神経質礼賛 2275.付和雷同
いつもなら土曜日の朝は通勤客が少なく列車は空いているのであるが、昨日は大きなキャリーバッグを引っ張って歩く旅行客が目立った。秋の行楽シーズン到来だ。下り電車だから行先は京都、大阪USJあたりだろうか。短い貴重な秋である。お金をかけずとも近場の低山に登って自然と触れ合うのもよいだろう。
森田診療所で月1回行われていた形外会は、ハイキングに出かけることもあった。昭和7年10月、形外会多摩御陵・高尾山ピクニックの水谷啓二さんによる記録がある。
森田先生は前夜の喘息発作でお疲れのため、山上の茶屋に横になって休む。後のメンバーは山頂まで登る。
山上に売っている房なりのアケビの色が美しい。買えば、我も我もと、買って背中にブラ下げて行く。茶屋に返ったら、先生はすっかり元気になって、本を読んでおられた。皆の買って来たアケビを見られて、「小さい蔓に、随分沢山なるものだ」と感心なさる。「しかし、みんなが、沢山に買って、そんなに、おいしいだろうか」と問われる。誰かが「見た事がなくて珍しいから買った」という。「見た事がなくて、珍しいものは、このアケビばかりではない。この山の杉の一枝も、苔の種類などもみな珍しい。アケビを買ったのは、一人が買うと、それに付和雷同して、我も我もと買ったのであろう。僕などは決して訳もなく、他人に雷同するという事はない。あるいは味がよいとか、花瓶にさすとか、明らかな目的がなければ買わない」とか批評せられた。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.277)
神経質は概して物事に慎重であり、皆がやっているから付和雷同にそうする、ということは少ない。しかし、集団の中にいると群集心理に乗ってしまわないとも限らないから注意が必要である。神経質を忘れてはいけない。
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