神経質礼賛 2220.『森田療法はこうしてできた』(畑野文夫著)
鈴木知準先生の教えを受けた方の多い森田療法の勉強会「正知会(しょうちかい)」会長の畑野文夫さんから御著書を頂いた。今月新刊となったばかりの『森田療法はこうしてできた 続・森田療法の誕生』(三恵社)という書であり、前著『森田療法の誕生』(1330話)という大著を補完するものである。本文は前半の約70ページで、後半は森田先生が「低能児の教育について」と題して日本児童学会で講演され、それを元に月刊の機関紙「児童研究」に連載された論文を現代表記に改めたもの、という構成になっている。
森田先生は十歳頃にお寺で極彩色の地獄絵を見て死の恐怖におののき不眠に悩むようになった。十五歳頃に頭痛と心悸亢進症が出現して心臓病と診断され薬を飲み続けることになった(これは実は心臓神経症だったと後に気付く)。厳格な父親との葛藤、母親の溺愛がその下地となっていたと思われる。そして東京で大学生活の時には試験前に勉強に集中できず、神経衰弱・脚気と診断され、父親からの送金が途絶えて大ピンチに陥り、「親への面当てに死んで見せよう」と寝ないで猛勉強したところ、症状は消失し、試験の成績も思いのほか良かった。そして遅れて送金もされてきたということがあり、この「必死必生の体験」がのちの森田療法につながったと森田先生自身が述べている。しかし、畑野さんは森田の日記を詳細に分析して、実は心悸亢進や神経痛などの症状は続いていて、治ったのは心臓神経症ではなく勉強恐怖だったとしている。森田先生は決して嘘をつかれたのではなく、「弱くなり切る」「窮して通ず」が神経症を治すことをわかりやすく説明するためにその典型的な体験を述べられたのだと私は解釈する。
今回の御著書で、畑野さんは森田療法の基礎にモンテッソーリ教育(392話・1402話)があることを示しておられる。マリア・モンテッソーリ(1870-1952)はイタリアで最初の女性医師。精神病院に勤務して知的障害の子供たちを観察した経験から、子供の自発性を生かす教育法を編み出した。森田先生(1874-1938)も知的障害児の教育に強い関心を持っていた時期がありモンテッソーリを高く評価しており、その教育法を「余の療法」に取り入れていることは十分に考えられる。今回なかなか読むことのできない貴重な森田先生の論文を公表して下さった。とてもありがたいことである。
最近のコメント