神経質礼賛 2187.気が小さくてよい 恥ずかしくてよい
神経質な人は小さなことを気にしてクヨクヨ考えやすい。周囲の人が自分をどう思うだろうかと心配して「一人相撲」になりやすいが、実際には周囲の人たちは何とも思っていないのである。特に対人恐怖の人はその傾向が強い。私も若い頃、自分は気が弱くて情けない、もう少し気を大きく持てないのか、大胆になれないものか、と悩んだものである。今でも人前では緊張するし、小心者であることを自覚しているけれども、生活はできていて何とかなっているのだからこれでいいのだ、と思っている。むしろ、大胆だったら自己主張が強過ぎて周囲の人とトラブルになるリスクが高いし、金遣いが荒くて家計を破綻させるおそれもある。チマチマやっていれば、大出世や大儲けはできなくても、堅実に生活できて周囲からも信頼される存在となるのである。森田先生は次のように言っておられる。
神経質の人は物を気にしていけない。恥かしくて困るとかいえば、神経科の人でさえも、気にするな、気を大きくせよという。これに反して森田は、気を小さくせよ、恥ずかしがれと言う。太陽が東から出て、西に入ると思っていたのに、実はそうではなくて、地球が回っているのである。今までの考え方とは、すべて反対になっているのである。赤面恐怖ならば、気を大きくしようとすればするほど苦しい。自分は恥かしいものであると思えばすぐ治る。自分は悪人であると思えば、親鸞上人の如くなる。偉い者と思おうとすると反対になる。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.148)
気は小さくてよい、恥ずかしくてよいのである。大胆になろうと思わず、今のままでよい。そして神経質の良さを発揮していけばなおよい。
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コメント
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四分休符先生
先生にお聞きしたいことがあります。日常生活において焦る時や息苦しい時は症状だから焦るままに息苦しいままに目の前のやるべきことをやっていればいいのでしょうか?そうすると症状は気づかないうちに治ってくるのでしょうか?
よろしくご指導うけたまわりたくよろしく申し上げます。
投稿: 森田療法命 | 2024年1月20日 (土) 06時00分
四分休符先生
歳を重ねて、バカボンのパパの偉大さにやっと気がつきました。
「あるがまま」を意識し、実践しようとすればするほど、それはあるがままから離れた不自然な姿になります。
「これでいいのだ!」と今の自分をすべて受け入れることこそが、本当のあるがままなのでしょう。柳は緑、花は紅。
バカボンのパパは、達観した覚者である、と自分が50を過ぎてやっとわかりました。
威張らず、偉ぶらず、ユーモアを忘れず、淡々と日々の生活を送っていくパパ……。見習いたいものです。
追伸
「賛成の反対なのだ」という言葉の意味するところはイマイチよくわかりませんが、これも深そうですね。
投稿: kunu | 2024年1月20日 (土) 14時46分
森田療法命 様
焦ったり息苦しさを感じたりすることは誰しもあることです。それでも仕事をすることは必要だから私たちはやっているのです。その結果として、いつしか流れる雲のように症状は消えているものです。ただ、気を付けなければならないのは、症状を治すために仕事をするのではなく、あくまでも必要だからやるということです。症状を消そうとして仕事をするのは本末転倒です。症状がよくなったかどうかを気にしながらやっているうちはまだまだ。症状の良し悪しに一喜一憂しなくなれば本物です。
森田先生の色紙に次のようなものがあります。
「神経質は仕事の為にす 治る為にせず」
神経質を仕事や生活に大いに生かしていきましょう。
投稿: 四分休符 | 2024年1月21日 (日) 08時26分
kunu 様
コメントいただきありがとうございます。
私のPCも古くて反応が悪いので、つい同じボタンを
繰り返し押して失敗しています(笑)。
天才バカボンの赤塚不二夫さんが亡くなられた時に
記事を書いていますので、以下333話をご覧ください。
神経質礼賛 333.本当は小心者だったのだ
8月2日、漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなった。10年前に食道がんの手術を受け、6年前には脳内出血を起こし、長い闘病生活が続いていた。
私の世代では男の子たちは「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」に夢中だった。学校で「シェー」のポーズをする子がよくいた。女の子たちは「ひみつのアッコちゃん」の持つコンパクト(鏡)に憧れたのではないだろうか。当時の漫画家は手塚治虫の「鉄腕アトム」と「リボンの騎士」、横山光輝の「鉄人28号」と「魔法使いサリー」というように少年マンガと少女マンガを両方描くことがよくあった。赤塚マンガは、一見ごくありふれた日常生活の中でのスピード感のある強烈なギャグが魅力だった。いつも同じように行動しなければいられない人々の強迫性をぶち壊す爽快さを指摘する評論家もいる。しかし、今どきの吉本系お笑いと違って、人情深くホロリとさせる温かみもあったように思う。また、主人公以外のキャラクターに強い個性があって魅力的だ。イヤミ、チビ太、デカパン、ハタ坊、レレレのおじさん、本官さん(警察官)、ケムンパス、ニャロメ、ココロのボスなど一度見たら忘れられないキャラクターばかりである。
8月4日付読売新聞の筒井康隆氏による追悼記事によれば、しらふの赤塚さんはシャイでまじめで驚いたという。「酒を飲まなければ、まともに人と話せない」とも語っていたという。実生活ではバカボンのパパそっくりのムチャクチャをやっていたが、酒が入ってのことだったのだろう。アルコール依存症は治らなかった。植木等さん(171話)同様、ギャグの天才だった赤塚さんも実はまじめで小心者の神経質人間だったのだ。晩年には、目が不自由な人にもマンガを楽しんでもらおうと、触図と点字によるマンガを試作していた。過度の飲酒と喫煙で寿命を縮めてしまったのは残念である。
神経質人間は過度に反省し、自己評価が低くなりがちである。時にはバカボンのパパのように「これで、いいのだ!」と思い切り言ってみよう。
投稿: 四分休符 | 2024年1月21日 (日) 08時46分