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2024年3月 7日 (木)

神経質礼賛 2203.会食恐怖の原因

 病院で新規入院患者さんのデータを入れる際、食事に関しての入力に時間がかかる。常食であれば話は簡単であるが、高齢者だと、副食の形態、トロミを付けるかどうかなどこと細かく指定する必要がある。若い人だとアレルギーや食べられない物が意外とあってこれも忘れてはいけない。「昔は学校で給食が食べられない子がいて午後の授業時間もまだ机の上に置かれていたなあ、昔はアレルギーはなかったんでしょうかねえ」「今は清潔になり過ぎて、免疫系が過敏に働いてしまうんじゃないでしょうか、花粉症もそうだけどアレルギーの人は増えていますね」、スタッフとそんな話をしていた。

   家に帰ってパソコンを開くと、ネットニュースの見出しに会食恐怖の原因は学校給食、というものが目に留まり、読んでみた。元ネタはFNN系のニュース番組で、会食恐怖の人642人に原因として思い当たるものをアンケート調査したところ223人(34.7%)が給食などでの完食指導・周囲からの強要でこれが最多だったという。そのうち161人が給食だったとしている。そして、会食の際には吐気・動悸・めまいに悩まされているという。

 会食恐怖は対人恐怖の一種と考えられ、当ブログでも、便所飯(547話)、会食恐怖(1118話)、会食恐怖の克服法(1847話)といった記事を書いている。私自身も会食は苦手な方で、一人で食べる方が安心できる。その原因を考えてみると、幼稚園の時の弁当ではないかと思い当たった。幼稚園は家のすぐ近所だったから、しばしば「お弁当は後で持っていくからね」ということで弁当を持たずに行って心細い思いをしたのと、時々サンドイッチのことがあって、他の子と違うので、先生や周りの子からいろいろ言われて嫌な思いをすることがあった。それで周りの目を気にする習慣がついてしまったのだろう。

 3月・4月は会食の機会が増える。新入社員・新入生にとってはただでさえ緊張する場面が多い。食事の場所や状況も変わる。周りの人がどう見ているか考えていたら一人相撲で疲れてしまう。完璧を求める必要はない。食べられない時は残したっていい。その場にいることができれば、目的は達しているのだから。

 

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コメント

記事と関係ない話ですみません。

昨年の4月から、日記を付けています。それは、むかし付けていた「森田」の日記とは違って、行動をただ記録しているだけで、起床と就寝以外は、時間も書いていません。日記というよりメモみたいなものですが、行動力がない私でも、日常生活はそれなりに回っていると、なんとなく感じられるのでイイみたいです。

ママっ子 様

 コメントいただきありがとうございます。

 行動の記録が1年間続いているということは、
充実した生活が送れているということです。
これこそ日々是好日なのではないでしょうか。


  四分休符先生へ

  会食恐怖は対人恐怖の一種と考えられるとのことですが、
  私の場合は違って、次のようなものでした。
  生来の神経質ですから、対人緊張は当然ありますが、心臓
 神経症でしたから、対面の人が怖いということはありませんで
 した。ただ、理髪店や歯医者など一定の時間動けない空間が
 苦手ですから、皆と食卓を囲むのも途中で逃げられないという
 閉所恐怖的不安がつきまとっていました。
  堅苦しいフラン料理のフルコースなど特にそうでした。
  ですから、大方食事が終わりにちかくなると、気が楽になり、
 散会となる大層元気になります。
 
  しかし、考えてみると贅沢な話で、戦争中は食べ物がなく、堤防に
 生えている草でも口にして飢餓をしのいでいたことをかんがえると
 バカげたことです。
  
  不安神経症でも、会食恐怖がこういう形であるという一例を示しました。
  
  ちなみに今は、あまり機会はないのですが、フランス料理など今日の
 献立表を見ながら、さて、次は何かなと興味の方に注意がいっています。
 老人の図々しさが出てきているのかもしれませんね。


 

 四分休符先生

 四分休符先生のお弁当の、なんとハイカラな事!サンドイッチ。 私は幼稚園児には大き過ぎるドカ弁でした。 完食すると母が喜ぶので皆がシューベルトのアヴェマリアの音楽流れるお昼寝の時間に食い込んでも私は一人お弁当箱とにらめっこしていたものです。先生には何も言われず。やさしい先生でした。抱っこしてもらいました。
 母がいとおしかったのです。 暴言、暴力、暴君、厳父の父から守りたかった。それが長じてパラサイトになるとは。加えて母は今もって支配的です。なんだか、ねじれていますね...

 子供とは嘔吐・発熱・転ぶなどよく有ります。私は当事者でもないのにそんな光景がずっとこびりついていて神経症に。当事者達は国内外での大活躍。

 給食は苦手でした。脱脂粉乳。吐き気がするのです。それに量が多過ぎる。幼稚園児の頃はコロコロしていた私の体型はスリム化していきます。無理矢理飲ませようとする厳しい先生。幼稚園の、やさしい先生とはわけ違います。 だとしても...嘔吐恐怖は解るものの、会食恐怖にはならなかった。 神経質流儀さんとよく似た神経症症状ではありますが...

 新聞広告で「嘔吐恐怖・会食恐怖」を見て記事は切り取ってあります。そうか、それがありか、と思いながら。

神経質流儀 様

 コメントいただきありがとうございます。

 会食恐怖は対人恐怖の亜型と決めつけてしまい
ましたが、確かに広場恐怖agoraphobia・・・逃げら
れないような場所や状況で強い苦痛や不安を生じ
てそれを回避しようとする・・・でも起こり得ます。
そして、広場恐怖はパニック障害と重なる部分も
あり、不安神経症に分類されますから、仰る通り
であります。

 フランス料理ではナイフとフォークの使い方や
作法が気になって料理を楽しむどころではない
ので、恐ろしい場面にもなりえます。しかし、歳
を取ってくると、図々しくなって、我流で食べて
もいいじゃないか、が今の私です。

yukimiya 様

 給食の脱脂粉乳は私も苦手でした。小学校
4年までは脱脂粉乳で、5年生の時に牛乳に
なって、ほっとしたものです。
 所々凹んだ傷だらけのアルマイトの容器に
入っているのは家畜のエサみたいだったし、
脱脂粉乳の縁が紫色になっているのがとても
嫌でした。とにかくやっつけるという感じでした。

 逆に給食で一番美味しいと思ったのは鯨の
竜田揚げでした。今では捕鯨は残酷だ、野蛮
だと非難されますが、かつては貴重な栄養源
でした。

 四分休符先生

 嘔吐恐怖。 パニック障害である私ですが、嘔吐恐怖です。

 11歳の折、電車内で酔って嘔吐。父の機嫌を損ねました。「くさかったぞ」その一言でもう、一発アウトです。車酔いを嫌がる父でした。舌打ちする父。

 学校でも父のような性格の持ち主と思われる男子生徒を見るだけで恐怖感を抱いたものです。ゆえに登校拒否。 教室から出られない恐怖もあって、座席はドア近くに席を置いて座っての異常授業。 大学では試験に落ちたら単位が取れません。試験時間拘束が恐ろしく、2日、3日飲食せずフラフラ状態に追い込んで試験に臨みました。単位を落とすこと無く卒業して、そのまま鈴木先生のところへ飛び込んだという経緯です。

 母は過保護or過干渉。父は先の通り。神経症人を育てていたのでは?

 夫には神経症が当てはまらない。心療内科の先生と夫の精神性、そして父が12年前にポクッと逝ったという要素で私の嘔吐恐怖はほぼ薄らいでいます。公共交通機関は依然としてダメですが、そもそも乗る機会が無い。こう長らく神経症生活していますと、それ以外の生活則が無い。

 「親ガチャ」という言葉は好きではないですが、誰でも親は選べない、当たり前ですが。私の人生、これだったんだ、と思って全うしよう、としています。

 神経症に振り回された人生。これもまた人生。軽快になった時の、生きる喜び。それでいいか、そう思うのです。

yukimiya 様

 乗物酔、辛いものです。子供の頃、田舎の
舗装されていない道路を走る路線バスで気持
が悪くなった覚えがあります。まさに逃げられ
ない状況です。

 「フラフラになりながら試験を受けて単位を落
とすことなく卒業」はまさに神経質のなせる業
だったのではないでしょうか。
 そして、「私の人生、これだったんだ」、あるが
まま、これでいいのだ、です。

四分休符先生

僕は青年期から様々な神経質症を経験し、恐怖症の総合商社(症者?)のような人間だと自認しておりますが、中でも会食恐怖には、20年、30年と長きにわたってずいぶんと難儀しました。
大学生の頃に発症したのですが、僕の場合は、「もったいない」「残したら負け」というとらわれや、「出されたものは全部食べなければ失礼にあたる」とか「男ならモリモリ食べなくてはならない」といった「かくあるべし」の思考が発症の根底にあったのだと思います。

最初は些細なことがきっかけでしたが、そのうち拒食症恐怖・摂食障害恐怖(ものが食べられなくなり、死んでしまうのではないかというとらわれ)へと症状が増悪し、会食どころか、ひとりで食事をしていても、強い不安に襲われることが多くなり、一時は「食べる」ということがどういうことかわからなくなってしまったこともありました。体重も減って、とてもしんどかったです。

その後、ダッチロールを繰り返し飛行する航空機のような人生を送ってきましたが、なんとか墜落することなく中年まで生き延びました。

50歳を過ぎた今でも、素敵な女性や苦手な人との会食はとても緊張します(もうそんな女性と会食することは、ほとんどなくなったけれど)が、森田のおかげで「こころのからくり」の仕組みもだいたいわかっているので、不安なままになんとかしのいでいます。

どんな症状でもそうですが、逃げてばかりいたらなかなか改善はしませんね。「慣れ」も大きいと思います、というかほとんど慣れですね。

近年、会食恐怖が認知されはじめたのは好ましいことです。この症状への理解が進み、症状で悩んでいるかたがたが少しでも楽に過ごせるようになることを願っています。

それから、先生のような人生の先輩が「私も会食は苦手な方」と、弱みではないですが、そういうことを正直に書いていただけるだけで、ずいぶんと気が楽になります。ほかにも救われている人がたくさんいると思います。
あとの人のためになるかどうかわかりませんが、僕もいずれ自分の体験を文章にまとめて公表したいと考えています。

「助からないと思っても 助かっている」——河井寛次郎の言葉がふと頭に浮かぶこの頃です。

追伸
先日は〈バカボンのパパ〉についてのコメントを重複して送ってしまい、まことに失礼いたしました。
「これでいいのだ!」とは、とてもいえない失敗で、ひとり赤面しておりました(恥)

kunu 様

 コメントいただきありがとうございます。

 偉い人、苦手な人、女性との会食の場では多かれ
少なかれ緊張するものですが、緊張してはいけない、
話題豊富に話さなくてはならない、しっかり完食しな
ければいけない、と「かくあるべし」にとらわれてしま
うとますます苦しくなってしまいます。まあ、こんなも
んだ、と仕方なしに参加しているうちに何とかなって
きます。

 「助からないと思っても助かっている」は将棋の大山
十五世名人も使っていた言葉で、私も大好きです。

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