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2024年5月30日 (木)

神経質礼賛 2230.入院森田療法の行方(2)

 入院森田療法がますます継続困難な状況になってきていることは何度か書いてきた。現在の保険医療では採算が取れないという問題があり、他にもいろいろな問題がある。前回1727話に書いていて重複する部分もあるがまとめておく。

 私が研修医になった頃、浜松医大では森田療法が非常に盛んであり、日本全国から患者さんが集まり、国内外から見学に来る医師や心理士さんたちがいた。しかし、公務員の管理する国立大学病院であるから、病院当局とのバトルがいろいろあったことはあまり語られていない。畑作業のために病院の敷地外の農家から畑を借りていたが、安全面の問題を指摘されていた。また、月1回、森田の患者さんたちが畑で採れた野菜をベースに他の食材を買い出しに行って料理を作る食事会は、病院食を止めて勝手なものを食べるのはけしからん、衛生上も問題だとクレームが付き、食止めはしないでおやつを作る茶話会に変わったがそれでも当局からはいろいろと圧力がかかってきた。それらを一人で跳ねのけていたのが大原健士郎教授だった。

 その後、私は三島森田病院に移った。森田正馬先生の養子・秀俊先生はすでに亡くなっておられたが、奥様の貞子女史は健在で長く理事長を務められ、不採算部門であっても入院森田療法継続に強い意志を示しておいでだった。私立病院ではあっても行政による監査は入る。そのたびに入院森田療法にはクレームが付けられていた。「掃除やシーツ交換や配膳などは職員が行うべきで、患者さんに手を出させてはいけない。もし患者さんが行ったら相応の対価を支払わなければならない」と。森田療法の場合には、できることは自分でやる、率先して手を出していくのが重要だから、どうしてもこの「使役問題」にひっかかってしまうのだ。治療の一環として本人が自主的にやっていると主張して通してきたが、患者さんの「人権」を振り回されるとそれが通らなくなってきた。さらに洗濯にしても、自分の衣類やタオル類は自分で洗濯していたものが、近年の流れで業者に委託するようになってしまった。そうなると、上げ膳据え膳、何もしないでくつろぐ温泉旅館の生活になってしまう。理屈ばかりこねて行動が伴わない神経症者に適した治療の場が提供できなくなってきている。

 生活の発見誌に紹介されている入院森田療法を行っている施設は東京慈恵医科大学第三病院・東邦大学医療センター大森病院・浜松医科大学付属病院・三島森田病院・メンタルホスピタルかまくら山の5施設に過ぎない。現在勤務している病院の外来患者さんで森田療法希望の方がいて、渡邉直樹先生のメンタルホスピタルかまくら山を紹介したことがある。自然豊かな鎌倉にあって、心身ともに鍛えていただけるようである。何とか入院森田の火を消さないでほしいものだ。そのためにはもっと入院森田療法を一般の方々に知っていただく必要があると思う。

 

2024年5月26日 (日)

神経質礼賛 2229.スカルムーシュ

 今年も「アマチュア・アンサンブルの日」に出演できるという連絡が昨日あった。11月の本番に向けてまた練習していくことになる。先日、友人宅で練習した際に、「ミヨーのスカルムーシュは知っているかい」と聞かれた。私は聞いたことがなかった。2台ピアノの曲でクラリネットやアルトサックスなどでも演奏されるという。スカラムーシュとはパリの子供向けの劇場の名前で、モリエールの喜劇「飛び医者」を子供向けに改作してそこで上演された際、ミヨー(1892-1974)作曲のこの付随音楽が使われたそうである。3つの楽章から成り、ブラジル音楽の影響を受けた曲だという。上野耕平さんのアルトサックスによる第1楽章の演奏(約3分)がネット動画にあったので聞いてみる。2台ピアノの全曲演奏(約10分)もあって聞いてみる。親しみやすいメロディーがある一方で古いクラシック音楽では馴染みがないような和音や激しい動きがあって面白い。ハイフェッツによるヴァイオリン用編曲もあるらしいが、通販で探してもなく、アルトサックス版の楽譜を購入した。問題は、アルトサックスは移調楽器であり、楽譜上のドは実音1オクターブ下のミ♭になる。長6度下げるこの読み替えは厳しい。ヴァイオリン用に読み替えた楽譜をパソコン入力してプリントアウトしてみたが、神経質のくせに間違いが結構あってどうもいけない。演奏の音を聞きながら何度かチェックして訂正していくことにする。実際にピアノに合わせて弾けるようになるまでにはかなりの時間がかかりそうである。

<お知らせ>
 メンタルヘルス岡本記念財団 
第70回心の健康ビデオセミナー ソフト森田療法~森田療法とその応用~
令和6年9月6日(金)13:30~9月13日(金)12:00
YouTube動画が一週間限定公開される予定となりました。メンタルヘルス岡本記念財団のホームページから入ります。今のところ予告記事が掲載され、動画は「準備中」になっていますが、おそらく開始一週前位には予告動画が出ると思います。御興味のある方は御覧ください。

 

2024年5月23日 (木)

神経質礼賛 2228.ハードとソフト(2)

 畑野さんは「正直のところ「ソフト」に若干の抵抗を感じた」と仰っていて、これは当然のことだと思う。私自身も快刀乱麻を断つような切れ味鋭い森田療法に対する憧憬の念がある。近頃、森田療法学会で発表される症例報告の類に対しては「一体どこが森田療法なんだ」「外来であるがままの話をしただけで森田療法と言えるのか」と疑問を持っている。だから森田療法的アプローチを森田療法と言ってしまってよいのかと迷いがあった。実は、題名も当初は『ソフト森田のすすめ』の予定だったが、白揚社の担当さんから『ソフト森田療法』にしたらどうかと勧められて変更になったいきさつがある。しかし、森田療法かくあるべし、では現実から離れてしまう。事実唯真。今、困っている人々に役立つ森田療法が必要なのだと思う。

 森田正馬先生も晩年には「恐怖突入」という言葉をあまり使われなくなったという話を聞いたことがある。森田先生の時代の旧帝大エリート学生さんたちには厳しい指導がピタリと決まる場面が多かっただろうが、そういう人ばかりとは限らない。「人を見て法を説け」を実践しておられたのだと思う。歳を重ねられ御自身も病気のために何度も生死を彷徨う体験をされるとともに少しソフトになられた面もあるかも知れない。また、奥さんの久亥さんが森田先生に叱られてしょげている患者さんを励ますこともあった。『久亥の思ひ出』には森田先生のお弟子さんや入院中にお世話になった患者さんたちから寄せられた追悼辞が掲載されている。鈴木知準先生は初診時に森田先生から入院を許されず、久亥さんの助け舟のおかげで何とか入院できた思い出、母親が亡くなった時に身に染みる言葉をもらった思い出を綴っておられた。患者さんでのちに森田旅館で働くことになる亀谷氏はこっそり黒羊羹と熱い番茶をふるまってもらった思い出を記している。奥さんを含めたチーム森田として硬軟織り交ぜた治療が行われていたのである。

 

2024年5月19日 (日)

神経質礼賛 2227.ハードとソフト(1)

 『森田療法はこうしてできた 続・森田療法の誕生』(2220話)を送ってくださった著者の畑野文夫さんにお礼とともに拙著『ソフト森田療法』をお送りしたところお手紙をいただいた。畑野さんは鈴木知準先生の厳しい指導を受けられた。入院生全員の前で「君はアタマが悪いねえ」と指摘されたこともあったが、それが最も効果を感じた指導であり、3カ月足らずで生活態度が180度転回し、その後元に戻ることもなかったのはその厳しさのおかげだったと述懐されている。この治療経過は『鈴木知準診療所における入院森田療法 体験者の記録』(1245話)の最初のところにコンパクトにまとめられている。いわばハード森田が非常に鋭い効果を示したのだと思う。

 私は浜松医大で森田療法を担当していた時は森田原理主義者とでも言うような厳しい治療者だった。病棟全体がゆるやかな森田療法をベースに動いていて、うつ病や統合失調症などの患者さんにはいいのだが、神経症の人には生ぬる過ぎると感じていた。パニックとなることを恐れて畑作業に行かずベッドに寝ている担当患者さんは「あなたは何しにここに来ているのですか」と叩き起こして畑まで引っ張って行った。「もうダメです」と半泣きになっても「心電図で異常はないのだから健康体です。できないのではなくてやらないだけ」と引っ張った。その人は病院から1kmほど離れた畑の作業に行けるようになり、リーダーにもなった。一人でバス・電車に乗り片道3時間以上かけて外泊することもできた。ところが、退院間近で私が転勤となり、後任の先生は「辛ければ休んでよい」というスタンスだったのでズルズル退院を引き延ばしてそれから1年ほど入院し続けたと後で知った。しかし、ハード路線一本だと脱落例が増えてしまう。特にやや知的に低い方、パーソナリティの未熟な方の場合には支えが必要であり、担当看護師さんがいわば母親役となって入院治療を最後まで継続できた例も少なくなかった。やはりその人に合わせた森田療法が必要なのだと思うようになっていった。

 

2024年5月16日 (木)

神経質礼賛 2226.レジェンド

 掛川駅南口(新幹線口)にはいろいろな会社のタクシーが止まっている。一方、在来線ホームに近い北口のタクシー乗場にはほとんど一社のタクシーしか止まっていないことが多い。何でもそこはその会社しか客待ちしてはいけないことになっているという噂を聞いたことがある。それでももう一社のタクシーがたまに止まっていることがある。かなり年配のドライバーさんでいつもニコニコしながら話かけてくれる。別にスピードを出すわけではないが、不思議と信号で止まることが少なく、料金も他の人より大抵ワンメーター安い。カーナビなし、ベテランの技術と経験に裏打ちされた勘のおかげなのだろう。そして、レジェンドのドライバーだから他社の縄張りで客待ちしても苦情を言われることもないのだろう。昨日の朝は久しぶりにその人のタクシーに乗った。「良かったですよ。免許更新しましてね。認知症の検査も深視力の検査も大丈夫だったです。あと3年働けます。仕事があるっていいですねえ。家内が喜んでくれました。今までトラックやらバスやらいろいろ運転してきて60年になるけど最後はタクシーで終わりです」と、いつものニコニコ顔で話す。名もなきレジェンドたちが社会で活躍しているのは喜ばしい。

 精神科医の世界でも、こと精神療法に関しては歳を取ってさらに熟成していく部分がある。高良武久先生、鈴木知準先生、宇佐晋一先生といったレジェンドと言える往年の森田療法家たちは80代・90代でなお活躍しておられた。もしも森田先生が同じくらい長生きしておられたら「余の療法」はさらにどのように変貌していっただろうかと想像する。

 

2024年5月12日 (日)

神経質礼賛 2225.葬儀の変化

 毎週の精神科救急当直の担当から解放されて、先月から当直は月1~2回の土曜当直だけになり、プレッシャーは軽くなった。年齢を配慮してもらえたのだろう。とはいえ、入院患者さんの急変対応は変わらない。今朝は午前2時過ぎに病棟から90代患者さんの呼吸が停止しているという連絡が入る。すでに心電図はほぼフラットで、時々微弱な拍動が出るだけである。カルテを見ると、急変時に蘇生処置はしないということで御家族の了解を得ているため、御家族に電話して来院していただくことにする。隣市から1時間ほどで息子さん夫妻が到着。死亡確認し診断書を作成する。自分が担当している患者さんでないと、死亡関連の病名と罹病期間をどうするか、頭を悩ますところである。食事が摂れず、点滴を続けていて衰弱された方なので、主病名は老衰で問題ないが、関連病名の認知症がいつからなのかわからない。ケースワーカーさんがまとめた病歴にも前医からの紹介状にも全く書かれていない。介護サービスを利用し始めた時期から推定して記載する。普通は死亡診断書を書けば当直医の仕事は終わりで、電子カルテ上の退院処理は翌日に主治医にお任せすればよいのだが、日曜日だし、主治医の先生が次回出勤されるのは水曜日であるから、代わりにやっておく必要がある。県に提出する医療保護入院者の退院届も作成しておく。やれやれとちょっと横になると、5時頃に病棟から「葬儀屋さんが来ました」と連絡が入り跳ね起きてお見送りである。普通なら、葬儀屋さんが「これより葬祭会館〇〇にお送りいたします」と口上を述べて出棺するのだが、今回は「これより御自宅にお送りいたします」と。御自宅で通夜をするケースは極めて少なくなった。今朝、医局に届けられた新聞の折り込み広告にも家族葬のチラシが入っていた。最近は家族葬のTVコマーシャルも目立つ。やはり、超高齢化やコロナを背景に葬儀の規模縮小の流れになっているのだろうと思う。

2024年5月 9日 (木)

神経質礼賛 2224.いっぷくどうぞ

 今年の4月から病院の車を使った職員による送迎が廃止され、全面的にタクシーを利用することになった。利用するのは車通勤でない私とパートの薬剤師さん3名である。配車係を買って出てくれた薬剤師さんが1か月分の利用予定をタクシー会社にFAXで送って予約を取ってくれている。いろいろなドライバーさんがいるけれども、一昨日乗ったタクシーのドライバーさんは、初めての人だった。客席に乗り込んでみると運転席と助手席の間に小さな布の袋が取り付けられ、「いっぷくどうぞ」と書かれている。袋の中には個包装のキャンデーが入っているようだ。「洒落てますね。いいですね」と言うと、ドライバーさんは「喜んでいただけるかなと思って自分なりに工夫してみたんですよ」と。こういう創意工夫は大いに結構である。その心意気にこちらの気持ちも和む。昨日、他の薬剤師さんと乗ったタクシーも同じ車だった。この薬剤師さんは、手を伸ばして「一ついただきます」と。彼女が手にしたキャンデーは金太郎飴だった。ちょっとしたサプライズである。楽しさをいただいた。
森田正馬先生の書かれた色紙を思い出す(654話)。
      人に親切と思はれようとすれば 親切の押売りになり
      人を悦ばせようとすれば 即ち親切となる

 仙厓さんの禅画に大きな〇を一つ描いて、その横に「これくふて茶のめ」と書かれた一円相画賛がある。〇は饅頭に見立てたものだが、「これくふ」は森田先生の元の雅号の「是空」とも読める。まあ、難しいことは考えずに、素直にエアー饅頭を有難くいただくとしよう。

 

2024年5月 5日 (日)

神経質礼賛 2223.クヤヴィヤーク

 FMのクラシック番組をかけていたら、ポーランドの作曲家で名ヴァイオリニストだったヴィエニャフスキーの曲が続けざまに流れていた。彼の作品には2曲のヴァイオリン協奏曲、スケルツォ・タランティラ、華麗なポロネーズ、モスクワの思い出、などの名曲があるが、難曲揃いである。たまたま聴いたクヤヴィヤークは、「これなら弾けそうだ」というお手頃曲だ。ドリーブ作曲コッペリアのマズルカにちょっと似た旋律で親しみやすい。知りたがりの神経質ゆえ、調べてみると、クヤヴィヤークとはポーランドの五大民族舞曲の一つでマズルカの一種とも言われているようだ。確か高校時代にヴァイオリン関係の10巻分だけを買った音楽之友社の世界大音楽全集に楽譜が入っていたな、と思って引っ張り出すと器楽編第50巻にあった。途中で左手ピチカートが混在する部分と、最後のところのフラジオレットで半音階を素早く上がっていくのがちょっと難物だが、何とかなるかなと思い、ネットの楽譜図書館からダウンロードしてプリントアウトした。

 今日は友人との練習日。モーツァルトのヴァイオリンソナタなどいつもの曲を弾いた後で友人が初見で伴奏してくれてクヤヴィヤークを弾いてみる。いい感触であり、これもいずれレパートリーに加わりそうだ。今年も「アマチュア・アンサンブルの日」の出演申込をしてある。曲目はベートーヴェン作曲ヴァイオリンソナタ第5番「春」第一楽章とモンティ作曲チャルダシュ。果たして抽選を通るかどうか。練習を終えてから持って行った地酒を開けて幸運を祈る。

 

2024年5月 4日 (土)

神経質礼賛 2222.連休の中日

 今年のゴールデンウィーク後半は5月らしい晴天が続く。TVニュースで見ると5年ぶりにフル開催になった浜松まつりは昼の凧揚げと夜の御殿屋台でとても賑わっているようだ。今朝はいつも通りの時刻に家を出て、まずコンビニで昼食を買い込んで新幹線ではなく在来線に乗る。リュックやキャリーバックを携えた人たちが乗っている。若い男性たちが金谷駅で結構降りて行ったから、大井川鉄道に乗ろうという鉄道ファンだろうか。私も旅気分といきたいところだが、目的地は普段通りの病院である。バスは1時間に1本で普段より1時間遅いが、それでも8時過ぎには到着する。自分のレターボックスを見ると、やはり書かなければならない書類が溜まっていた。年金診断書、生活保護の医療要否意見書、訪問看護指示書・・・。それよりも、心配な入院患者さんたちがいるので白衣に着替えてまずは病棟へ。「外相整いて内相自ずから熟す」の言葉通りで白衣を羽織ると気持ちが引き締まる。幸い、私の受け持ち患者さんたちは大きな問題はなく、40℃以上の高熱を出して心配された人も落ち着いていた。まずは一安心だ。今日から試験外泊に出る患者さんと面談し、連休明けに総合病院で大腸内視鏡検査を受ける患者さんにはその前夜に腸をきれいにするための多量の下剤を飲むという説明をしておく。電子カルテを見ると報告事項が山のように入っている。それをチェックしてから書類書きに取り掛かる。

 これだけ済ませておけば外来日と重なる連休明けの日に慌てないで済む。神経質のなせる業である。働き方改革とか言われてもそうそう休むわけにもいかない。もっともフルタイムで働くのも多分今年度が最後になるだろうから、来年からどうしようかとその心配もしている。

 

2024年5月 2日 (木)

神経質礼賛 2221.カラー(オランダカイウ・海芋)

 子供が帰省してきたので、しばらくぶりに義母の墓参りに行く。去年の暮以来だから、頭上にある杉の細かい落葉がたまって草も生えていた。皆で掃除してから手を合わせる。その帰りに義母が好んでいた鰻の名店まるはん(409話)に寄る。

   木の門をくぐって敷地に入ると木立の中を爽やかな空気が流れている。その一角に鮮やかな白い花をつけたカラーが群生していた。カラーは南アフリカ原産で江戸時代末期にオランダから入ってきた植物である。サトイモ科で水辺に育つ。白い花(本当の花は中心の黄色い部分だけで大きな白い花弁状の部分はそれを保護する仏炎苞・ブツエンホウ)が修道女の衣服の襟の形に似ているところからカラーと呼ばれるようになったそうである。結婚式のブーケにしばしば用いられる。私の結婚式の時も妻が手にしていた造花はカラーだった。今でも楽器を弾く部屋の隅に置かれているが、白い花はすっかり茶色っぽくなってしまっている。当人たちも寄る年波でだいぶくたびれているのだから仕方がない。さて、古民家風の建物に入ると、清水を流した大きな樽の中を鰻が泳いでいる。店主が一人で鰻を焼いている。背が曲がってきたがまだまだお元気そうである。最近は国内産の山椒が入って来ないということで、山椒は出してくれなくなった。絶対に輸入物は使いたくない、とへそ曲がりを自認する店主はこだわっている。待つこと約30分。うな重のお出ましである。白菜・大根・ミョウガ・ キュウリ・人参の漬物がたっぷり付いてくるのがうれしい。肝吸いもいい味だ。つい、黙々と食べ進んでしまう。白いカラーの花のようにシャキッとはいかないが、鰻の元気をもらってまたひと頑張りだ。

 

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