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2024年5月 9日 (木)

神経質礼賛 2224.いっぷくどうぞ

 今年の4月から病院の車を使った職員による送迎が廃止され、全面的にタクシーを利用することになった。利用するのは車通勤でない私とパートの薬剤師さん3名である。配車係を買って出てくれた薬剤師さんが1か月分の利用予定をタクシー会社にFAXで送って予約を取ってくれている。いろいろなドライバーさんがいるけれども、一昨日乗ったタクシーのドライバーさんは、初めての人だった。客席に乗り込んでみると運転席と助手席の間に小さな布の袋が取り付けられ、「いっぷくどうぞ」と書かれている。袋の中には個包装のキャンデーが入っているようだ。「洒落てますね。いいですね」と言うと、ドライバーさんは「喜んでいただけるかなと思って自分なりに工夫してみたんですよ」と。こういう創意工夫は大いに結構である。その心意気にこちらの気持ちも和む。昨日、他の薬剤師さんと乗ったタクシーも同じ車だった。この薬剤師さんは、手を伸ばして「一ついただきます」と。彼女が手にしたキャンデーは金太郎飴だった。ちょっとしたサプライズである。楽しさをいただいた。
森田正馬先生の書かれた色紙を思い出す(654話)。
      人に親切と思はれようとすれば 親切の押売りになり
      人を悦ばせようとすれば 即ち親切となる

 仙厓さんの禅画に大きな〇を一つ描いて、その横に「これくふて茶のめ」と書かれた一円相画賛がある。〇は饅頭に見立てたものだが、「これくふ」は森田先生の元の雅号の「是空」とも読める。まあ、難しいことは考えずに、素直にエアー饅頭を有難くいただくとしよう。

 

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コメント

 四分休符先生

 おもてなしと円相と仏教

 茶に少しでも関わっていますと他者さまへの喜びを感じて頂けるよう設えやら料理、それこそ一服を意識するものです。 タクシーの運転手さんはおもてなし上手とみました。他者への思い。
 親切とよろこびですか...よかれと思って他者と対し進言しても、ですか... ちょっと考えてみます。

 茶では円相は掛け物としてもありますし、茶碗の絵柄でもありますけれども。多分に仏教(禅宗?)的ではあります。そして森田正馬氏が雅号をお持ちであったとは。元の雅号?雅号でもどういった立場で使うか、ですが、「是空」であれば仏教的です。鈴木先生は森田は禅に触れていない、とはっきり言ってられました。そこに鈴木先生の森田解釈に思う所があったのでは?と思われるのです。
  是空といえば般若心経。一つの解説には人が苦しむ原因は、物事の本質を捉えられないところにある、とあります。 本質を捉える思考工程は好奇心をそそられます。私は家人と物事の本質をよく話しをするのですが、彼は本質を捉えている人です。
 攻め方はいろいろなのでしょうけれども、私はつい最近まで禅でいう悟る・大悟とは前後を断ち切った今その瞬間を捉え生きる、執着しない気持ち、見えない将来を憂わな心持ちと思っていました。ですが、家人の本質論を聞いていて思ったのは、物事の本質を捉える事の論理的思考とそれが生き方に反映される、それこそ今を捉える最終に行き着く所ではないかと思う様になりました。禅で言えば大悟or大悟の先にあるものです。

 大悟とはいっても超越人間ではないです。生きている限りフツー。痛み、つらさ、苦しみはあるのですが、本質論から言えば、それらを俯瞰出来るのです。それも説明するのに9才の子供でも解るように言える。それが本質の本質たる所以です。

 本質とはそう沢山有るわけではないのです。本質は あらゆる事に通ずるゆるぎないもの、です。

 神経質人は物事の本質が揺らいでいる。素直ではない。でも、だっての言い訳がある。これでは物事の本質を捉えられないというものです。が、理解は出来ると思うのです。

 一服どうぞのもてなし、他者へのよろこびを感じていただく配慮。神経質人は気付けばそれを捉える事に長けているように私は感じています。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 森田先生の雅号は御存知のように「形外」ですが、
その由来について御本人が語った記録はありません。

明治38年(32歳)
「余ハ従来、是空ト号シタリシガ、日本美術、原氏ノ
案ニヨリ形外ト改メタリ」
        全集 第7巻(我が家の記録) p.778
とあるだけです。

親交のあった原安民(1871-1922)は鋳金家で、正岡
子規とは歌仲間でした。

是空についても特に語ったものはありませんが、色即
是空(般若心経)からとったものと考えるのが普通でしょ
う。大学2年の時にはかなり仏教に傾倒し、オリジナル
経文まで作成していますから、森田療法の底流には仏
教・禅が流れているとみるのが自然だと思います。
ただ、森田療法は医学であり科学であることを強調する
ために禅との関係を否定しておられたのだと考えます。

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