神経質礼賛 2273.金子みすゞの詩(うた)
藤枝市郷土博物館・文芸館で「100年の時を超えて 金子みすゞの詩」と題する特別展が開催されているのを知り、見に行ってきた。金子みすゞ(1903-1930)は西條八十に激賞された幻の童謡詩人とされる。みすゞの夫は女癖が悪く、淋病にかかり、それがみすゞに伝染してみすゞを苦しめることになる。夫は嫉妬心からかみすゞが作品を書いたり文学関係者と手紙のやり取りをしたりすることも禁止した。ついに離婚することになったが、夫が一人娘の親権を主張し、絶望したみすゞは娘が寝静まった後に服薬自殺を遂げてしまう。没後、忘れ去られていたが現在記念館の館長をしている童謡詩人の矢崎節夫さんが長い年月をかけてみすゞの足跡を辿り、みすゞの弟・上山雅輔さんから多くの情報と遺稿を得て、金子みすゞ全集の出版に漕ぎつけた。代表作の「私と小鳥と鈴と」は現在では小学校の国語教科書にも採用されているそうだ。「みんなちがって、みんないい」と多様性を認める考え方は軍国日本に突き進んでいく当時は許されないものだったろう。
会場に入ってすぐの所に、全集の基となった3冊の小さな手帳がガラスケースの中に展示されていた。会場には手帳から撮影した拡大写真パネルで直筆の詩が展示され、さらにその詩に絵本作家が描いた絵、人形、ジオラマ、小物などが一緒に展示されていた。東日本大震災の時、CM自粛によりACジャパンの公共広告が繰り返し放送された中にみすゞ作品「こだまでしょうか」があったのを思い出す。子供だけでなく大人にも味わってほしい詩である。この心があれば、つまらない争いはなくなり仲直りできる。やはり代表作「大漁」では海岸でお祭り騒ぎの人々と対照的に海の中では何万ものイワシたちの弔いが行われると書き、弱い立場に向けた優しい眼差しが感じられる。自分ばかりに目を向けやすい神経質にとってハッとさせられる詩である。どの詩も曲を付けて歌われることを意識して作られたわけではないと思うが、概ね七五調になっていて曲を付けやすい。今後も新たな曲が作られる可能性を秘めている。
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