神経質礼賛 2269.また掛けなくてはいけませんか
森田正馬先生の診療所では、入院患者さんたちは作業をしながら先生の外来診察を聞くことが許されていた。籟病恐怖のため入院していた46歳の農夫の日記に次のような記載がある。
先生の診察をうかゞつて居る時、風が強くて、露臺に干してあつた手拭が飛んだ。私は直ぐに拾つて、元の處へ掛けようとしたら、先生は微笑されて、また掛けなくては・いけませんか・といはれた。私はハツと思った。成程もう乾いて居る。先生は「之を元の處へ置かなくてはならぬ・といふ捉われの心である。手拭其ものを観察して、其時と場合に應ずる處置をするのが、其時々の感じであり・純なる心である」と説明して下さつた。私は恥かしいのと、嬉しいとの心で一杯であつた。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 P.90-91)
手拭が風に飛ばされたのを見てすぐに反応して拾って掛け直したことは立派なことである。神経質はあれこれ考えてなかなか行動に移せない。腰が重い。そこで「尻軽く手を出していきなさい」というのが森田先生の教えであり、そこまでは良かった。先生の微笑にはお褒めの意味がある。そして、「また掛けなくてはいけませんか」はさらに一段高いレベルの要求である。もう乾いているのであれば汚れを払って取り込んでもよい。元に戻さなければいけないと決めつけないで(捉われないで)、状況を見て最善の処置をするように、ということなのである。このように、折に触れて指導を受けられるのだから、森田診療所の治療効果は抜群だったと思われる。
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