神経質礼賛 2263.電報廃止の動き
先月、NTTの社長が決算発表記者会見で電報サービスを廃止したいという意向を示したと報じられた。収支の悪化がその理由である。旧日本電信電話公社時代、1960年代に年間9500万通の利用があったが、最近は380万通にまで落ち込んでいる。60年間に96%の大幅減少となっている。かつては緊急連絡の用途が多かったが、現在は祝電と弔電の利用が中心となっている。
私が子供の頃は電話がない家もあって、学校の連絡網には(呼)と書かれた家があった。隣家の電話番号が書かれていて、呼び出してもらうというものだ。電報配達の人を見かけることもたまにあった。私の家には電話は引かれていたが、隣家と回線が共用で同時には使えず、隣家の奥さんが長電話していたりすると、「いくら電話かけても繋がらない」と言われた。電報の思い出と言えば大学入試の合格電報だ。試験会場の外で学生アルバイトの人に電報を頼むと発表を見て電報で通知してくれる。私が受け取った電報は「ハナマンカイ」(合格)でなく「ハナチル」(不合格)だった。学生時代、アパートに電話はなく、家から用事がある時には大家さんに連絡して言づけてもらい、公衆電話から電話を入れて連絡を取っていた。大家さんに連絡が付かず、電報が届いたこともあった。ドラマに出てくるような「チチキトク」の類の電報である。誰もが携帯電話を持ち、電話だけでなくインターネットのメールやLINEで容易に連絡できるようになって隔世の感がある。今では電報がなくなっても実質的に困るような場面は考えにくい。結婚式での祝電の紹介、葬式での弔電の読み上げの場がなくなるとちょっと寂しいといった程度だろうか。もっとも、コロナ流行以来、結婚披露宴をしないとか、簡略な家族葬で済ませることも珍しくなくなった。当ブログを始めて20年近い歳月が流れているが、その間に随分社会生活が変化したものだとつくづく思う。
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