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2024年11月28日 (木)

神経質礼賛 2290.白湯(さゆ)の効用

 我が家では、やかんで湯を沸かすのはもっぱら妻の仕事である。私がやると、沸騰して2、3分でポットに入れてしまうので、それではダメだと言われる。やかんに浄水器を通した水道水をごく少量ずつ時間をかけて入れてコンロの火にかけ、沸騰してからもさらに20分くらい沸騰させ続ける。ガスの無駄遣いのように思えるのだが、妻に言わせると有害物質を除去するにはそれが必要だという。そもそも有害物質がそれほど残留しているとは思えないし、仮にそうだとしても、空気中に飛散したものを吸い込むのだから同じことではないかと思ってしまう。妻が外出している間に私が湯を沸かしてポットに入れると、後で妻から沸かした状況を詰問されるので、なるべく自分で沸かすのは避けている。

 夏場は喉が渇くと水を飲んでいたが、このところの冷え込みで少量の白湯を飲むことが多くなった。ちょっぴり体の中が温まっていい感じである。神経質な天神様・菅原道真(381話)は胃が弱くて温石で腹を温めていたというから、胃腸が弱い人は白湯で腹を中から温めてみるのも良いかもしれない。白湯とは40~50℃前後の湯ざましを言うようである。最近はネット上で白湯の効果について書かれた記事をよく見かける。冷え性改善効果、ダイエット効果、免疫力アップ効果、美肌効果、便通改善効果など、良いことずくめで、どこまで本当かなと思ってしまう。もっとも、高価なサプリと違ってごく手軽にできることであるから、騙されてやってみる価値はありそうだ。効くと思って飲めば少なくともプラセボ効果は出るだろう。ただし、多量に飲んではかえって体に負担をかける。ほどほどが大切である。

2024年11月24日 (日)

神経質礼賛 2289.毎日の体温測定

 新型コロナが流行し始めた頃から勤務先では常時マスク着用、頻回の手指消毒、毎日の体温測定が義務付けられ、一頃は出勤時と退勤時の1日2回体温を測って記録することになっていた。職場の体温管理表に記入するだけでなく、休日にも自宅で測定して個人用の管理表に記入、2週間経ったら処分してよい、という具合だった。それがやっと今月の中旬から解除になった。それでも勤務中の常時マスク着用は変わらない。職場外でのマスク着用については言われなくなっているが、もう5年ほどマスク生活が続いていたので急に変えるのは難しく、マスクを忘れて家から出てから気付いてマスクを取りに戻ることもある。

 体温測定もすっかり習慣化してしまった。朝、新聞を取り込んでから体温計を挟む。新聞休刊日だと忘れることがあって、出がけに慌てて体温計を挟む。「神経質は重い車」と森田正馬先生が評したように、動き出すのは遅いが、一旦動き出すと今度は簡単には止まらなくなる、という特徴の通りである。そういえば、前の勤務先の時、森田療法で入院していた患者さんで毎日の検温に反発して「何のためにやるんですか」と苦情を言ってきた強迫神経症の人がいたなあ、と思い出す。こういう人も案外体温を気にして自分で測るようになっていたりする。自分の健康管理の上で、体温測定や体重測定は有益なことであるが、あまりやりすぎても時間の無駄で一種の強迫行為になりかねない。何事もほどほどが大切である。

 

2024年11月21日 (木)

神経質礼賛 2288.HPKIカード

 電子処方箋発行資格(HPKI)とやらを取得しなくてはならなくなった。すでに令和5年1月から電子処方箋が運用されているとは知らなかった。保険証のマイナンバーカード化強要が話題になっているが、医師・歯科医師・薬剤師には電子処方箋を扱うためのHPKIカード強要が始まっている。勤務先の若い先生は他のクリニックでも働いていて「もう取りましたけど、まだ使っていません」とのこと。私はデジタル化強要には反発を感じているので、行動がすべて遅くなる(2036話)。慌てて先月(令和6年10月)に厚労省医薬局が発表した「マイナポータル上でのマイナンバーカードを活用した電子署名の申請」という27ページにわたる文書をプリントアウトして読む。スマホからの手続き方法が書かれているが、パソコンからの手続きについては書かれていない。とりあえず、マイナポータルのソフトをダウンロードしてインストールしようとしたがうまくいかない。どうやらGoogle Chromeからでないとできないらしいとわかった。やっとマイナポータルをダウンロード・インストールするが、HPKI取得のページにはなかなかたどり着けない。同じところをグルグル回ってしまう。いかがわしいサイトではないかと思ってしまう。ようやく申請登録画面にたどり着くが、医師免許証の画像データのサイズがわずかに大きくてエラーになってしまった。画像容量を小さくするフリーソフトを使って画像容量を小さくして入力。やっと通った。後は認証局(医師会)からの連絡を待つばかりである。世界的な半導体不足のため実際にカードを手にすることができるのは来年の春か夏くらいだという。国が進めるデジタル化は万事この調子である。準備や周知が不十分なまま強行するから問題が多発する。一応、カードがなくても、スマホを紐づけする処理をすれば、それを使って仕事ができるらしい。実に面倒で腹立たしいがどうしようもない。デジタル庁は伏魔殿だと思いながらも仕事ができなくなっては困る。「境遇に柔順なれ」しかなさそうである。

2024年11月17日 (日)

神経質礼賛 2287.頭痛・頭重感

   森田正馬先生による神経症分類のうちの一つ・普通神経質には 不眠、頭痛・頭重感、疲労感、胃腸障害、めまい、耳鳴、書痙などの症状がある。いずれの症状もいろいろ検査をしても異常は認めらない。ここでめまいと書いたが正しくは「めまい感」であり、本人はめまいを訴えるが、客観的には眼振はみられない。現代でも頭痛を訴えて市販の頭痛薬を飲んだり、医療機関でロキソプロフェンなどの鎮痛剤を処方してもらったりしている人は少なくない。

 頭痛・頭重感が続き、森田先生の診療所に入院して森田療法を受けた18歳の日記を紹介しよう。絶対臥褥を終えて5日目の日記には次のように書かれている。
朝山本さんと炭切りをして居る処へ、先生が来られて、こんなお話があつた。「炭切りは手の真黒になる、いやな仕事である。いやな事であるから、きたなくならないやうに、早く片付けてしまひたい。之が純な心である。此心から出発する時に、初めて色々の工夫が生れる。そこに進歩がある。之に反して此場合、自分は修養のため、治療のためだから、少々いやでも我慢しなければならないと思ふのは悪賢い小理屈であつて、これが所謂悪智である。炭切りの目的は、炭が最も有効に焚けるやうにするのであつて、修養のために稽古材料にするのではない。修養のためならば工夫はいらない。だから仕事が単に時間つぶし、遊び事になつてしまひ、何時迄も進歩はないのである」 (白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.228)

   このように作業中に随時先生の指導を受けて作業の工夫をしているうちに7日目の日記には、「此頃は頭痛がしなくなつた」と記載している。いつも症状のことばかり考えて自分の身体の方にばかり注意が向いてますます感覚が鋭敏になりさらに症状を強めてしまうという悪循環から抜け出し、ふと気が付けば症状は気にならなくなっている、森田療法ではそういう治り方をするのである。

 

2024年11月14日 (木)

神経質礼賛 2286.クリーニングあれこれ

 風呂の床や浴槽周辺の汚れが落ちにくくなってきた。妻は化学洗剤の使用を極端に嫌っていて、もっぱらブラシでゴシゴシ擦って汚れを落とそうとするがなかなか落ちない。私もそれに従ってやってはいるが効果がない。8年ほど前に家の外壁塗装をしたついでに業者に頼んで一度浴室クリーニングしてもらったことがある。その時の業者が丁寧な仕事ぶりだったので、また頼むことにした。エアコンも外壁塗装の際に全部買い替えていて、フィルターのホコリを自動でかき集めてくれる機能のついた機種にしていたが、前と違ってフィルターを取り外して洗ったりすることが困難になっている。ここ2、3年夏場のクーラー使用が増えているので、内部の結露によるカビ発生も心配である。今回は5台のエアコン室内機をすべてクリーニングしてもらうことにした。

 掃除業者は軽ワゴン車に乗って3名でやってきた。一番年配の男性はまだ見習中とのことで、チーフ男性の指導を受けながら風呂の浴槽・床・壁・天井のクリーニング。丁寧に仕事をしている。若い女性は車から道具を出したりしまったりと忙しく動き回る。朝9時から始まって終わったのは午後3時近かった。浴室は汚れが落ちてピカピカである。普段から汚れが気になったらすぐにブラシで汚れ落としをして保っていきたい。森田式に気が付いたら行動である。エアコン室内機で一番汚れていたのは使用頻度が高いリビング、次が寝室、そして楽器練習室で、子供部屋だった部屋はあまり使っていなかったので汚れていなかった。これで2、3年は安心だ。

 それが終わってから、今度は歯科医院へ行って歯の健診・クリーニングである。年に1回ペースで高校の同級生だった人のクリニックへ行っている。まずは歯周ポケットの測定。残念ながら加齢につれて広がっている。歯石と歯垢を取ってもらう。終わって鏡を見るとすっかりきれいになっている。普段からもっと時間をかけて丁寧に歯磨きしなくてはと思いつつ、しばらく経つと忘れてしまうのが常だ。日常のメンテナンスが一番である。

 

2024年11月11日 (月)

神経質礼賛 2285.解らなくても解った

 前話で森田先生は講話の際、次のようなことも話されている。

 先生のお室へ皆が集まつて、作業しながら先生の御話を聴いた。先生は、「私は皆さんに話をしたくてたまらないけれども、今の所誰も、話をきゝたいと思ふ人がないから困る。もちろん問はれゝば誰も話をきゝたいと答へる。しかしそれは嘘だ。例へば乞食に『金が欲しくはないか』と問へば、必ず『欲しくてたまらない』と答へる。しかし乞食は、働いて貯金する心は少しもない。金をもらへば、すぐに使つてしまう。貯金する人のみが、金が欲しいといふ事実であつて、乞食の欲しいのは空想であり、気分だけであつて事実ではない。こゝでは『事実唯真』といふ事を最も重んずるのである。皆さんは私に接近しない。少しも話を聴きたいといふテダテをしない。乞食が働かないと同様である」といふ事から、或は先生のお話をきいて、「後で『チツトモ解らなかつた』とか大ベラに告白するやうな人は、本人はありのまゝをいつて正直かと思つて居るけれども、実は『先生が病気をおして、あの様に熱心に話されるのを、解らないといふのは気の毒だ』といふ感じのまゝに、素直に『解りました』といふのが真の正直である。自分の誠の心をおしつぶして、『解らないのを解つたといつては、先生に思ひちがひをされて損だ』といふやうな利己主義一点張りが不正直である」とかいふやうな事や、「疑ひながら・不平ながら、ともかくも・いはるゝまゝに実行する。之を素直といふ」とかいふやうなお話があつた。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.203)

 解らないのに解ったと言うのは自分を偽るようで許せない、と思う方も少なくないだろう。また、解ったと思われては困るという向きもあるだろう。神経質、特に強迫の方は柔軟性が乏しいので、状況にかかわらず自分の主張を曲げない傾向がある。こんなことを言われると、どんな時も解らなくても解ったと言えということか、と反発する方もいるかもしれない。私も若い頃はそういう面が強かったから、この話を読んでドキッとしたものだ。しかし、これは、あくまでも状況によりけりである。この森田先生の指導は、強迫の人の偏りを補正するための一種の方便と解した方がよいだろう。

 

2024年11月10日 (日)

神経質礼賛 2284.いつもいい調子でいるには

 調子が良かったり悪かったり波があるけれど、いつもいい調子でいるにはどうしたらいいだろうか、と考える方はいらっしゃると思う。森田正馬先生の診療所に読書恐怖の強迫観念のために入院した21歳の学生さんの日記を紹介しよう。

(一週間の絶対臥褥を終えて6日目の記載)「疲れてボンヤリしていたが人から仕事を頼まれて我を忘れて元気よくしあげた。常にこういふ風になるのには、どうしたら・いゝのだらうか」
(森田先生のコメント)「考え方が逆になつて居る。今は当分たゞ理屈をいはずに、元気な時は元気に、くたぶれた時はくたぶれたやうに、其時々の心持のまゝに、素直に働いて居さへすればよい。一定の日数がたてば、必ず自然に体験によつて分かるやうになる」
 (その4日後の先生の講話の記載)「常にこういふ風に元気よくなるには、どうすればよいだらうか」といふ事に対しては、先生は「山登りをして、握飯が非常にうまかった。常にこんな風にうまくたべるには、どうしたらいゝだらうか」といふと同様だといはれた。「気の張つた時に元気が出、腹のへつた時にこそ何でもうまい。それでよい、それより外に仕方がない。気のゆるんだ時にはボンヤリし、腹のすかない時は、何をたべてもうまくない。それより外に仕方がない。それを何時でも自分の勝手のよいやうにしやうとするのは、随分無理な話である。神経質で迷つた人には、こんな簡単な事が、どうしても解らない」(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.203~204)

 この学生さんはこの説明はよく理解できたと書いている。神経質は、いつも調子が良くなる方法があるのではないか、と都合の良いことを考える。しかし調子が良い悪いはお天気のようなものでどうにもならない。いつも絶好調になろう、というのはそもそも不可能である。調子が悪い時にも悪いなりに働いていれば、またいい時もやってくるのだ。気分は気分としてやるべきことをやっていくのが本当の「あるがまま」なのである。

 

2024年11月 7日 (木)

神経質礼賛 2283.注射シーズン到来

 今日は立冬。昨日の帰りは冷たい北風を感じた。夕方のニュースで富士山に初雪がみられたと言っていた。ただし、静岡側から見てのことで、公式の初冠雪は山梨側の甲府気象台から観察して決まるのだそうである。今朝のニュースでは正式に初冠雪が発表された。今朝、富士山を眺めてみたが雪はよくわからなかった。例年より1カ月以上遅い。それだけ夏が長くなったということだろう。

 11月に入ってから外来でインフルエンザの予防接種を希望する人がボツボツ出始めた。クリニックなどでは医師が問診票を見てサインして看護師さんが注射を打つ場合が多いが、勤務先の病院では医師が打たなくてはならない。ただでさえ予約人数が多くて予約時間より遅れがちのところに注射が入るとさらに遅れていき、患者さんを長時間待たせてしまう。気持ちは焦るが、とにかく事故のないように気を付けている。

 自分自身も先週インフルエンザの予防接種を他の医師に打ってもらった。毎年ワクチンを打っていても今年は自分自身インフルエンザにかかっていてどれだけ効果があるか疑問ではあるが、一応済ませておいた。65歳以上の高齢者ということで市から補助金が出る。通常5400円のところ1650円。さらに感染症防止の観点から病院側で職員の自己負担分は出してくれるので実質無料である。コロナワクチンも一昨日打ってもらった。これも15300円で自己負担は3250円。やはり病院側が負担してくれるので実質無料だった。今までと同様にファイザー製で、副反応は注射した左腕の痛みだけだった。これからインフルエンザの流行期に入る。マイコプラズマ肺炎の発生も報道されている。相変わらず家から出たらマスク着用を続けている。かからないように気を付けていきたい。

2024年11月 3日 (日)

神経質礼賛 2282.アマチュア・アンサンブルの日(2)

 昨日は第14回アマチュア・アンサンブルの日。2年連続での出演となる(2169話)。台風崩れの温帯低気圧と温暖前線の影響であいにくの雨である。昼まで仕事をして掛川駅へ行ってみると、西日本の大雨のため新幹線がストップして1~2時間の遅れが発生。運転再開したという表示が出ていた。また止まるようなことがあってはアウトだから安全を期して在来線で帰宅。楽器を持って会場へと出かける。楽器ケースが濡れないように、肩ベルトを2本付けておんぶしていく。街は連休中開催の大道芸ワールドカップを見物に来ている人々で混んでいた。

 今年は昨年より出番が少し早くて受付時間15:30、リハーサルは15:50~16:15、出演時間は16:36予定と告知されていた。私は受付時間の20分前から待機し、友人は受付時間の1分前にやって来た。昨年同様、時間には神経質に進行している。リハーサル室では一通り弾いた後、最初の出だしのところを確認する。リハーサル室のピアノは河合楽器製。ヴァイオリンの音も良く響いて、「まあ、この位で弾ければいいね」と言いあった。舞台袖で待機。この時間は緊張する。2つ前のグループの演奏がまだ続いていた。フルート・クラリネット・ピアノのトリオで映画音楽を演奏していた。それが終わるとリコーダー2本、チェロ、ピアノによるコレルリのソナタの演奏だった。出演直前になると汗で冷えた左手が勝手にピクピク動いて心配になる。いよいよ舞台に出る。リハーサル時にチェックしていたので舞台では調弦はしないことにしていた。1曲目ベートーヴェン作曲ヴァイオリンソナタ第5番「春」第一楽章。最初の方は少々ぎこちない演奏になってしまった。弦を交換した効果もあって、ヴァイオリンもまずまずの音量でホール内に響き渡っているようだった。大きな失敗はなく、何とか弾き切る。2曲目のチャールダシュでは1mほど客席側に進み出て譜面なしで弾く。ちゃんと音が出るかどうか気になっていたフラジオレット(笛音)の部分はやはり最後のところでかすれてしまった。

 演奏終了後、片付けをしてホールを出たら「雨雲レーダー」の予測通り、外はまるで台風状態。とんでもないことになっていた。傘の骨が折れてしまい困っている人たちもいる。なるべく地下を通って移動するが、地上を歩かなくてはならない所もあって、かなり濡れた。静岡セノバの食堂街に入り、反省会。生ビールがことのほか美味しく感じる。懲りもせず次は何をやろうかという話になる。私はブラームスのFAEソナタかヴィオラでシューベルトのアルペジョーネソナタを希望している。帰る頃には雨は小降りになり風も収まっていた。

 

2024年11月 1日 (金)

神経質礼賛 2281.弦が切れる

 先週、家でヴァイオリンを弾き始めたら、いきなりG線(一番太い低音の弦)が切れた。今年の春にはD線(二番目に太い弦)が切れて交換している。E線(一番細い高音の弦)は金メッキ線を使っていて3か月位でメッキが剥げてくるので切れなくても半年位で新品に交換している。演奏の日まで残り少なくなってきていた。当日演奏中に切れたら完全にアウトである。その場で演奏終了して退場ということになってしまう。最近交換していないA線がもし切れたら、と心配になるので、安全を期してA線もついでに新品に交換しておいた。G・D・A線はドミナントという名称のオーストリア製のナイロン弦である。プロでも使っている人がいて、丈夫で切れることは少ないはずだけれど、ここ2~3年、以前よりも楽器を弾く時間が長くなったためか、弦に負担がかかる曲を弾くようになったためか、はたまた高音多湿のためか、時々切れて交換している。予備弦も常に買い足して2セット以上在庫を用意している。

 弦を交換すればもう安心というわけにはいかない。弦を交換してしばらくは緩んで音程が下がりやすいので、神経質に調弦を繰り返すことになる。演奏中に突然にペグ(糸巻き)が滑って一気に緩むトラブルも怖い。安定して馴染んでくるまでには時間がかかる。演奏そのもの以外のハラハラドキドキもあるのだ。緊張しながら少しでもいい演奏ができたらと思っている。

 

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