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2024年8月22日 (木)

神経質礼賛 2258.言おうかそれとも言うまいか

 対人恐怖の私は中学生位から授業中にこれを発表しようかどうしようか、しかし発表したら自分がどう思われるだろうか、もしかして間違ってはいないだろうか、などと考え続けて結局何も言わないことが多かったから、通知表にはいつも「発表が少ない」と書かれていた。そんな私が非常に納得した形外会の記録があるので紹介しよう。

(いおうか・いうまいかとマゴマゴしてためらっているうちに、いうべき時機を失してしまう事がしばしばある、という早川氏の発言を受けて森田正馬先生の発言)
 いおうか・いうまいかと迷う事についても、種々の度合いがある。気の軽い人は、いいたい事があれば、心のなんの拮抗作用もなくて、そのままペラペラしゃべってしまう。にぎやかでよいけれども、むだ事が多くて、うるさくてしかたがない。
 意志薄弱性のものは、恥ずかしくて自分でいわない事に決めているから、心に少しも葛藤はなく気楽である。
 神経質は、いいたくてたまらないで、しかも大事をとるから、心の葛藤が非常に強い。これが一歩間違えば、いおうか・いうまいかの・ただ二道の・堂々めぐりの迷いになるが、これが一転して、よく場合を考え、適切な文句を工夫するという風になれば、上等になる。
 ともかくも心の葛藤の大きいほど偉い人です。そして確かな思想があって、しかもペラペラしゃべらないでいる時に、「沈黙は大なる雄弁なり」という事にもなる。しかし、単になんの思想もなくて平気で黙っている場合、それが立派な堂々としたかっぷくの男である時に、「沈黙の雄弁」と間違えられる事がある。
 僕なども、この事については随分昔から迷い苦しんできた。会などでも、今度こそいおうか・もういおうかと考えているうちに、ツイツイ時機を失しておしまいになる。重荷を下ろしたように楽になるが、しかも残念でたまらない。一晩中眠らないで、独り心の内で演説を試みる。スラスラと我ながら感心するような思想がわき出してくる.ウトウトと眠るようになると、取りとまりのない事までも、非常に一貫して思想のように思われて、自己陶酔に陥り、その晩の残念も帳消しになる事がある。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.744)

 森田先生の告白は私の体験そのものである。森田先生も同じ悩みに苦しんでおられたのだ。非常に親近感を感じる話である。そして、「心の葛藤の大きいほど偉い人」という言葉に救われる。

 

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