神経質礼賛 2248.絶対臥褥の意義
一昨日、岡本重慶先生による京都森田療法研究所のブログがしばらくぶりに更新されていた。「森田療法のディープな世界」と題する連載記事の第6弾で「森田療法におけるモザイク性と真実性について」というテーマであり、とても興味深く読ませていただいた。森田先生はそれまでに行われた神経症に対するありとあらゆる治療法を実際に行ってみて、効果のないものは捨てて有効なものを残していき、さらに創意工夫をこらして「余の療法」(森田療法)を築き上げていった。森田先生の郷里の土佐では嫁姑間のいさかいがあった時にどちらかが数日間寝込む風習があって、それも絶対臥褥の基にもなっているようだ。だから、モザイクと言われても仕方がないが、臥褥と作業という柱を家庭療法の中でまとめ上げたところに森田先生の非凡さ、そして森田療法の妙味がある。現代では入院森田療法を行うことが困難となって外来治療が主体となってしまっている。絶対臥褥が抜け、実際的な作業指導も行えないという大きな穴をどう補って、森田療法の本質を受け継いでいけるかは現代の治療者にとって大きな課題と言える。
私が大原健士郎教授のもと浜松医大で研修医や助手をしていた頃、臨床心理の責任者だったのが星野良一先生だった。星野先生は長年、医局員たちの指導をされ、浜松医大の森田療法を支えておられた方である。その後、教授が代わっても、ずっと森田療法を支え続けられてきた。星野先生から教わった絶対臥褥の(分析的)意義は、今回の岡本先生のブログでも述べられている「新規蒔き直し」、つまり育て直しということだ。まずは今までの家族関係と切り離し、治療者との間に親子関係的な依存関係を短期間に構築する。リセットとリスタートである。絶対臥褥の間は何もせず寝ているだけで食事を与えられ、いわば赤ちゃん状態である。軽作業期になると周囲の様子を伺いながら少しずつ自分の力で動き出す子供状態、そして重作業期は大人としての行動が要求される。さらには他の患者さんたちを指導する役割が回ってきて、大きく成長していくのである。もちろん絶対臥褥には、①それまでの環境と切り離して十分な休養を取る、②精神交互作用の悪循環を断ち切り「煩悶即解脱」を体得させる、③診断の補助にする、といった従来から言われている目的もある。
余談になるが、星野先生は入局した医師たちの膨大なロールシャッハテストのデータをお持ちのはずである。その気になれば「浜松医大精神医学教室入局医師の予後調査」という論文ができるだろう。星野先生の閻魔帳に自分がどう書かれているか、ちょっと気になるところである。森田「小僧」で終わりそうであるから、やはり予後不良例だろうか(笑)。
« 神経質礼賛 2247.完全キャッシュレス化 | トップページ | 神経質礼賛 2249.救急法講座 »
自宅で絶対臥褥をすることは、意思の弱い私には無理ですが、活動量を思い切り減らして休養したい、とは思います。家族がいないときがチャンス。
『仲間とともに強迫神経症を生きる』を読み直しました。たしか、先生のブログで紹介されていたものだと思うのですが、どうだったでしょう。
明念倫子さんてすごいです。述べられていることは、明念さんのオリジナルではないでしょうか。すばらしい洞察力と表現力だと思いました。あれだけのことをつかむまでの苦痛はいかばかりだったのか。こちらまで苦しくなると同時に、いっしょに希望の光を見る思いです。
投稿: ママっ子 | 2024年8月12日 (月) 21時40分
ママっ子 様
コメントいただきありがとうございます。
強迫神経症の方の持つエネルギーには
驚くものがあります。症状に向けていたエ
ネルギーの向きを変えて仕事や対人関係
の気配りに生かしたら、すばらしいことに
なります。
投稿: 四分休符 | 2024年8月13日 (火) 05時38分