神経質礼賛 2284.いつもいい調子でいるには
調子が良かったり悪かったり波があるけれど、いつもいい調子でいるにはどうしたらいいだろうか、と考える方はいらっしゃると思う。森田正馬先生の診療所に読書恐怖の強迫観念のために入院した21歳の学生さんの日記を紹介しよう。
(一週間の絶対臥褥を終えて6日目の記載)「疲れてボンヤリしていたが人から仕事を頼まれて我を忘れて元気よくしあげた。常にこういふ風になるのには、どうしたら・いゝのだらうか」
(森田先生のコメント)「考え方が逆になつて居る。今は当分たゞ理屈をいはずに、元気な時は元気に、くたぶれた時はくたぶれたやうに、其時々の心持のまゝに、素直に働いて居さへすればよい。一定の日数がたてば、必ず自然に体験によつて分かるやうになる」
(その4日後の先生の講話の記載)「常にこういふ風に元気よくなるには、どうすればよいだらうか」といふ事に対しては、先生は「山登りをして、握飯が非常にうまかった。常にこんな風にうまくたべるには、どうしたらいゝだらうか」といふと同様だといはれた。「気の張つた時に元気が出、腹のへつた時にこそ何でもうまい。それでよい、それより外に仕方がない。気のゆるんだ時にはボンヤリし、腹のすかない時は、何をたべてもうまくない。それより外に仕方がない。それを何時でも自分の勝手のよいやうにしやうとするのは、随分無理な話である。神経質で迷つた人には、こんな簡単な事が、どうしても解らない」(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.203~204)
この学生さんはこの説明はよく理解できたと書いている。神経質は、いつも調子が良くなる方法があるのではないか、と都合の良いことを考える。しかし調子が良い悪いはお天気のようなものでどうにもならない。いつも絶好調になろう、というのはそもそも不可能である。調子が悪い時にも悪いなりに働いていれば、またいい時もやってくるのだ。気分は気分としてやるべきことをやっていくのが本当の「あるがまま」なのである。
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