神経質礼賛 2214.紫式部の適応障害(2)
宮仕えに馴染めずに自宅に逃げ帰った紫式部。内省的な性格であるからかなり悩んだことだろう。自分には向いていない、宮仕えはやっぱり無理なのでは、という思いと、自分の能力を買ってオファーしてくれた藤原道長の期待に応えて活躍したいという思いが交錯して逡巡していたことだろう。「(神経質は)恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性である。単に氣の小さいのは意志薄弱の素質から起り、負けじ魂は神経質の素質から起るのである」と森田先生が言った通り、神経質の弱力性と強力性との相克を乗り越えて、半年近く経ってから再び出勤する。そして控え目ながら周囲の状況に沿って役割をこなしていく。パワハラ・セクハラだらけの職場ではあるが周りと適度に距離を取って切り抜けていく。その際はいわば「弱くなりきる」に徹していたようだ。常にこれでいいのだろうかと悩みながらも、気心の知れた同僚もでき、やがて主である中宮彰子から高い信頼を寄せられるようになり、彰子の望みに応じて漢文「白氏文集」を進講するようにもなる。彰子・その夫の一条天皇・道長から物語の続編執筆にも期待をかけられるようになる。役割意識が高まってくると、日記には宮中の女房たちのあるべき姿について書くようにもなる。宮中で見聞きしたことはさらに物語のネタにもなっていくのだから、もしも自宅に引きこもったままだったら、源氏物語はこれだけ立派な大作にはならなかったろうし、広く知られることもなかったかもしれない。辛くても一歩踏み出してそこに留まり、境遇に柔順(『神経質礼賛』p.113、ブログ263・828話)に行動していってこそ得られた成果である。
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