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2024年3月14日 (木)

神経質礼賛 2205.桜切るバカ 梅切らぬバカ

 このところの暖かさでソメイヨシノのつぼみが膨らんできている。来週には各地から桜開花の便りが伝わってきそうだ。この「バカ」が2回出てくるちょっと刺激的なことわざがあることをつい最近になって知った。桜は太い枝を切ると断端から菌が入ってダメージを受けやすい。一方、梅は新しい枝がどんどん伸びてくるので切ってやらないと花や実がつきにくくなる。柿切らぬ(折らぬ)バカということも言われる。そういったことからできたことわざらしい。もっとも、桜はほったらかしでいいわけではないし、梅や柿もやみくもに枝を切っては逆効果である。要はその木の性質や状態をよく見極めてそれに適した剪定をせよということだ。

 これは教育法に関しても言えることではないだろうか。森田先生は「人を見て法を説け」と言っておられたが、その人の状態をよく見てそれに合わせて指導・アドバイスをしていくことが大切である。神経質人間は概して自己肯定感が乏しくちょっとしたことで凹みやすい。その反面、現状を克服してよりよく生きたいという強い意欲を持っている。だから月1回の形外会での御発言をみると、「神経質は病気ではない」というスタンスから神経質を礼賛する発言を繰り返しておられる。しかし、時々「あまり自慢されても困る」とクギを刺すことも忘れていない。特に、後に生活の発見会を創始された水谷啓二さんに対しては少々厳しい言葉が多いが、それは水谷さんがそれを跳ね返す力を持っていて、厳しく指導することでより成長する人だと見込んでいたからだと思う。森田療法は単に治療法というだけでなく一種の人間教育という面も持っている。そして森田先生は優れた教育者でもあったと思う。

 

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コメント

先生、お返事を頂き恐れ入ります。
今日は外出のあと、読みたい雑誌をもってコーヒーショップに行きました。日に2度の外出は珍しいことなのですが、家で読める気がしなかったので、ぐずぐずした後思い切って出かけました。それが良かったみたいで、また、雑誌の内容がとても良かったからか、久しぶりに不安感から解放されたような、はっきりした気分の晴れ間の中にいます。すごく気持ちいい。明日、今日とは違っても、あまりがっかりしないようにしたいです。

あすはミニミニ音楽会へ行きます。無料で聴かせてもらえるプロの演奏です。気分がどうあれ行って、スイーツを食べてきたいです。


四分休符先生へ

  「梅切らぬバカ」で日頃考えていることを思い出しました。

  梅も切る時期があるように、神経質にも年代によって対処の方法が
 異なり、受ける我々もそれぞれの年代によって、森田の言葉をかみし
 める味わいが異なるように思うのです。
  数年前「まあ80歳も半ばを過ぎたら、森田もへちまもどうでもいいじゃ
 ないか」と仲間にいわれました。
  四分休符先生が仰るように、森田は人間教育の面がありますので
 老人には老人の森田があってしかるべきではないかと思っています。
  いくつになっても「生の欲望」はあるものです。老人性鬱なども出てくる
 可能性だってありますしね。

  そこで、ご承知のようにヒンドウ社会の4住期、学生期、家住期、林住期、
 遊行期に合わせたかたちでもよいのですが、下記のように、年代別に分け
 てそれぞれの神経質礼賛をまとめられたらいかがでしょうか。

  青年期(~30歳)、壮年期・中年期(30~60歳)、初老期・老年期(60~
 90歳)それぞれ30年きざみです。大変失礼ですが四分休符先生は初老期
 にあたると思うので、神経質礼賛を温めている時期かとお察しし(笑い)、
 今までの豊富なご診察の経験も交えて、一冊の本として纏められたら、
 名著がまた一冊できるのではないでしょうか。

  たしか森田先生が神経質は20歳くらいで卒業するのが一番いいと書いて
 おられたように記憶しています(だいたい15~16歳位でとらわれてから)。
  あとは、神経質を磨いていくということでしょう。

  劣等生の私ですが、四分休符先生の「年寄りの図々しさで、フランス料理
 の会食なんかは自己流作法でやっています」の記事を拝見して、森田老年
 期の達人のお姿を拝見する心地です。
  誤解のないように(森田青年期は作法をひとまず学んだほうがいい)(笑)
  


ママっ子 様

 調子が悪い時こそ一歩前に出てみると
見える景色も変わってくるというものです。
コンサート帰りのスイーツは一層美味し
かったのではないでしょうか。

神経質流儀 様

 コメントいただきありがとうございます。

 仰るように、年代によって、それに合った
森田があるようにも思います。老年期では
無理はききませんから、「だましだまし」動
いていればそれでよし。さらに高齢になれ
ば、生きているだけでそれでよし。といった
ところでしょうか。
 私の師の大原健士郎教授は「死にゆく人
への森田療法があってもいいんじゃないか」
と常々いっておられました。

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