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2024年1月21日 (日)

神経質礼賛 2188.神経質は仕事の為にす 治るためにせず(2)

 森田療法では症状はさておき、仕事を探して行動していくように指導する。ところが神経質者は自己の病的症状を克服して正常に戻そうとする強い意欲を持っているだけあって、「症状を治すために仕事をする」のだと誤解をする人もよくあって、森田先生は表題のような色紙を書かれ(220話)、患者さんたちには次のように話しておられた。

 掃除でも風呂焚きでも、病氣を治すために働いて居る間は病氣は治らない。病氣を治さうとする事を忘れた時に、病氣がなくなって居るのである。退院後も、周囲に適應して行く間は再発はないが、再発しないために、一定の模型的の生活状態をとって居る間は、病氣は本当に治って居ないのである。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.264)

 (修養のためにする仕事は、いつでも心の置き所が逆になる、という話をした上で)かくの如く「感じから出発する」、すなわち汚いから清潔にする、埃がいやらしいからはたき出す、という風ではなくて、「理屈すなわち標語から出発する」、すなわち「障子ははたくもの」「毎日掃除するもの」という事から、強いて義務責任とか人道とかいう事で、仕事をするから、鋳
型にはまって、いつまでも進歩がない。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.583-584)

 症状をなくそうとすればするほど症状へのとらわれを強めてしまい、逆効果になってしまう。あくまでも症状はあるがまま、相手にせずに、仕事や日常生活をよりよくこなしていけるよう注力することが大切なのである。

 

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