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2023年9月13日 (水)

神経質礼賛 2145.パニックな私

 生活の発見会の協力医ということで、毎月「生活の発見」誌を送っていただいている。その中で「パニックな私の森田な日々」という3ページの漫画に注目している。作者は夫、息子、猫4匹と暮らす漫画家のhitominさん。森田療法や生活の発見会のことをわかりやすく漫画に描いておられ、今回の9月号で18回目の連載になる。今回は家族での海外旅行を思い立ったが、何しろ広場恐怖でパニック障害のhitominさんにはハードルが高い。次々と予期不安に襲われるが、「生の欲望」に沿ってドキドキしながらも神経質を生かしてきっちり準備を進め、不安なまま「ものそのもの」になっていろいろな目的を達成されたという話である。いわば、御自身の体験発表であり、とても説得力があって出色の出来だったと思う。

 森田療法では自分の体験を発表することがとても重要である。森田先生は次のように言っておられる。

既に治った人は、その喜びとともに、同病相憐れむの情から自分の症状を告白・発表して、他の人の参考にもし、同病を治したいという情が切になってくる。これがすなわち懺悔の情にもなれば、犠牲心ともなるのである。これと反対に、まだ治らない人も、自分で努めて懺悔し、犠牲心を出せば、これが治る機会となるのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.124)

 ここで一言したいのは、治った人と、治らぬ人との区別。治らぬ人は、自分の殻に閉じこもり、城壁を築いて、なかなか自分の事を発表する事ができない。自分のような特殊なものは、世の中にないと、ことさらに差別観を立てて、頑張っている。人に話す事が、恥ずかしい、恐ろしい。治った人は、夏は暑く、冬は寒い。恥ずかしい事は恥ずかしく、苦しい事は苦しい。世の中は、誰でも同様である、という事実を認める事ができて、平等観に立つ事ができる。「事実唯真」といって、世の中の心の事実を、明らかに認識できるようになる。治らぬ人は、世の中の事実に対して、近頃のいわゆる認識不足であるのである。それで治った人は、自分はしゃべるために、世の人の害になる事は、いわないけれども、少しでも、人の為になり、ここでいえば、同病相憐れんで、人を治すために、少しでも効のある事ならば、俗人から見て、自分の恥になるような事でも、喜んでこれを告白する事ができるようになる。私が想像するに、馬場さんや端君やは、これができる人であろうと思う。皆さんは、自分で省みて、この発表ができるか、できないかという事が、治ったと、治らないとの区別のメーターになるから、自己紹介のついでに、これもつけ加えるとよいかと思います。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.246)

 浜松医科大学や三島森田病院で行われていた現代の森田療法でも、退院近い患者さんが月1回の茶話会で自分の体験を発表する場があった。これができれば、自分だけが特別苦しいという差別観から脱し、平等観でみることができるようになっている。

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コメント

 四分休符先生

 「生活の発見会」ですね。タイトルを見た途端、複雑な思いが蘇ってきました。

 鈴木先生は新宿の高良先生の「生活の発見会」とは異なるといつも言っておられたように記憶しています。
 
 今となっては記憶が薄らいで断言できないのですが...そう、何が異なっていたのか。
 ただ、鈴木先生は症状を言うな、とははっきり言っておられました。症状の愚痴を他者に言わずに修練せよ、だったのでしょうか。

 私は今でも症状があります。半世紀以上抱えて。トラウマよろしく鈴木先生の言葉、「症状は言うな」。処が、気心知れている人には「パニック障害です、公共交通機関には乗れません」と言っちゃっています。もうこうなると、居直るとでも申しましょうか。

 言わねば、不信感をもたれるだけである、と経験上解りました。愚痴というか、宣言しちゃっている訳です。

 で、行動はせねばならないと迫った場合のみ行動に移すようにはしています。案外出来るじゃん。この年になって遅いよ、と思いつつ軽快になっているのかな、と感ずるのです。でも私の場合、公共交通機関に出くわす事が未だありません。 私は四分休符先生よりちょっと年上です。

 「生活の発見会」高良先生。中野区・杉並区の鈴木知準先生。共に診療所はなくなりました。鈴木知準先生の名はあまり知られず。高良先生の方は「発見会」の方へ引き継がれていったように思うのです。

 記憶違いだったら、ごめんなさい。どなたか訂正して下さると助かります。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 知準先生の鈴木学校だけでなく入院森田療法では
「症状は言わない」のは大原則です。厳しいようですが
できないのではなくやらないだけ。症状は天気のよう
なもので、どうにもならないとあきらめてやるべきこと
に向きあってもらうためです。そして、健康人らしく行動
する習慣を付けてもらうためです。症状は「不問」ですが
、集団療法の場で自己紹介をするような時は例外ですし
退院前の体験発表は治療中の人たちの参考になりま
すから、症状の話も入ります。

 日常生活の中で、親しい人に自分はパニック症である
とか対人恐怖であるとか話しても悪いことではありません。
苦手な場面を避けずに行動できれば、すでに治ったも
同然。公共交通機関にだって必要となれば仕方なしに
乗っておられるのですから、それでよし、です。事実唯真
なのです。

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