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2024年1月28日 (日)

神経質礼賛 2190.冗談音楽

 先週の日曜日、FMの「×(かける)クラシック」という番組をかけたら、いきなり栗コーダーカルテットによるベートーヴェンの交響曲第5番「運命」が流れてきた。以前、TVの「らららクラシック」という番組で紹介されたグループの演奏である。リコーダーの合奏というだけでもかわいらしいのに加えて調子が外れていて力が抜けてしまう。笑うしかないという演奏だ。そう言えば、このグループによるダース・ベーダーのテーマがバラエティ番組のBGMによく使われているなあ、と思って検索してみると、YouTubeで確認できた。重厚な原曲との落差が大きすぎて本当に可笑しい。もしこのグループがショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」の第4楽章を演奏して緊迫感を脱力感に変えてしまったらどういう演奏になるだろうかと想像する。

 演奏による冗談ではなく元々の曲がパロディになっているものがある。サン=サーンスの「動物の謝肉祭」はその典型だろう。第4曲「亀」はオッフェンバックの「天国と地獄」の旋律を超スローモーションにしている。第5曲「象」もベルリオーズの「ファウストの劫罰」とメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」を引用。第11曲「ピアニスト」は有名な練習曲をわざと下手に弾くというもので、皮肉たっぷりである。サン=サーンスの存命中は第13曲のチェロの名曲「白鳥」以外は出版されず、仲間内だけで演奏を楽しんでいたようだ。

 その名も「音楽の冗談」K.522という弦楽合奏+ホルン2本の構成のモーツァルトの曲がある。医大オーケストラで弾いたことがある。常識的な作曲技法から外れた曲で、ここぞという所で不協和音が鳴り響く。第3楽章にはヴァイオリンのカデンツァまでついていて、だんだん音程が上ずっていく様を描いている。第4楽章の最後は無茶苦茶な和音だ。下手な作曲家と田舎の演奏家を揶揄した作品になっている。たまにはこういった音楽で硬くなった頭と体を和らげるのもいいことかも知れない。

 

2024年1月25日 (木)

神経質礼賛 2189.多死社会

 昨年末から妻の親類などの葬儀が相次いでいる。私の親世代は90代くらいで、その世代は兄弟姉妹が多いから伯父(叔父)・伯母(叔母)の葬式が続きやすいのはやむをえないと思っていたら、今週になって弟の義父が亡くなったという連絡をもらった。私の母の時に御香典も頂いているから、参列できなくても御香典と生花を送ろうと思い、日取りを聞いて驚いた。火葬場の順番待ちのために葬儀は亡くなってから何と10日後になってしまったというのだ。最近、首都圏では火葬待ち日数が長くなって深刻な問題になっているという。

 以前から多死社会ということが言われていて、一昨年の2022年あたりからすでに突入しているという説がある。多死社会では高齢化によって死亡数が増大して総人口が減少していく。縁起でもないと思われるだろうけれど、これが現実である。少子化も一層進み、労働人口は減少の一途をたどる。現在のような医療・介護システムが継続できなくなるのは目に見えている。医療・介護分野でのロボットやAIの利用は必須となるだろう。

 それでも私たちは生き延びていかなくてはならない。自分の健康維持に気を配って健康寿命を延ばしていこう。仙厓さんの「老人六歌仙」の画にあるように、心身の老化はあっても、自分なりの楽しみを見つけて生き尽くしていきたい。体が衰弱しても乳母車にちょこんと座って散歩を楽しまれた森田先生を見習って「生の欲望」を燃やし続けたいものだ。

 

2024年1月21日 (日)

神経質礼賛 2188.神経質は仕事の為にす 治るためにせず(2)

 森田療法では症状はさておき、仕事を探して行動していくように指導する。ところが神経質者は自己の病的症状を克服して正常に戻そうとする強い意欲を持っているだけあって、「症状を治すために仕事をする」のだと誤解をする人もよくあって、森田先生は表題のような色紙を書かれ(220話)、患者さんたちには次のように話しておられた。

 掃除でも風呂焚きでも、病氣を治すために働いて居る間は病氣は治らない。病氣を治さうとする事を忘れた時に、病氣がなくなって居るのである。退院後も、周囲に適應して行く間は再発はないが、再発しないために、一定の模型的の生活状態をとって居る間は、病氣は本当に治って居ないのである。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.264)

 (修養のためにする仕事は、いつでも心の置き所が逆になる、という話をした上で)かくの如く「感じから出発する」、すなわち汚いから清潔にする、埃がいやらしいからはたき出す、という風ではなくて、「理屈すなわち標語から出発する」、すなわち「障子ははたくもの」「毎日掃除するもの」という事から、強いて義務責任とか人道とかいう事で、仕事をするから、鋳
型にはまって、いつまでも進歩がない。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.583-584)

 症状をなくそうとすればするほど症状へのとらわれを強めてしまい、逆効果になってしまう。あくまでも症状はあるがまま、相手にせずに、仕事や日常生活をよりよくこなしていけるよう注力することが大切なのである。

 

2024年1月18日 (木)

神経質礼賛 2187.気が小さくてよい 恥ずかしくてよい

 神経質な人は小さなことを気にしてクヨクヨ考えやすい。周囲の人が自分をどう思うだろうかと心配して「一人相撲」になりやすいが、実際には周囲の人たちは何とも思っていないのである。特に対人恐怖の人はその傾向が強い。私も若い頃、自分は気が弱くて情けない、もう少し気を大きく持てないのか、大胆になれないものか、と悩んだものである。今でも人前では緊張するし、小心者であることを自覚しているけれども、生活はできていて何とかなっているのだからこれでいいのだ、と思っている。むしろ、大胆だったら自己主張が強過ぎて周囲の人とトラブルになるリスクが高いし、金遣いが荒くて家計を破綻させるおそれもある。チマチマやっていれば、大出世や大儲けはできなくても、堅実に生活できて周囲からも信頼される存在となるのである。森田先生は次のように言っておられる。

 神経質の人は物を気にしていけない。恥かしくて困るとかいえば、神経科の人でさえも、気にするな、気を大きくせよという。これに反して森田は、気を小さくせよ、恥ずかしがれと言う。太陽が東から出て、西に入ると思っていたのに、実はそうではなくて、地球が回っているのである。今までの考え方とは、すべて反対になっているのである。赤面恐怖ならば、気を大きくしようとすればするほど苦しい。自分は恥かしいものであると思えばすぐ治る。自分は悪人であると思えば、親鸞上人の如くなる。偉い者と思おうとすると反対になる。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.148)

 気は小さくてよい、恥ずかしくてよいのである。大胆になろうと思わず、今のままでよい。そして神経質の良さを発揮していけばなおよい。

 

2024年1月14日 (日)

神経質礼賛 2186.江戸LIFE展

 昨年11月から静岡市東海道広重美術館で江戸LIFE展という企画展が開催されている。見に行こうと思っていてなかなか行く時がなく、残り10日というところで慌てて行ってきた。特産物の桜エビ漁で有名な由比の町にある。静岡市街地からだと電車と徒歩でも車でも四、五十分かかる。浮世絵版画の制作工程の展示があり、子供が小学生の時に連れて行って、それ以来である。

 静岡から清水に向かって車で行くと、正面に富士山が大きく見えて気持ちがよい。カーナビのない古い車ながら、事前にルートを調べておいたので順調に到着する。美術館は由比本陣公園の中にある。かつては、道路の海側に宿場町の展示館・お土産屋があって二階の食堂で海を眺めながら桜エビのかき揚げ蕎麦を食べることができたが、現在は閉店となり、住宅になっていた。道路脇の水路には三匹の亀がいた。一匹は水から上がって甲羅干しをしているようで首を引っ込めて全く動かない。美術館の受付で検温して手指を消毒してから入館する。今回の展示では四季・仕事・娯楽などにまつわる版画が展示されていて、江戸時代の庶民の暮らしぶりを感じることができた。戦乱のない世になって、花見や花火や名所めぐり・寺社詣を楽しめるようになった。歌舞伎や浄瑠璃の名場面や役者絵の版画も出回った。浮世絵の価格は現在の貨幣価値で五百円ほどだったというから、庶民も気軽に買って楽しむことができた。現金販売の呉服屋が人気を集め、客で賑わう店の様子を描いた版画は店とタイアップした作品だろうか。髪を洗ったり、歯磨きをしたり、子供たちが遊んでいたりする日常場面の版画も展示されていて、江戸の生活を感じることができた。

 美術館を出た所にある売店でコーヒーを飲み、道路に出てみると、先ほど甲羅干しをしていた亀は今度は首を長く伸ばしていたまま止まっていた。「そんなに焦って生きなくたっていいんだよ」と言っているようだった。

 

2024年1月11日 (木)

神経質礼賛 2185.光る君へ

 高校生の時、与謝野晶子訳の源氏物語の三分冊になった分厚い文庫本を買って読み、夢中になった。古文の文法を覚えるのは嫌いだったが、図書館で源氏物語関連の評論をいろいろ借りて読んでいた。それだけ惹かれたのは、作者の神経質に共鳴したからだと思っている。紫式部(414話・1760話)は本名不明、生没年不詳であり、その生涯は謎に包まれていて、小説ネタには都合の良い人物である。今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は紫式部と藤原道長(413話)を中心とした話になっている。第1回を見てみた。ドラマの中では紫式部の本名を「まひろ」としていて、幼少時に「三郎」・・・藤原道長と出会ったことになっていた。まひろの父は学者肌で出世とは縁がなく失職しており、やはり下級貴族の母の実家も貧しく、屋敷は荒れ果て、使用人たちは次々と辞めていった。この実体験は源氏物語の「夕顔」や「末摘花」の描写に生かされているのだろう。母親は早くに亡くなるが、ドラマの中では父親の職が決まったお礼参りにまひろと従者とともに小さな神社に行った帰り、馬で通りかかった藤原道兼(道長の兄)にいきなり胸を刀で刺されて殺されてしまうという非常にショッキングな展開になっていた。これはいくら何でもありえない設定である。上級貴族であっても、白昼に路上で人を殺したら、検非違使に捕縛されることはなくても悪い評判が立って自分が大きなダメージを受けることになる。道兼が暴力的であったというような話は聞かない。その嫡男の兼隆は自分の手は汚さないが暴力事件を起こしている。ちなみに兼隆は紫式部の一人娘・藤原賢子(大弐三位)の初めの夫とされている。ドラマの初回視聴率は過去最低だったそうだが、紫式部の神経質ぶりが描かれるかどうかにも注目しながら、もう少し見てみようかと思っている。

2024年1月 7日 (日)

神経質礼賛 2184.夫婦漫才

 三島森田病院で入院を受け持った大阪在住のAさん(2064話)が昨日また御夫婦で外来受診された。昨年の夏にも一度来られていて、仕事が順調になってきたという話を聞いていた。御本人の言われる「着手恐怖」・・・確認・不完全恐怖のために仕事が遅れがちで上司から注意を受けていたが、最近では期限よりも大分早くに仕上げられるようになってきたそうだ。また、仕事関連の場面で司会を任されて高い評価を受けるようにもなっている。生活の発見会でも学習会の世話役を引き受けて活躍しておられるようである。奥さんも全面的に協力してくれていて、「生活の発見」誌2024年1月号「中高年のひろば」p.93に受診旅行の様子を投稿しておられる。順風満帆のように見えるが、そこは神経質。決して満足せずにより高きを仰ぐ。森田先生が言われた「慾の袋に底がない」(*)である。Aさんの話の6~7割は先輩との軋轢の悩みだった。普段から奥さんが愚痴聞き役に回ってくれているようだ。「僕の言っていることは正論やと思うんですが」。その通り、全く正論ではあるが、正論で押し切ってうまくいくとは限らないのが人間関係の難しいところである。「相手の立場を考えて相手を立てたり、時には引いたりしてバランスを取っていくことも実生活では必要かも知れませんよ」「無理をせずに、だんだんあなたの味方を増やしていくのがよいでしょう」と話す。冗談半分・本気半分で「神経症ネタの夫婦漫才を考えてみたらどうでしょう」と勧める。神経症の症状は本人にしかわからない。はたから見れば、何でそんなことで悩んでいるんだということになる。夫「ああ、困った困った。鍵を閉め忘れたかも知れない、戻って見て来よ」妻「アホな。確認したばかりやないの。気にはなっても先にいきましょ」夫「それでもやっぱり忘れていて泥棒に入られたらどないしよ」妻「ええ加減にしなはれ(ポカ)」といった具合である。生活の発見誌の毎年1月号には発見会川柳が載っている。その夫婦漫才バージョンがあってもいいのではないだろうか。

(*)されば幸福とは、吾人が、あるが上にも其機能を発揮し、慾の袋に底がないといふやうに、飽くを知らざる要求の満足を得んとする向上的努力であって、努力を去って幸福なく、努力即幸福であって、幸福即努力であるといふ事が出来るのである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.140)

 

2024年1月 4日 (木)

神経質礼賛 2183.今年の元日・二日

 今年の元日は快晴。初日の出が拝めそうだ、と屋上に出てみる。とても元日とは思えない暖かさだった。日の出前から富士山を写真に撮る。時々ブログに載せるために定点撮影している。長年使ってきたコンパクトカメラの調子が悪くなり、昨年30倍ズームのカメラを購入し、迫力のある写真が撮れるようになった。我が家からだと富士山の手前中央にちょうど梶原山公園の展望台が見える。ここは子供たちが小学生の頃に家族とハイキングで登ったことがある。源頼朝のもとで権勢をふるった梶原景時が二代将軍頼家の代になって他の御家人たちの反感を買って一族で上洛する途中に地侍たちに襲われて果てた地である。梶原景時と言えば源義経と対立し、頼朝に讒言した悪役として描かれやすいが、東国武士にしては珍しく教養があって和歌もできた人物で、あくまでも頼朝に忠実だったという見方もある。我が家の周囲は年々高層マンションが増えて見通しが悪くなってきた。マンションの上に顔を出した初日の出を拝めたのは日の出時刻から15分遅れだった。いずれは富士山も見えなくなってしまうかもしれない。

 昨年、母が亡くなっているため、先月の最初に喪中ハガキを出していた。そして、会社や組織、患者さんには数枚年賀状を出していた。喪中ハガキを出してあっても年賀状をくれた人もいて、近況報告の寒中見舞を出しておく。子供たちも来ていないので、妻と二人だけの静かな元日だ。日本酒を開けておせちに箸をつける。そうこうしているうちに、石川県の大地震のニュースが飛び込んできた。TVはどのチャンネルも地震と津波警報の報道に替わっていた。本当に何が起こるかわからない。いつ自分が当事者になってしまうかもわからないと意識しておこう。地震・津波・大火災の深刻な被害状況が次々と報じられているうちに翌日には羽田空港でJAL機が着陸直後に地震援助物資を輸送する海上保安庁機に衝突して双方が炎上する衝撃的な映像が流れてきた。JAL機の乗客・乗員が全員脱出できたのは不幸中の幸いではあったけれども、海保機の乗員5名が亡くなった。乗客が機内に乗せていたペットも死亡した。事故原因は今後の調査を待たなくてはならないが、今のところ海保機が滑走路への進入許可を得ずに許可を得たものと誤って進入して事故に至ったとのことである。JAL機・海保機とも管制官の指示を復唱して確認していたとは言うが、現にこういう事故が起きているのだから一層神経質な安全対策が求められる。

 

2024年1月 2日 (火)

神経質礼賛 2182.フォーレ没後百年

 今年は作曲家ガブリエル・フォーレ(1845-1924)没後百年にあたる。フォーレと言えば、モーツァルト(136話)、ベルディと並ぶ三大レクイエム(死者のためのミサ曲)の作曲家の一人として知られる。モーツァルトのレクイエム・通称モツレクは灰色の服を着た謎の男が健康を害していたモーツァルトのもとに作曲の注文に訪れて彼はそれを死の世界からの使者だと思い込み自分のためのレクイエムを書くが作曲中にモーツァルト自身が亡くなったというエピソードがあまりにも有名である。ベルディのレクイエムはドラマチック過ぎて教会には向かないという批判が元々あった。特に「怒りの日」の激しい音楽は今ではバラエティ番組で恐怖の場面のBGMとして頻用されている。それに比べてフォーレのレクイエムは穏やかで救いに満ちていて、自分が死んだらフォーレのレクイエムを流して欲しいという声をしばしば聞く。

 フォーレの作品は管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲、合唱曲と実に多岐に渡るが、ヴァイオリンやフルートの演奏会のアンコールに使われるような人気の高い小品も少なくない。「夢のあとに」、「子守歌」、「シチリアーノ(シシリエンヌ)」は自分でもよく弾く。美しい旋律の中ににふっと哀しみの影が差すのがとても魅力的である。特に「夢のあとに」は曲の雰囲気にヴィオラの音色がピッタリ馴染むように思う。最近、パヴァーヌ作品50の弦楽三重奏編曲版の楽譜を見つけてパソコンに打ち込んで音源を作り、合奏を楽しんでいる。

 フォーレは若い頃は陽気な性格だったが、30代からは鬱の発作に悩まされたという。女性関係が多く浮名を流しているところをみると、同じく没後百年のプッチーニ(374話・1657話)と同様に、神経質というよりヒステリー性格に近かったのかもしれない。

 

2024年1月 1日 (月)

神経質礼賛 2181.ホルスト生誕百五十年

 今年は昭和で言うと昭和99年に当たる。私が小学5年生の時、明治百年と言われ(1968年)、記念式典が開かれ、それにちなんだ地名や建物名が付けられた。「明治は遠くなりにけり」とも言われたものである。ということは、来年はそうした行事が行われるのだろうか。そして、「昭和は遠くなりにけり」と言われるのだろうか。

 さて、今年が生誕あるいは没後の記念年にあたる作曲家を調べてみる。生誕200年がブルックナー(401話)とスメタナ。生誕150年がホルストとシェーンベルク、生誕100年が團伊玖磨。没後100年がフォーレとプッチーニ(374話)である。それにちなんだ演奏会が行われることだろう。

 クラシックは全く聞かないという人でも知っているのがグスタフ・ホルスト(1874-1934)の組曲「惑星」、特に中間部に日本語歌詞が付けられて歌われている第4曲「木星」・・・「ジュピター」である。雄大なこの曲もいいけれども、私は第2曲の「金星」が好きである。野原に寝そべって満天の星を眺めているところを連想して、心が休まる思いがする。第7曲「海王星」は舞台裏からかすかに聞こえる女声合唱に送られて太陽系を離れていく宇宙船を想像してしまう。ホルストの名曲は惑星だけではない。ブラスバンドの定番曲となっている吹奏楽のための組曲第1番・第2番も親しみやすい曲だし、弦楽合奏のセントポール組曲もとてもいい曲である。ホルストの作品にはイギリス・スコットランド民謡の影響を受けているものがあり、その点も日本人の耳に馴染みやすい音楽なのだと思う。作品の中には日本人から依頼されて作ったバレエ音楽の「日本組曲」もある。実生活は30年間ロンドン西部のセント・ポール女学校の音楽教師をしながら合唱曲などの作曲活動を続け、出血性胃潰瘍のため亡くなっている。顔写真の印象も神経質そうである。

 

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