神経質礼賛 2197.第二の人生
4年ぶりに高校の同期会があった。すでに皆さん定年退職を迎えている。近況報告を聞いていると悠々自適の年金生活を送っているのは1~2割程度といったところか。全国百名山に挑戦しているとかゴルフ三昧という人もいる。多くの人たちは再雇用で働き続けたり今までとは別のところで嘱託やパートで働いたり、といった状況である。まだフルタイムで働いているのは私を含めて医療系の人である。普段、歯の治療でお世話になっている歯科クリニックの女医さんは、「もう体力的にきついからやめたいけれど70歳まではクリニックを続けます」と言う。「この中にも3人ほど診ている人がいるからやめられないです(笑)」と。そのうちの一人は私である。同じテーブルの横の席に座っていた女性もその歯科クリニックに通院していると知った。病院の薬剤師さんをしていたが、定年になってクルーズの旅を楽しもうと思っていたらコロナの流行で行けなくなり親の介護も発生して、結局いくつかの調剤薬局でパート勤務をしているという。教員だった人たちも学校・塾などでまだまだ働いている。
定年になったら今まで行けなかった旅行に行こうとか趣味に時間をかけようとかいろいろ考えている人は多いと思うが、いざそうなってみるとなかなか思うようにいかないものである。それに、老後の蓄えを大きく取り崩すのも心配である。男性の場合、定年になって家にゴロゴロしていると妻に嫌がられるという話はよく聞くところである。名刺の肩書がなくなってしまうと寂しいものである。今までの経験を生かして、細々でも働き続けるのが無難であるし、良い意味での緊張感・生活の張りを持ち続けるのにも役立つ。それは老化を遅らせることにもなるはずである。八十代・九十代になっても店を続けている人や職人をしている人たちを見れば仕事の効果は明らかである。お金を稼ぐ仕事ばかりでなくボランティアもよい。自分らしくあり続けるためにも働いて人と関わりを持ち続けていきたいものだ。
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四分休符先生
先生、健康である事です。病持ちでは第二の人生もあったものではありません。
私は還暦前に関節が悪く、保たないので雇用延長はしませんでした。家人は還暦でがん、雇用延長の65歳で脊柱管狭窄症手術。文字通りの三枚おろしに。今、75歳で要支援です。 私は94歳母と家人の2人のキーパーソンでそれぞれの高齢者センターへ相談などに通う身。加えて家人の元嫁さんも病を得て4年目、支援しています。我がリハビリより優先かな、という人間が居ます。
知人に同級生ですが、65歳で辞めて定年後人生を謳歌していたのに、背中合わせの奥さんが倒れて「女房孝行します」と暫く連絡を絶っています。
やはり健康あっての事と思います...先生は、その点大丈夫そうです。
今日、20日だったでしょうか、違っていたらごめんなさい。命日。
雨水を過ぎて空気が水分を含んでやわらかでありがたいです。
3月10日なのですね。私の3月10日は元同僚の一応命日です。10年になります。勤務先と私の連絡先のみで孤独死。夜分、ケイサツから連絡があってびっくりした記憶は鮮明です。いい相棒でした。父の墓参にもそうは行かないのに何故彼の、と言いますとやはり気候・陽気だと思うのです。なんとなく春が近づいている予感のする日。
という訳で、取り敢えずと言ったら父に怒られそうですが、父の墓参をしてから彼の墓参へというコースが私の例年の3月10日です。春探し、ですね(*^o^*)
父の時は10年祭で区切りを付けましたが、母は1年祭だけでいいわよ、と。なんと申しましょうか、遺った者の為の法要かな、と思います。
投稿: yukimiya | 2024年2月20日 (火) 16時21分
yukimiya 様
コメントいただきありがとうございます。
健康第一、その通りであります。しかしながら歳を
重ねれば不具合箇所は増える一方です。無病息災
が理想ですが一病息災どころか多病息災を目指す
のが現実ではないでしょうか。私も心身ともにポン
コツとなりつつあります。その点、森田の教えでは
病気や障害を抱えながらも残った健康部分を最大
限活用して、「生き尽くす」ことを目指すように思い
ます。
覚えていて下さってありがとうございます。母の
命日は3月20日。それで一周忌は来月10日です。
四十九日の餅が食べきれなくて小さくして冷凍に
してあって、私が少しずつ食べています。あと2週
後に食べ尽くせるはずです(笑)。
投稿: 四分休符 | 2024年2月21日 (水) 05時38分