神経質礼賛 2213.紫式部の適応障害(1)
先週、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシック『紫式部日記』(山本淳子編)を買って読んだ。高校生の頃、参考書として読んだものは断片的で全体の流れがわかりにくかったが、全体を通して読んでみると紫式部自身が当時の「宮仕え」・現代のOL生活に最初は馴染めず不適応を起こしていわば出勤拒否・引きこもりを経験し、その後、しだいに境遇に順応していった様子がよくわかって興味深かった。
紫式部の生没年は不明で本名も不明ある。970年から978年の間に生まれたようである。幼い頃に母を亡くしている。大河ドラマ「光る君へ」で母が藤原道兼に刺殺されたというのは全く根拠のない創作であり、藤原道長と幼馴染で恋愛関係だったという話も創作である。仲の良かった姉を思春期頃に亡くしている。996年に父・藤原為時の越前守赴任に同行するも、翌年には都に戻り、やがて親子ほど歳の離れた藤原宣孝と結婚。賢子(のちの大弐三位)が生まれるが1001年に夫と死別している。その翌年から源氏物語を書き始めたと考えられている。清少納言が仕えた皇后定子が1000年に亡くなってそのサロンも消滅しているから、紫式部は清少納言とは実際には全く面識がなかった可能性が高い。1005年12月に中宮彰子のもとに宮仕えが始まるが、職場では誰からも声をかけてもらえず孤立。家に戻って半年近くひきこもる。現代で言えば適応障害ということになるだろう。ドラマでは幼少時より思い立ったらすぐに行動していろいろな所に首を突っ込んで強く自己主張する朝ドラ主人公のようなキャラクターに作り上げられているけれども、実際の紫式部は神経質で人前に出てうまく立ち回るのは苦手だったと私は考えている。宮仕えの女房にはプライバシーがなく、個人の手紙なども勝手に人に読まれてしまったりする。足の引っ張り合いや陰湿ないじめもあったりしたようだ。家庭生活からいきなりそういった環境に入ったら内向的な人には相当こたえたと思う。
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