フォト
無料ブログはココログ

« 神経質礼賛 2120.日本平夢テラス | トップページ | 神経質礼賛 2122.瀬名と信康の最期 »

2023年7月 2日 (日)

神経質礼賛 2121.夏は来ぬ

 7月に入り、早いもので今年も半分が過ぎた。これで梅雨が明ければ本格的な夏になる。初夏の歌として頭に浮かぶのは「夏は来ぬ」である。昔の小学校の木造校舎から足踏みオルガンの音と子供たちの歌声が聞こえて来そうな気がする。文部省唱歌ではないけれども、作詞者は佐々木信綱で、爽やかな初夏の田園風景が描き出されている。作曲は小山作之助。たった8小節の曲ながら見事な出来である。

 以前勤務していた病院で、患者さんたちの音楽クラブを担当していて、四季折々の歌を歌っていた。歌詞を皆さんに配るのだが、どうしても意味がわからないところがあった。四番の歌詞「棟(あうち)ちる 川べの宿の 門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ」の棟って何だろうか。当時は調べてもわからず、ずっと疑問に思っていた。

 最近「偉人の年収」という番組で知の巨人・博物学者の南方熊楠(みなかた くまぐす)をテーマにしていた。アニメの中で熊楠の少年時代、弟に「あれが、棟の木だよ」と教える場面があった。あうちとは木の名前だった。5月中旬から6月中旬に薄紫の花をつけるセンダンという木の古名が棟(あふち)なのだそうだ。万葉集には山上憶良が散りゆく棟の花を見て亡くなった妻を想う歌を歌ったという。< 妹が見し 棟の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに >
 今年はもう時期が過ぎてしまったので、来年は実際に咲いている所を探してみたい。ところで南方熊楠は数々の奇行で有名である。夏は全裸で生活していたそうである。しかし、本当は人前で話すのが苦手であり、恐怖心を紛らわすためにビールを飲んでいたという話もある。また、刺身を食べなかったそうだが、寄生虫を恐れてとのことであり、熊楠先生も案外神経質だったのかも知れない。

 

« 神経質礼賛 2120.日本平夢テラス | トップページ | 神経質礼賛 2122.瀬名と信康の最期 »

コメント

 四分休符 先生

 全く偶然ですが、熊楠のことを昨夜本で読んでいました。

 それは柳田国男宛書簡の熊楠の言葉です。熊楠は自分ははなはだ癇癪もちだといい、狂人になるのではないかと人々が憂えた、と続けている。それを救ったのは「遊戯同様の面白き学問」、博物標本をみずから集めることだった、と。  
 それをよく理解した人がいる。昭和天皇である。熊楠は使い古した森永ミルクキャラメルの箱に標本を入れて昭和天皇にお渡ししたという。そんなことをする人は今も昔もいない。しかし天皇は「それでいいではないか」と語った、という。
 天皇の御製の和歌がある。
 「雨にけふる神島をみて紀伊の国の生みし南方熊楠を思う」
 御製のなかに個人の名を読み込んでおられる。天皇も多難な人生の中で博物学研究で随分心の平衡をたもたれたのではないだろうか。
 このエピソードを載せているのは、ベストセラー「バカの壁」を書いた養老孟司先生です(「養老孟司の大言論」Ⅰ)。養老先生も自分は神経質だと別の著書に書いています。
この先生も「私も虫を集めていると、癇癪が起きない。狂気に陥らないで済む」と述べている。
 四分休符先生のお愉しみは音楽のようですね。すばらしい趣味をお持ちだといつも拝察しております。
 

神経質流儀 様

 コメントいただきありがとうございます。

 南方熊楠には面白いエピソードがたくさんあって、森田正馬先生といい勝負だと思います。それにしても、生涯、定職に就いたことはない(実家の援助に頼っていた)、それでいて偉大な業績を残しているのはすごいことです。こういう人はなかなかいませんね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神経質礼賛 2120.日本平夢テラス | トップページ | 神経質礼賛 2122.瀬名と信康の最期 »

最近のトラックバック

2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30