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2024年8月29日 (木)

神経質礼賛 2260.急変

 今週に入ってから台風10号の影響により当地では激しい大雨が断続的に発生し、東海道新幹線・東海道本線とも県内で運休や運転中止が繰り返し起きてとても困っている。そんな中、義父(妻の父親)が一昨日、入院先の病院で急変して亡くなった。2週間ほど前に食事が摂れなくなって持病の喘息で通院していた市立病院に入院。当初は誤嚥性肺炎で肺に水が溜まっていると言われて抗生剤治療を受けたが改善せず、アレルギー性の肺炎と判明し、ステロイド点滴が始まったら劇的に改善した。亡くなる前日に妻と子供が見舞いに行くと元気な様子で「日経新聞を買ってきてくれ」などと言っていたらしい。ところが、その翌日の午前中に急に心停止をきたして亡くなったのだった。念のため昨年に母が亡くなった時の葬祭会館にあらかじめ急変時の対応をお願いしておいてあったので、スムーズに事が運んだようだった。連絡を受けて、仕事を少し早引きして5時からの枕経に間に合うように帰ろうとしたが、新幹線・在来線とも大雨でストップ。駅改札口の外で1時間ほど待ってやっと運転再開のアナウンスがあり、到着した新幹線に乗ったが、徐行運転しているうちにトンネル内でストップ。再び大雨のため運転再開の見通しが立たないとの車内アナウンスに焦る。ドア際のデッキに立っていたが、長時間に及んだらどうしよう、と心配になる。パニック症ならずとも、実に気持ちが悪い。ひたすら待つしかない。幸い1時間余りでまたノロノロと動き出した。静岡駅を出るとまだ大雨が降っている。葬祭会館に着いたのは6時半近くのことで、一通り終わって出てきた妻と会った。御遺体に向かって手を合わせる。

 今日が通夜で明日が葬儀というスケジュールだ。義父がよく聴いていたCDを御供に入れておこうということになった。ベートーヴェン、マーラー、ブラームスどれにしようか。普通の人があまり聴かないベートーヴェンの第4番が好きだと私に語っておられたから、ベートーヴェンの交響曲全集を入れることにした。

 

2024年8月25日 (日)

神経質礼賛 2259.スマホが壊れた

 私がプリペイド携帯から格安スマホにしたのは8年半前のことだ(1195話)。京セラ製の端末で動作が少々遅くカメラ性能が劣る他は特に不満はなかった。しかし4年間使ったあたりから急にバッテリーがダメになってきて、やむなく買い替えたのがファーウェイ製の端末だった(1679話)。それ以来、バッテリーの寿命に気を配り、充電は2日に1回にしていたところ、4年半経ってもそれほど劣化することもなく使えていた。ところが、先週になって電源ボタンを押そうとしたらボタンがなくなっているではないか。透明アクリル製のボタンが割れて欠けてしまっていたのだ。ボタンの残った部分を押して、かろうじて使えていたけれども、これでは不便であるし、そのうち完全にボタンがなくなって使えなくなるだろう。修理には日数がかかり、その間使えないのも困る。そこで、いつもの家電量販店で機種変更することにした。

 余分な機能のないLiberoという安い機種を選んだら今回もC国製らしい。初期設定やデータの移動など時間がかかり面倒なことは有料サービスで店に依頼した。再設定の際、いろいろなパスワードが通らなかったりする。パスワードを記録した手帳を見るが、落ちているのもあって、LINEのパスワードは作り直した。店で2時間以上かかってしまった。やれやれ、家に帰ってから使ってみる。どうも使いにくい。今までの2台はアプリを終了する時は画面下中央を押すと前の状態に戻れたが、今度の機種にはそれができず、アプリを終了したり前の画面に戻したりするのは画面下から思い切りスワイプ(?)する必要がある。いらないメールを削除するにも手間がかかってよろしくない。理屈よりも慣れていくしかないのがスマホの世界の常である。これも「境遇に柔順なれ」の一つかなと苦笑する。

 

2024年8月22日 (木)

神経質礼賛 2258.言おうかそれとも言うまいか

 対人恐怖の私は中学生位から授業中にこれを発表しようかどうしようか、しかし発表したら自分がどう思われるだろうか、もしかして間違ってはいないだろうか、などと考え続けて結局何も言わないことが多かったから、通知表にはいつも「発表が少ない」と書かれていた。そんな私が非常に納得した形外会の記録があるので紹介しよう。

(いおうか・いうまいかとマゴマゴしてためらっているうちに、いうべき時機を失してしまう事がしばしばある、という早川氏の発言を受けて森田正馬先生の発言)
 いおうか・いうまいかと迷う事についても、種々の度合いがある。気の軽い人は、いいたい事があれば、心のなんの拮抗作用もなくて、そのままペラペラしゃべってしまう。にぎやかでよいけれども、むだ事が多くて、うるさくてしかたがない。
 意志薄弱性のものは、恥ずかしくて自分でいわない事に決めているから、心に少しも葛藤はなく気楽である。
 神経質は、いいたくてたまらないで、しかも大事をとるから、心の葛藤が非常に強い。これが一歩間違えば、いおうか・いうまいかの・ただ二道の・堂々めぐりの迷いになるが、これが一転して、よく場合を考え、適切な文句を工夫するという風になれば、上等になる。
 ともかくも心の葛藤の大きいほど偉い人です。そして確かな思想があって、しかもペラペラしゃべらないでいる時に、「沈黙は大なる雄弁なり」という事にもなる。しかし、単になんの思想もなくて平気で黙っている場合、それが立派な堂々としたかっぷくの男である時に、「沈黙の雄弁」と間違えられる事がある。
 僕なども、この事については随分昔から迷い苦しんできた。会などでも、今度こそいおうか・もういおうかと考えているうちに、ツイツイ時機を失しておしまいになる。重荷を下ろしたように楽になるが、しかも残念でたまらない。一晩中眠らないで、独り心の内で演説を試みる。スラスラと我ながら感心するような思想がわき出してくる.ウトウトと眠るようになると、取りとまりのない事までも、非常に一貫して思想のように思われて、自己陶酔に陥り、その晩の残念も帳消しになる事がある。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.744)

 森田先生の告白は私の体験そのものである。森田先生も同じ悩みに苦しんでおられたのだ。非常に親近感を感じる話である。そして、「心の葛藤の大きいほど偉い人」という言葉に救われる。

 

2024年8月18日 (日)

神経質礼賛 2257.ルイボスティー

 相変わらず猛暑日と熱帯夜の毎日である。道を行く人々がペットボトル飲料を手にしている姿をよく見かける。激しく汗をかくような時はスポーツドリンクが適しているけれども、ちびちび飲み続けると酸が歯に悪さをする懸念がある。夏場の水分補給には何が適しているのだろうか。緑茶や無糖紅茶やウーロン茶はスッキリ感があるけれども、カフェインがそれなりに入っているから注意が必要である。飲み過ぎると夜の不眠の一因にもなる。高齢になってくると、カフェインの利尿作用によりトイレが近くなって困ることもあり得るだろう。麦茶はカフェインレスでミネラル豊富なのが売りである。しかし、あまりシャキッと来ないのが難点だ。水そのもののミネラルウォーターは無難ながらちょっと物足りない感じもする。

 今までそれほどペットボトル飲料を買わなかった私も今年は買うことが増えている。今週初めて買ったのがルイボスティーである。紅茶よりも淡い赤色で、飲んでみるとかすかな甘みを感じる。カフェインは入っていないが、少々スッキリ感があって良い。ルイボスは南アフリカ産のマメ亜科の植物で、針葉樹状の葉は落葉する時に赤褐色になる。Rooi(赤い)+bos(やぶ、灌木)というわけだ。これを発酵させて作るハーブティーである。ポリフェノールやミネラル分を多く含み、マグネシウムの作用で便秘にも効果があるという。逆に下痢になったりしないか気になって、マグネシウムの含量を調べてみたが、市販品の飲料のマグネシウム量は不明であり、葉に含まれるマグネシウム量はかなりバラつきがあってハッキリしない。まあ、一日500ml程度であれば問題になることは少ないだろう。今年からルイボスティーがのどの渇きを癒すアイテムの一つになりそうだ。

 

2024年8月15日 (木)

神経質礼賛 2256.墓じまい

 お盆で遠く離れた実家に帰ったり墓参りをしたりした方もおられるかと思う。普段から熱心に墓参りをしている家もあるけれども、私は夏のお盆時、年末、春・秋のお彼岸の年4回だけである。私の父が亡くなった時に作った墓で、急峻な石段を登ったところにひな壇のように並んでいる。母が毎月、家の庭の草花を供えに行っていたけれども、高齢になってからはこの墓に上がれなくなり、もっぱら年4回、私の仕事になっていた。その母も昨年その墓に葬られた。私もあと何年それを続けられるだろうか。子供たちはこの地には戻って来ないから、何とかしなくてはならない。自分がまだ元気なうちに墓じまいをして同じ寺の永代供養に合葬してもらうことを考えている。

 7月22日(月)毎日新聞の一面トップ記事は著名人「墓じまい」の波だった。明治から昭和初期に活躍した文豪・泉鏡花(628話)の墓の維持が親族では困難となり、都立雑司ヶ谷霊園から撤去され、将来は永代供養にするということで神楽坂の寺院に移された。明治・大正時代の劇作家・島村抱月の墓がやはり雑司ヶ谷霊園から撤去。詩人・上田敏の墓も都立谷中霊園から撤去になったという。3面には明治学院創立の功労者・井深梶之助の墓が都立青山霊園から撤去され、別の場所に記念碑を立て、遺骨は横浜の海に散骨されたという。墓を維持し続けるのはなかなか大変なことである。

 墓じまいをしてしまうと、自分たちの埋葬場所を確保しておく必要がある。私自身は海に散骨でいいと思っていたが、妻は樹木葬を希望のため、数年前から新しい樹木葬墓の新聞チラシが入ると場所を調べて、時には実際に見に行ったりしていた。今年になってチラシに入った樹木葬墓は静岡鉄道の駅から徒歩1分、お寺に併設され、平地にある。歳を取って足が不自由になってからでも残された方がお参りに行くのにも安全である。先週見学に行って仮予約してきた。いよいよ終活スタートだ。

 

2024年8月11日 (日)

神経質礼賛 2255.ユトリロ

 静岡市美術館では、現在、「西洋絵画の400年」という東京富士美術館コレクションの企画展が開催されているので観に行ってきた。歴史の教科書にもよく載っていたあのナポレオンの肖像画「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」を間近に見ることができた。前半は歴史画、肖像画、風俗画、風景画、静物画とジャンル分けされ、後半は激動の近現代と題して印象派などの巨匠たちの絵画が展示されていた。出口近くの3点の作品は写真撮影可となっていた。その中の一枚ユトリロの「モンマルトル、ノルヴァン通り」という作品に惹かれた。

 私が研修医の頃、製薬会社の雑誌にムンク研究で有名な宮本忠雄・自治医大精神科教授による「作品にみるこころ」という画家に関する連載記事があって、その後、冊子になったものがあって、大切に持っている。その中にモーリス・ユトリロ(宮本先生はフランス語の発音に近い「ユトリヨ」と表記:1883-1955)も取り上げられている。ユトリロは画家たちのモデルをしていたヴァラドンの私生児で父親は不明である。ヴァラドンはやがて画家として認められるようになり、ユトリロは酒好きの祖母に育てられるが10歳頃から酒を飲み、アルコール乱用のため18歳の時に入院。その後も療養所への入退院を繰り返し、時には刑務所に収容されたりして、生活は困窮を極めた。1年間に600枚以上の作品を描き、酒と食事を得るために1枚わずか2フランで売っていたという。画家のモディリアーニと仲が良く、居酒屋で赤ワインをリットル単位で飲んでいた。白っぽい街の風景が目立つ「白の時代」(1907年から1914年頃)の作品が有名であり評価が高い。宮本先生は、白は酩酊から醒めた後の激しい空虚感の表現、そして人間に対する冷たい拒否の姿勢と解釈している。1913年頃から個展が成功を収め、評価が高まってくると、画面の白さが消えて華やかな色彩が増え、「色の時代」になっていく。展示されていた作品は1916年頃の作品だというから、その過渡期の作品なのだろう。画面中央、通りの奥の白い建物に目が引き付けられる。

2024年8月 8日 (木)

神経質礼賛 2254.あがり症の中島美嘉さん

 ネットニュースを見ていたら、大ヒット公開中のアニメ映画『怪盗グルーのミニオン超変身』で声優を務めている、歌手・中島美嘉さんのインタビュー記事があった。主人公の妻役で、7年ぶり3度目の登場。映画の中のキャラクターは歳を取らないので、以前と同じように声を出すのに少々苦労されたようだ。そんな中島さんだが、「とにかくあがり症なので、自分の目の前にいろいろな人やモノがみえているとあがってしまいます。何を言っていいか分からなくなる」(その点、声優の仕事は)「いろいろなところに気を遣うところを、声だけに集中できることがいいな」と述べておられる。そして、「あがり症のせいかなのか仕事が終わってから反省点を探す癖がある。もっとこうしたらよかった・・・みたいに反省してしまうことが性格としてある」とも述べ、そこを直したいとも言っておられる。しかし、反省心が強いからこそ改善の努力を重ねて現在の成功があるのであって、直す必要はない。以前、歌手の小林幸子さん(323話)や欽ちゃんこと萩本欽一さん(1061話)があがり症だったことを紹介しているが、人前に自分をさらけ出すのが仕事の人でもあがるものなのである。人前であがるのを苦にする対人恐怖の人は少なくないが、あがるのが正常なのである。

   さらに、中島さんは、「私の癖で、何も言われないと全部後回しにするというものがあり、やらなきゃいけないことは今すぐやるということを心がけています。やらなきゃいけないことは先に終わらせて、それからゆっくりします」と述べておられるのは私たち神経質にとって大いに参考になる。神経質は「面倒だなあ」「嫌だなあ」と手間や時間を考えて、やらなければならないことを後回しにしがちである。しかし、結局はやらなければならないことであれば、森田正馬先生の言われるように尻軽く手を出していくのがよい。小学生の夏休みの宿題ではないが、どんどん手を付けて処理していくのが得策である。

 

2024年8月 4日 (日)

神経質礼賛 2253.朝食抜き

 昨日は職員健康診断の血液検査の日だった。朝食は抜きだ。普段5時前に起きて5時半過ぎに朝食を食べている。だから11時を過ぎると空腹感を覚えるし、外来患者さんが多くて昼食を食べるのが午後2時になってしまうような日はキビシイ。電池切れ状態になってくる。ましてや朝食抜きではとてももたない。そこで血液検査が終わったところでこっそりカロリーメイト2本(200kcal)を補充しておく。

 「一日一食の是非」(1001話)という記事を書いたことがある。以前勤務していた病院だけでなく、現在勤務している病院の外来患者さんでも一日ほぼ一食という人がたまにいる。本人は「慣れているから大丈夫です」というのだが、本当に悪影響はないのだろうか。また、将来的に病気になりやすいようなことはないのだろうか。糖尿病患者さんでは血糖値の日内変動が大きいと、血管の障害が起きやすく、心筋梗塞や脳梗塞などの心血管イベントのリスクが高くなることが知られている。アメリカで行われた大規模な国民健康栄養調査によれば、一日一食の人は全死亡リスクが約30%高く、特に心血管死のリスクは83%高かったとしている。朝食だけを抜く人でも血管死リスクは40%高かったという。もっとも、欠食する人の特徴として、教育度が低い、低収入、高喫煙率、アルコール・間食の摂取頻度が高い、といったことが指摘されていて、そうしたことが間接的に健康に悪影響を及ぼしている可能性も否定はできない。それでもそういうデータも出ていることだし、やはり朝食は抜かない方がいい。朝食を食べないという患者さんには、手軽で食べやすいバナナでもいいから少しでも食べて仕事や学校に行くことをお勧めしている。朝食は元気の素である。

 

2024年8月 2日 (金)

神経質礼賛 2252.藤原道長は隠れ神経質?

 藤原道長(966-1028)が晩年に糖尿病と糖尿病性網膜症と思われる視覚障害、さらにはパニック障害に悩まされていたことは413話で紹介した通りである。道長は豪胆な性格で知られている。自筆の日記「御堂関白日記」(道長は関白にはなっていないが)は国宝に指定されていて、大雑把な性格が日記にも表れているという。若い頃、父親の兼家が関白・頼忠の子である公任が才子であるのを羨んで「我が子たちは公任には遠く及ばない、その影も踏めない」と嘆き、兄たちは恥ずかしそうにしていたのに道長は「影など踏まない、面を踏んでやる」と言ったと大鏡に記載されている。また、兄の嫡男・伊周と弓比べをした際には「道長の家から帝・后が出るならばこの矢当たれ」と言って的を当て、さらに「摂政・関白になるならばこの矢当たれ」と言ってまたまた命中させたという逸話がある。しかし、長徳の変で伊周・隆家兄弟が失脚した翌年に、激しい腰痛に悩まされ、一条天皇に辞表を提出したり出家を申し出たりしたこともあった。一見、豪胆そうに見えても、線が細い面も持っていて、時々ストレスによる心身症らしき病気もみられている。実は隠れ神経質でもあったのかも知れない。

   平安時代の貴族は今から見れば多くの迷信に縛られた生活をしていた。その意味で現代人よりもはるかに神経質だったと言えるだろう。病気の原因がわからなかった時代であるから、病は悪霊の仕業と考えられ、「治療」には加持祈祷が行われた。密かにライバルに対する呪詛も行われていた。飛鳥時代や奈良時代に比べて血なまぐさい政争は少なくなり、政治生命は奪っても命まで奪わなくはなっているが、菅原道真のように政争に敗れた人物の霊が勝者に祟ると考えられていた。道長も出世して権力を集中すればするほど元政敵たちの怨霊に怯えなければならなかったことだろう。

 

2024年8月 1日 (木)

神経質礼賛 2251.ナイスな強迫・藤原実資

 最近、藤原実資(957-1046)の日記『小右記』が古典としては異例の売れ行きだそうだ。大河ドラマではお笑い芸人の秋山竜次さんが演じて一人異彩を放っている。名門・藤原北家小野宮流を継承していて、有職故実に精通した学識人であり、長命を保ち右大臣にまで昇進している。賢人右府と呼ばれ、何事も筋を通す人で、権力者に媚びることなく正論を貫こうとする姿勢は好感が持てる。藤原道長からも一目置かれる存在だった。ドラマの中では家に帰って宮中での出来事を「大変だ、大変だ」とボヤキ続けるので、あきれた妻から「日記にお書きなさい」とたしなめられるのが面白かった。日記は60年ほどにわたり、以前から非常に貴重な歴史資料とされてきた。儀式の際にどちらの足を先に出すか、など正確に書かなければ気が済まなかたようで、記録魔であり、まさに強迫の人である。後日、子孫がそれを読んで役に立てばと思って書いていた部分もあるのだろう。こういう強迫は大いに結構である。道長の「この世をば」の有名な歌も小右記の記録のおかげで後世に伝わっている。

   紫式部が中宮彰子に仕えていた時期、中宮彰子が皇子を出産した祝いの席で他の貴族たちが酔いつぶれて騒いでいる中、実資だけが礼節を失わなかったのを紫式部が見ていて高く評価している。紫式部は実資から彰子への取次を担当していたので、小右記にも記録が残っている。実資が病に倒れた時には彰子からの見舞いの手紙を持って、実資の邸宅を訪れたこともあったという。実資は堅物で近づきにくい雰囲気もあったろうが、蹴鞠の達人でもあり、他の貴族たちと趣味での交流はあったようだ。

 

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