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2024年4月28日 (日)

神経質礼賛 2220.『森田療法はこうしてできた』(畑野文夫著)

 鈴木知準先生の教えを受けた方の多い森田療法の勉強会「正知会(しょうちかい)」会長の畑野文夫さんから御著書を頂いた。今月新刊となったばかりの『森田療法はこうしてできた 続・森田療法の誕生』(三恵社)という書であり、前著『森田療法の誕生』(1330話)という大著を補完するものである。本文は前半の約70ページで、後半は森田先生が「低能児の教育について」と題して日本児童学会で講演され、それを元に月刊の機関紙「児童研究」に連載された論文を現代表記に改めたもの、という構成になっている。

 森田先生は十歳頃にお寺で極彩色の地獄絵を見て死の恐怖におののき不眠に悩むようになった。十五歳頃に頭痛と心悸亢進症が出現して心臓病と診断され薬を飲み続けることになった(これは実は心臓神経症だったと後に気付く)。厳格な父親との葛藤、母親の溺愛がその下地となっていたと思われる。そして東京で大学生活の時には試験前に勉強に集中できず、神経衰弱・脚気と診断され、父親からの送金が途絶えて大ピンチに陥り、「親への面当てに死んで見せよう」と寝ないで猛勉強したところ、症状は消失し、試験の成績も思いのほか良かった。そして遅れて送金もされてきたということがあり、この「必死必生の体験」がのちの森田療法につながったと森田先生自身が述べている。しかし、畑野さんは森田の日記を詳細に分析して、実は心悸亢進や神経痛などの症状は続いていて、治ったのは心臓神経症ではなく勉強恐怖だったとしている。森田先生は決して嘘をつかれたのではなく、「弱くなり切る」「窮して通ず」が神経症を治すことをわかりやすく説明するためにその典型的な体験を述べられたのだと私は解釈する。

 今回の御著書で、畑野さんは森田療法の基礎にモンテッソーリ教育(392話・1402話)があることを示しておられる。マリア・モンテッソーリ(1870-1952)はイタリアで最初の女性医師。精神病院に勤務して知的障害の子供たちを観察した経験から、子供の自発性を生かす教育法を編み出した。森田先生(1874-1938)も知的障害児の教育に強い関心を持っていた時期がありモンテッソーリを高く評価しており、その教育法を「余の療法」に取り入れていることは十分に考えられる。今回なかなか読むことのできない貴重な森田先生の論文を公表して下さった。とてもありがたいことである。

 

2024年4月25日 (木)

神経質礼賛 2219.診察室のパーティション撤去

 新型コロナの感染が広がっていた頃、感染防止対策に外来診察室に透明アクリルのパーティションが設置された。診察机の前に1枚、横に1枚である。狭い診察室がますます狭くなり、車椅子の患者さんが入って来ると車椅子が当たってパーティションが倒れたり、高齢の方が立ち上る際にパーティションの枠に掴まろうとして倒してしまったり、患者さんが連れて来た小児が触って倒したり、というトラブルが絶えなかった。枠は軽いプラスチック製なので掴まることはできない。それに、声が通りにくくなるから、難聴の方との会話は困難になる。結局は近くに寄って大声で話さざるを得ない。それが、ようやくこのところの感染減より、先週末に撤去となった。心理的にも患者さんとの間の隔てがなくなるのはいいことだ。もともとこうだったんだよなあ、と思う。患者さんたちも「あ、仕切りが取れたんですね」「スッキリしましたね」と言ってくれる。ただし、3つの診察室のうち一つは発熱者を診察する場合に備えてまだそのままになっている。また、新型コロナに限らず何かの感染症の流行でパーティションを再利用しなければならない事態が起きなければいいのだが、とつくづく思う。

 ただ、ここ5年余りでマスク常時着用の習慣がすっかり身についてしまった。元々精神科医は内科医や外科医と異なりマスクをする習慣が長年なかった。マスクを外して患者さんと話すようになる日は果たして来るのだろうか。

 

2024年4月21日 (日)

神経質礼賛 2218.ミルクスタンド(2)

 今日はビデオ撮りの本番。余裕をみて1本早い新幹線で東京に向かう。久しぶりに新幹線の車窓から見る富士山は霞んでいて傘雲を被っていた。撮影場所の品川の貸オフィスには開始時刻の40分前に着いた。前の先生の撮影が長引いていたため少し遅れて始まった。カメラが2台セットされていて、さすがに緊張する。ところどころつかえたりしながら一気に80分ほど話した。とにかく終わってホッとする。

 せっかく東京に来ているのだから美術館にでも立ち寄りたいけれど、あいにく出光美術館は展示品入替中。あさってから仙厓さんなどの復刻開館記念展があるのに惜しい。国立博物館の中尊寺金色堂展は終わってしまったし、都美術のデ・キリコ展もまだ始まっていない。今にも雨が降りそうな天候でもあるから今回は早めに帰ることにした。ビデオ撮りが終わってから向かったのは秋葉原駅の総武線ホームにあるミルクスタンド「酪」(2161話)。昨年秋に新聞記事を読んでから行こうと思ってもなかなか行く機会がなく、半年後にようやく実現した。創業70年位になる、瓶の牛乳にこだわり厳選された商品をそろえている店だ。価格は1本170円~230円位のものが多い。一体、何を注文したらよいのかわからなくて「本日のオススメ」とある「野草ゆたかな みんなの牛乳」というものにした。「ずいぶん種類がたくさんありますねえ」と店員さんに話しかけると、「私もよくわからなくてね(笑)」と答えが返って来る。普段スーパーで買っている牛乳よりもずっと「美味しい」と感じる飲み口だった。店の看板には「酪」の上に英語でMILK SHOP LUCKと書かれている。幸運が巡ってきそうである。

2024年4月20日 (土)

神経質礼賛 2217.講演のビデオ撮り

 明日は、東京で、メンタルヘルス岡本記念財団から依頼のあった「心の健康セミナー」講演のビデオ撮りの日である。私も含めて全部で8人の講師の講演を2日かけて録画することになっている。今回ビデオで撮ったものは6月~8月に1週間くらいの期間限定でYouTube配信されるそうである。また、10分程度のダイジェスト版が財団ホームページにも掲載されることになっているという。こちらは長期間公開されることになるだろう。それだけに失敗して醜態をさらすのが恐ろしい。以前のTV出演(1514話)以上にひきつった表情を晒してしまうのではと心配になる。演奏会の直前以上にプレッシャー大である。いやが上にも緊張感が高まる。

   PowerPointスライド原稿は財団にあらかじめメール添付で送ってある。財団の担当者の方が見やすく色を付けて手直しして下さってあった。発表原稿は実際に繰り返し読んでみて、気になったところは微修正していった。全部で75~80分の講演を通しで5回以上読んで練習している。しかし、いくら練習の回を重ねても心配は尽きない。元々話すのは苦手で滑舌がよくないのはどうにもならない。これだけ準備を重ねたのだから、後はなるようにしかならないだろう。「弱くなり切る」を実践するまでだ。

 財団からのビデオ配信の日程が決まったら、また改めてお知らせします。

 

2024年4月18日 (木)

神経質礼賛 2216.光回線の乗り換えには御注意を

 1年半ほど前にわが家の電話とネットは光回線にしたのだった(2032話)。安価なADSLが近々廃止になり、アナログ電話もいずれは光電話に切り替えなくてはならないためである。2カ月前に新しいプロバイダと同一系列のケーブルTV会社のセールスが来て、家のすぐ前をケーブルTVの光回線が通っているから、そこの光回線に乗り替えた方が少し安い料金で通信速度が速くて得だという。料金請求も光コミュファとプロバイダの2か所ではなく、ケーブルTV会社だけになってスッキリするという。工事費無料で解約手数料は支払うという話だ。それで、乗り替えることにした。それは厄介ごとの始まりだった。

 電話で工事日を予約。これもひと手間だ。0120で始まるコールセンターは繋がりにくい。工事日には工事車両が来て、電話機が設置してある2階だけでなく、光ケーブルを引き込んでいた3階にも入り込んで作業をする。今まではちょっと大きめの装置が1台だけだったのが、今度は本体とスプリッタとWiFiの3台になってしまった。それぞれの大きさは小さいけれども、それぞれACアダプタがあって、コンセントからの配線がゴチャゴチャする。配線コードを嫌う妻からはブーイングである。こんなデメリットがあるとは考えが及ばなかった。そして、光コミュファとプロバイダの両方に解約の連絡をするが、これまた0120で始まるコールセンターにはなかなか繋がらない。ようやく解約手続きができると、今までの装置の返却作業がある。解約セットが郵送されてきて、光ケーブル切断ツールを使って従来のケーブルを切断する。間違えたら大変。やり直しはできない。神経質ゆえ何度も確認してから慎重に行う。返送用の段ボール箱を広げて機器と付属品・ケーブル類を入れて宅急便で返送する。それから、解約手数料の新会社への請求手続き。面倒がかかった割には、通信速度を実測してみると、あまり変わっていない。料金も少し安くなるという話だったが、それは番号表示機能を含まない料金で、それを加えたらかえって若干高くなってしまった。皆様も光回線の切り替えはくれぐれも慎重に。特に装置が何台必要かは要チェックです。

 

2024年4月14日 (日)

神経質礼賛 2215.紫式部の適応障害(3)

 紫式部日記の前半は中宮彰子の出産前後のルポ記事である。その後の「消息体」と呼ばれる部分では、同じく彰子に仕える女房たちを紹介している。彰子付の女房たちはいわばお嬢様育ちが多くて、そのサロンには上品で抑制的で消極的というムードがあった。そのため上級貴族たちからは「近頃は気の利いた女房がいなくなった」「以前の皇后定子の時代の後宮はよかった」と懐かしむ声があったようである。定子自身が明るい性格で清少納言をはじめとするお付きの女房たちも才気煥発で男性貴族たちと機知に富んだやりとりを繰り広げていたことは『枕草子』で知られるところである。すでに定子が亡くなって十年以上経っているのに、これではいけない、と式部は考えた。清少納言は定子が亡くなって宮仕えを辞めてからも『枕草子』書き続け、それが世に広がっていて理想的な皇后定子サロンのイメージが拡散していたようだ。

 日記では彰子付女房たちの紹介の後に有名な三才女評がくる。同僚の和泉式部について和歌は見事であるが品格の問題を書いている。やはり同僚の赤染衛門は非常に高く評価している。それに対して最後の清少納言は「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人」(清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようです)とボロクソである。皇后定子は父の道隆が病没し、兄の伊周と隆家が花山院襲撃事件を起こして失脚してしまい、第一皇子を産んでいながら心細い状況に置かれていた。そうした中関白家の没落という事実は一切『枕草子』には出てこない。現代のSNSではないが、良い所だけを切り取っていつまでも素敵な定子サロンが続いているかの印象を与える。清少納言を弁護すれば、お気の毒な定子を盛り立て、さらには亡くなった後も定子を偲んで、スタンドプレーに徹していたのだろう。そのことは紫式部も分かってはいただろうけれども彰子付女房という自分の立場上、容認するわけにはいかず、手厳しい批評となったものと思う。適応障害だった紫式部もいつしか彰子サロンを代表する女房に成長していたのだ。

 

2024年4月12日 (金)

神経質礼賛 2214.紫式部の適応障害(2)

 宮仕えに馴染めずに自宅に逃げ帰った紫式部。内省的な性格であるからかなり悩んだことだろう。自分には向いていない、宮仕えはやっぱり無理なのでは、という思いと、自分の能力を買ってオファーしてくれた藤原道長の期待に応えて活躍したいという思いが交錯して逡巡していたことだろう。「(神経質は)恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性である。単に氣の小さいのは意志薄弱の素質から起り、負けじ魂は神経質の素質から起るのである」と森田先生が言った通り、神経質の弱力性と強力性との相克を乗り越えて、半年近く経ってから再び出勤する。そして控え目ながら周囲の状況に沿って役割をこなしていく。パワハラ・セクハラだらけの職場ではあるが周りと適度に距離を取って切り抜けていく。その際はいわば「弱くなりきる」に徹していたようだ。常にこれでいいのだろうかと悩みながらも、気心の知れた同僚もでき、やがて主である中宮彰子から高い信頼を寄せられるようになり、彰子の望みに応じて漢文「白氏文集」を進講するようにもなる。彰子・その夫の一条天皇・道長から物語の続編執筆にも期待をかけられるようになる。役割意識が高まってくると、日記には宮中の女房たちのあるべき姿について書くようにもなる。宮中で見聞きしたことはさらに物語のネタにもなっていくのだから、もしも自宅に引きこもったままだったら、源氏物語はこれだけ立派な大作にはならなかったろうし、広く知られることもなかったかもしれない。辛くても一歩踏み出してそこに留まり、境遇に柔順(『神経質礼賛』p.113、ブログ263・828話)に行動していってこそ得られた成果である。

2024年4月11日 (木)

神経質礼賛 2213.紫式部の適応障害(1)

 先週、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシック『紫式部日記』(山本淳子編)を買って読んだ。高校生の頃、参考書として読んだものは断片的で全体の流れがわかりにくかったが、全体を通して読んでみると紫式部自身が当時の「宮仕え」・現代のOL生活に最初は馴染めず不適応を起こしていわば出勤拒否・引きこもりを経験し、その後、しだいに境遇に順応していった様子がよくわかって興味深かった。

 紫式部の生没年は不明で本名も不明ある。970年から978年の間に生まれたようである。幼い頃に母を亡くしている。大河ドラマ「光る君へ」で母が藤原道兼に刺殺されたというのは全く根拠のない創作であり、藤原道長と幼馴染で恋愛関係だったという話も創作である。仲の良かった姉を思春期頃に亡くしている。996年に父・藤原為時の越前守赴任に同行するも、翌年には都に戻り、やがて親子ほど歳の離れた藤原宣孝と結婚。賢子(のちの大弐三位)が生まれるが1001年に夫と死別している。その翌年から源氏物語を書き始めたと考えられている。清少納言が仕えた皇后定子が1000年に亡くなってそのサロンも消滅しているから、紫式部は清少納言とは実際には全く面識がなかった可能性が高い。1005年12月に中宮彰子のもとに宮仕えが始まるが、職場では誰からも声をかけてもらえず孤立。家に戻って半年近くひきこもる。現代で言えば適応障害ということになるだろう。ドラマでは幼少時より思い立ったらすぐに行動していろいろな所に首を突っ込んで強く自己主張する朝ドラ主人公のようなキャラクターに作り上げられているけれども、実際の紫式部は神経質で人前に出てうまく立ち回るのは苦手だったと私は考えている。宮仕えの女房にはプライバシーがなく、個人の手紙なども勝手に人に読まれてしまったりする。足の引っ張り合いや陰湿ないじめもあったりしたようだ。家庭生活からいきなりそういった環境に入ったら内向的な人には相当こたえたと思う。

 

2024年4月 7日 (日)

神経質礼賛 2212.春なのに

 1カ月あまり前にうつ状態で入院となった女性患者さん。外泊して娘さんの入学式に参加して昨日病院に戻ってきた。御主人の話によれば家では落ち着いて過ごせて家事もできていたそうである。家族で花見にも行ったという。退院予定が決まる。面談を終えて、退院関連の書類を急いで作成し、退院処方も出しておく。仕事を終えて帰宅する途中、駅のコンコースは大勢の人であふれていた。祭り会場への案内板も見かける。かつて子供たちが通った小学校横の歩道は桜トンネルになっている。春満開である。

 しかし、先月から今月にかけて「調子が悪い」「落ちている」と訴える外来患者さんが実に多い。毎年この時期になると具合が悪くなるという人もいる。暖かくなりいろいろな花が咲き出す春なのになぜだろうか。日中は汗ばむほど気温が上がるが、朝晩は冷え込み、温度差が大きく身体がその変化に付いていきにくい。「春の嵐」のような荒れた日もあって、意外と気候が不安定である。それに加えて、卒業・入学、就職・職場異動などの大きな変化が起きる時である。自分には直接関係はなくても世間には華やかだがそわそわ落ち着かない空気が流れている。気分が不安定な人はそうした空気の影響を受けやすい。そして、華やいだ外界と自分の気分との落差を大きく感じてますます落ち込みやすい。学校や職場に行きたくないという人も出てくるだろう。特に神経質の人は悪いところにばかり目がいきやすい。そこで休んでしまうと本当に行けなくなってしまう。気分は重くてもとりあえず行って最低限のことはやってくる、という姿勢も大切である。そしてできることをボツボツやっているうちに何となく調子も出てくるものである。

 

2024年4月 4日 (木)

神経質礼賛 2211.失言の果てに

 一昨日、仕事から帰ってTVのローカルニュースを見ていたら突然K知事の辞職表明のニュースが飛び込んできて、記者会見場面に切り替わった。新規採用職員への訓示の際に「県庁はシンクタンク。野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、基本的に皆さんは頭脳、知性の髙い人たち」と発言したのが職業差別ではないかとの批判を受けてのことだった。K知事はリニア中央新幹線計画に対して南アルプスの環境問題や水源問題を指摘して、静岡工区の工事に待ったをかけてきた。長いものには巻かれろ・万事ことなかれ傾向の強い土地柄ではあるが、国や大企業に対してひるむことなくハッキリ物を言う知事の姿勢はそれなりに支持を集めてきた。しかし、失言も目立っていて、J党の県議について「ヤクザもいる、ゴロツキもいる」と発言したり、選挙応援の際に対立候補について「あちら(G市)にはコシヒカリしかない」と発言したりして問題視された。こういう形で辞職になってしまうのは残念なことである。

 今から10年以上前にA元総理・当時副総理の失言が問題になっている件を書いた記事がある(868話)。社会保障制度改革国民会議の場で終末期医療の患者を「チューブの人間」と表現し、「政府の金で延命治療をやってもらうなんてますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと解決しない」と発言した。この人はたびたび放言問題を起こしながらもそのたび一言陳謝して発言を撤回するだけで辞職することもなく、現在も政界に君臨している。

 失言をする人は何度も同じことを繰り返しやすい。自己愛が強く、レッテル貼りを好み、上から目線になりやすい。その点、小心で、「こんなことを言ったらどう思われるだろうか」と周りの顔色を窺いビクビクしている神経質の場合、失言は起きにくいものである。かつて森田療法をいち早く支持し、自ら森田療法を行った下田光造(みつぞう)九州大学教授は「神経質の患者は、世の多くの天才が、自制心に欠けて、その没落や挫折を来すのとは趣を異にし、反省心に富むと共に、向上努力の念が強いため、真に偉大な人物が生まれる」と述べている。

 

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