事の前は、全く寝付けない、あるいは途中で目が覚めてそこから眠れない、という現象が起きます。しかし、だからといって次の日に肝心な時に眠ってしまうわけではありません。どこかで必ず眠っているのです。
 よく、一睡もできないと訴える人がいますが、御家族あるいはスタッフに聞くと、いびきをかいて眠っていて起こそうとしても起きない、ということがあります。

 森田療法では「眠りは与えられただけ取る」が基本方針です。神経症性の不眠は「眠れなかったら体に支障がある」「早死にするのではないか」「次の日の仕事に差し障る」ことを過度に心配する、不眠恐怖が本質です。ですから、眠りを心配するのではなく、もっと心配のし甲斐があることを心配して、やるべきことをやっていくことが肝要なのです。森田先生は「不眠死」はないと患者さんたちの前でよく言っておられましたが、まさにその通りです。

 四分休符先生

 またまたyukimya です。

 やっとスケジュールから解放されまして。 気になっていた事を。

 家人の机上に新聞記事の切り抜き。

 「大切なことは私たちが人生の意味を問うというより、人生からその意味を問われているということです」そして「生きていなさい!」と記事は締めくくられていました。
 記事はいつのもので誰が書いたかわかりません。ビクトール・フランクルから学んだ、とも書いてあります。朝日の記事です。

 私はつづめて四分休符先生が言われるように生き物の絶対的宿命を「何のために生きる」の答えとしました。修飾語は世界人口の数だけあります。そう言いたかったのです。 
 が、この記事はまさにそうである、と感じた次第です。

 
 実は、少々悩んでおりました。コメントはyukimiya ばかり。まるで四分休符先生との往復書簡集の如く。でも、私は先生がブログ更新される度にコメント有り!!と思ってしまうのです。  忙しくもあり、控えていました。

 皆様の目には「またyukimiya かよ~」そして四分休符先生にもまた「yukimiya くだらない」とお付き合い頂いて。 

 申し訳ありません。RES無しでもチョコチョコお邪魔させて頂きます、お許しを。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 11月とは思えない夏日続きから一気に本来の晩秋の冷え込みになってきました。いろいろな行事以外にも冬物衣類を出したり寝具を入れ替えたりとお忙しかったのではないかと思います。

 この歳になってくると、もはや何のために生きるのか、と考えることはないですし、日常生活の仕事を一つ一つこなしていくことの方が重要だと思っています。ただ、できるだけ人の役に立てるように生きていきたいとは願っています。

 これからもどうぞ御遠慮なくツッコんで下さいね(笑)。

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