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2024年5月23日 (木)

神経質礼賛 2228.ハードとソフト(2)

 畑野さんは「正直のところ「ソフト」に若干の抵抗を感じた」と仰っていて、これは当然のことだと思う。私自身も快刀乱麻を断つような切れ味鋭い森田療法に対する憧憬の念がある。近頃、森田療法学会で発表される症例報告の類に対しては「一体どこが森田療法なんだ」「外来であるがままの話をしただけで森田療法と言えるのか」と疑問を持っている。だから森田療法的アプローチを森田療法と言ってしまってよいのかと迷いがあった。実は、題名も当初は『ソフト森田のすすめ』の予定だったが、白揚社の担当さんから『ソフト森田療法』にしたらどうかと勧められて変更になったいきさつがある。しかし、森田療法かくあるべし、では現実から離れてしまう。事実唯真。今、困っている人々に役立つ森田療法が必要なのだと思う。

 森田正馬先生も晩年には「恐怖突入」という言葉をあまり使われなくなったという話を聞いたことがある。森田先生の時代の旧帝大エリート学生さんたちには厳しい指導がピタリと決まる場面が多かっただろうが、そういう人ばかりとは限らない。「人を見て法を説け」を実践しておられたのだと思う。歳を重ねられ御自身も病気のために何度も生死を彷徨う体験をされるとともに少しソフトになられた面もあるかも知れない。また、奥さんの久亥さんが森田先生に叱られてしょげている患者さんを励ますこともあった。『久亥の思ひ出』には森田先生のお弟子さんや入院中にお世話になった患者さんたちから寄せられた追悼辞が掲載されている。鈴木知準先生は初診時に森田先生から入院を許されず、久亥さんの助け舟のおかげで何とか入院できた思い出、母親が亡くなった時に身に染みる言葉をもらった思い出を綴っておられた。患者さんでのちに森田旅館で働くことになる亀谷氏はこっそり黒羊羹と熱い番茶をふるまってもらった思い出を記している。奥さんを含めたチーム森田として硬軟織り交ぜた治療が行われていたのである。

 

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コメント

私は「ソフト森田療法」でよかったように感じます。「しなやかに生きる」と併せて、いい感じに響いています。

ママっ子 様

 コメントいただきありがとうございます。

 ソフトであっても森田の本質を忘れないよう
心がけています。
 850話「問うても不問」、1207話「半不問」
に私のスタンスがあらわれているかと思いま
す。


 四分休符先生へ

  本来、臥辱、作業療法を抜きでは森田療法とは言えないかも知れませんね。
  それがハードということでしょうか。現今の国の医療施策と体制ではその
 入院療法を行うことが難しいのでしょうか。
  50年以上前の私どもの頃は、10か所くらい入院療法の場がありました。
  鈴木知準先生は「こういう場に身を浮かばせておきなさい。そうすれば身が
 成ります。言葉ではないのです」と仰っておられました。
  その「場」がなくなりました。
  今の医療条件のなかで、神経質がどのように悩みを乗り越えていけるのか、
 そこの問題でしょうか。


 四分休符先生

 神経質流儀様と同意見です。

 森田療法は医療というよりは生き方道場のようなものです。

 医療範疇にあって、自由診療。とてもお金が掛かりました。泣く泣く退所していく人もあり、反対に1年と半年、食らいついて身をもって解った人もいました。

 言葉ではない、のです。 当時は解りませんでしたけれども、今、つくづくそれを実感しています。
 それゆえ、もがきながらでも自力でつかむ、それもあり、とも思っています。森田を知らなくとも。

神経質流儀 様

 コメントいただきありがとうございます。

 森田療法は絶対臥褥、治療者と生活を共に
した中での作業という特色を持ち、元々は入院
治療が基本です。しかし、現代の「医療」の中
で実施していくのは極めて困難になってしまっ
ています。

 以前にも何度か書いていると思いますが、医
療機関には年1~2回、行政の監査が入りま
す。患者さんに掃除をさせるなどとんでもない、
作業をさせてはいけない、労働には対価を支払
わなければならない、などとお役人様から「指導
」を受けてしまいます。それに、森田診療所や
鈴木学校で行われていた「物の性を尽くす」で
風呂の水は大切に利用するなどは今だったら
衛生上の問題を指摘されて保健所に叩かれる
ことになってしまうでしょう。入院森田療法がで
きなくなってきた一因はそんなところにあるかと
思います。またまとめて取り上げたいと思ってい
ます。


yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 単に神経症の治療法ということだけでなく、
自分の持ち味を生かしてよりよく生きていけ
るようにする訓練(教育)という面も持ってい
ます。しかし、あまりその点を強調し過ぎると
誤解をされるおそれがあり、森田先生は科学
であり禅から出たものではないとあえて言い
続けておられたのではないかと思います。

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