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2023年12月 3日 (日)

神経質礼賛 2171.やっぱり神経質がよい

 「あーあ、自分は何でこんな性格に生まれついたんだろうなあ。本当に情けないなあ」と子供の頃からずっと思い続けてきた。人前で緊張して思ったことが言えない。何か事があるとすぐビビッてしまう。それだけではなく、そもそも何事もやる前から不安に怯えてしまう。中学生くらいになると大胆になろうと無理して突っ張って顰蹙を買ったこともある。高校生、大学生、社会人と時が経ち、惨めな思いを繰り返しながらも仕方なしに行動しているうちに、いつしか「これでいいのだ」と思えるようになっていった。そして気が付けば神経質を礼賛していた。あがいているうちに森田先生の言われた小学程度(世の中の現実で、誰もが人並みにそうやっているところの「苦しいままに働く」、それが小学程度、次に「苦しい事はいやである」そのままの事実を認識するのが中学程度、さらに「いやとか好きとかの名目を超越した」のが大学程度である。全集第5巻p.653)に達していたのだ。理屈がわかったのは森田療法を勉強してからである。

『出家とその弟子』で有名になった劇作家の倉田百三は種々の強迫観念に悩んできた。森田先生の形外会の場で次のように発言している。

(森田先生の「神経質に生まれても、赤面恐怖に生まれても、なんともしかたのない事です。これを生かして行くよりほかにしかたがない」という発言に続いて)
倉田氏 神経質は見たところ、どうしても立派なものじゃない。神経質でなかったらよいと思った事もある。しかし他の性格と取り替えたいかといえば、それも、いやですネ。やっぱり神経質がよい。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.713)

倉田百三氏に同感である。

 

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コメント

 四分休符先生

 神経症で良かったという境地には、私はなれないです。違った人生があったろうと思うのです。 四分休符先生のように、山野井さんの「神経質で良かった」とは私は到底無理です...

 現在、治癒ではない軽快という状態にあって若い頃のつらさと比べますと幸福感が違います。神経症という限られた範囲内ですが。あの頃の絶望とはまるで違います。

 最近でしょうか、ものごとは必然と捉えるようになりました。起こるものごとにはなんらかの意味がある、と。

 少なくとも私の人生はこうである。そう認めます。なんらかの意味があったのでしょう。

 臘八接心4日目の朝に。といっても大袈裟な事は無いです。1日から8日の満了まで朝5時から50分ほど坐る。そして東雲に向かってバイクを走らせる。

 静か、美しい、そんな朝に

yukimiya様

 コメントいただきありがとうございます。

 神経質でよかった、とは思えないにせよ、現在
のところとても充実した生活が送れている御様子。
それで十分ではないでしょうか。

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