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2024年5月 2日 (木)

神経質礼賛 2221.カラー(オランダカイウ・海芋)

 子供が帰省してきたので、しばらくぶりに義母の墓参りに行く。去年の暮以来だから、頭上にある杉の細かい落葉がたまって草も生えていた。皆で掃除してから手を合わせる。その帰りに義母が好んでいた鰻の名店まるはん(409話)に寄る。

   木の門をくぐって敷地に入ると木立の中を爽やかな空気が流れている。その一角に鮮やかな白い花をつけたカラーが群生していた。カラーは南アフリカ原産で江戸時代末期にオランダから入ってきた植物である。サトイモ科で水辺に育つ。白い花(本当の花は中心の黄色い部分だけで大きな白い花弁状の部分はそれを保護する仏炎苞・ブツエンホウ)が修道女の衣服の襟の形に似ているところからカラーと呼ばれるようになったそうである。結婚式のブーケにしばしば用いられる。私の結婚式の時も妻が手にしていた造花はカラーだった。今でも楽器を弾く部屋の隅に置かれているが、白い花はすっかり茶色っぽくなってしまっている。当人たちも寄る年波でだいぶくたびれているのだから仕方がない。さて、古民家風の建物に入ると、清水を流した大きな樽の中を鰻が泳いでいる。店主が一人で鰻を焼いている。背が曲がってきたがまだまだお元気そうである。最近は国内産の山椒が入って来ないということで、山椒は出してくれなくなった。絶対に輸入物は使いたくない、とへそ曲がりを自認する店主はこだわっている。待つこと約30分。うな重のお出ましである。白菜・大根・ミョウガ・ キュウリ・人参の漬物がたっぷり付いてくるのがうれしい。肝吸いもいい味だ。つい、黙々と食べ進んでしまう。白いカラーの花のようにシャキッとはいかないが、鰻の元気をもらってまたひと頑張りだ。

 

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コメント

 四分休符先生

 カラー、ですか。我が知人の庭にはカラーがある、といいます。そして売る程のパパイヤも地植えしてある、と。我が実家との違い。いろいろな庭作りがあるというものです。

 結婚の時の思い出のカラーというのもステキです。花嫁のブーケ。亡・姉もドライフラワーにしていましたっけ。私は式というもの挙げていませんのでさびしいです...

 さて、山椒。売る程あります!!ご近所さんにもお分けしました。季節ものですし。とても喜んで頂けました。こんな一千所帯近い集合住宅でどうやって育てたの?!です。 皆さん枯らしてしまっているのです。

 いや~、標高128mのご近所の山へタケノコ掘りに出掛けた折、採ってきて北側ベランダのプランタに植えた。家人には叱られました。やたらに採ってきてはいけない、と。それから数年。繁しまくっています、山椒。 で、山椒の季節は極端に短く、もうすでに薹が立っています。で、茂りまくっているのを剪定して8本ほど増やせるかも、と挑戦中です。新芽が出たり、根っこが出てきたら、お分けしようかと目論んでいます。純国産です。 剪定した後の葉ですが、乾燥させて、粉山椒になるともありましたが、葉を取ってすり鉢でゴリゴリ。山椒味噌を作りましたが、なんだか火を通したにしても生臭い。こんなものだったかしら、と計算違いをやっています。


 先生、今、少し悩んでいます。

 森田療法についてです。私には合わなかったのではないか、もしかして森田療法とは療法という名がついているけれども、生き方を示しているのではないか、と。先達て、「森田療法とモンテッソーリ教育」と題してブログがありましたけれども、そこでもしばし立ち止まって考え込みました。

 私個人的な事を申せば、短気にして厳格な父親。保守的で神経質な母親。影響は大であったと思われます。 鈴木先生の森田のやり方は厳格な父親的要素が強かったように思うのです。
 私は私に寄り添い、柔らかく微笑んで私を受け入れて下さる医師と今の家人の「それでいいんだよ」の、森田とは違うやさしさの中で軽快になっていったように思うのです。
 鈴木先生は森田療法に道元の「今に生きる」を見ました。森田は禅を語っていない、そうも言われていた、と記憶しています。生活の発見会とは距離を置いてられた鈴木先生。その影響を受けて長じて禅世界に飛び込んだ私。
 そして禅と寺の在り方と仏教の微妙なズレに気付いた私は坐禅を休む事に。生き方としての禅と仏教とは違う。勿論、禅の背景には仏教があるのですが、でも、違う。

 そして禅は、生き方。 神経症を軽減させるのはそれは森田療法の限界とは言いません、合わないという事態も起こり得るのではないか?という疑問。

 私の中で上手に整理出来れば一番なのですが、逡巡また逡巡。トンネルの先が見えている、でも消えてしまう。 68才にしてこれか、と愕然とするようです。

 今、私は目に眩しい緑の中で緑と戯れながら、緑を慈しみつつ癒やしを得ているような生活を送っています。あれこれ考えずに緑の、新しい命の芽誕生に喜びを見いだす、そんな日常。そして音楽。無上の世界。その時に応じてB.リウのキラキラとした粒ぞろいのパッセージ。グールドの癒やし。バックハウスの安定...いろいろに安らぎを得て。 家人とは物事の本質を日々話し合う愉しい時間。 逡巡に対してこんなにも豊かな時間がある。

 

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 去年は山椒が不作だったらしいです。しかるべき業者
ならば買い取ってくれたかも知れませんね(笑)。
 昔の実家も山椒の木があって、うな丼に取ってきた山椒
の葉を載せて蓋をしておくと、蓋を開けた時にいい香りが
したのを思い出します。

 森田療法と言っても治療者の個性があります。知準先生
の「打ち込み」は厳しいものだったと思いますし、三聖病院
の宇佐玄雄先生であれば、禅寺修行の作務そのものだった
と思われます。正馬先生は患者さんによって硬軟織り交ぜ
ていて、奥さんの久亥さんは出来の悪いお弟子さんをかわ
いがり脱落しそうな患者さんを支えていたように思われます。
今では森田療法もだいぶ緩くなったのではないでしょうか。
かく言う私も「ソフト森田」などと言っている位ですから。
 ただ、症状を相手にしない、健康な部分を伸ばしていく、と
いう基本はどの治療者も同じだと思います。そして、神経質
は理屈を好みますが、理屈はさておき生活に活かしていけ
ば良いのではないか、というのが私の考えです。

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