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2025年2月27日 (木)

神経質礼賛 2320.診察室で帽子を被ったままの人

 年々増えているのが帽子を被ったまま診察室に入って来る人である。そして、帽子を脱がずにそのまま椅子に座って話し始める。私は古い人間のせいか、どうも違和感がある。今は寒い時期だけれども、院内は暖房が入っているから毛糸の帽子を被り続ける必要性もないはずだ。

 いつも野球帽を深く被りつばを下ろして目が合わないようにしている患者さんがいる。統合失調症の人では自我境界を守りたいという心理が働いて帽子を常用したり濃いサングラスをしたり大きなマスクをしたりすることがあって、それは十分に理解ができる。

 一般的に女性の場合は室内で帽子を被っていても相手に対して失礼にあたらないと言われている。もっとも、女性皇族のような上品な帽子であれば、お召し物の一つとしてよいけれども、毛糸の帽子ではなあ、とも思う。男性の場合は室内では帽子は脱ぐべきとされている。画家や漫画家のベレー帽は例外かもしれないが。

 ただ、これだけ室内での帽子着用者が増えてきて、当たり前のこととなってしまったのでは、それに慣れていくしかないのだろう。心理検査P-Fスタディに出てくるストレスフルな場面・・・映画館で自分の目の前に座っている人が大きな帽子を被っていて邪魔で良く見えない・・・というようなことがなければ、どこでどんな帽子を被ろうがOKということになろうか。

 

2025年2月23日 (日)

神経質礼賛 2319.蛍光灯製造中止

 2027年末に蛍光灯の製造・輸出入が禁止されるという話が新聞に載っていた。蛍光灯の蛍光管には少量だが水銀が使われている。以前から環境汚染や人体への悪影響が指摘されていた。私が住んでいる市でも、燃えないゴミの回収の際には蛍光管を分別回収するようになっていた。

 この話はまだ十分には周知されていない。それに、丸型の蛍光灯器具ならば素人でも容易にLED照明に取り替えができるけれども、直管型の蛍光灯器具だと配線変更工事が必要だったり、器具全体の取り替え工事が必要だったりして簡単には済まない。勤務先の病院の照明を考えると長い40W直管型蛍光管が多く使われている。学校や事務所でも事情は同様であろうと思う。これらを全部取り替えるとなると相当のコストがかかることになる。

 我が家でもLED照明への取り替えは進めているが、居間と寝室と和室はまだ丸型蛍光管の照明器具のままである。しかも、丸型蛍光管の予備はかなり買い込んでしまってある。買い置き分を使い切ってからの交換になる。20W直管型蛍光管を使用していた納戸などでは既にグローランプを外して同等型のLED管に交換した。しかし、電子回路を使ったラピッドスタート型の蛍光灯だと業者に工事を依頼して器具全体を取り替えなくてはならない。また、洗面所の蛍光管はLED管に交換したら肌の色が青っぽくなって不健康そうに見えてしまうと妻から苦情が出て蛍光管に戻したということもあった(1942話)。肌の色がきれいに見える電球色のようなLED管が販売されるようになったらまた交換しようと思っている。ダウンライトに電球型蛍光管が使われていて、サイズの関係でLED電球に置き換えにくいものもある。交換が完了するまでまだ数年かかりそうである。

 

2025年2月20日 (木)

神経質礼賛 2318.春を告げる確定申告

 例年、確定申告の時期になると、早い所やっつけてしまおうということになる。今年も初日の午前中に国税庁のホームページから申告書を作った。そして、歩いて税務署へ。午後一番に提出する。今までは提出する際に窓口で簡単にチェックを受けて控えに受領印を押してもらって、これで一仕事終わった、という感じだった。今年から受領印は廃止になり、チェックは受けずにただ提出するだけになった。税務署としては手間を減らすためにマイナンバーカードとスマホによるe-Taxに誘導しているから当然と言えば当然だ。従来通り、申告書をプリントする方式でやろうとすると、なぜe-Taxにしないのか、という質問画面が出てくる。何が何でもマイナンバーカードを使わせようということなのだろう。「今まで慣れているから」の欄にチェックを入れた。

 さて、家に帰ってから、源泉徴収票を添付し忘れたのに気が付いて、慌ててまた税務署へ逆戻り。受付の人にその旨を話すと、「源泉徴収票は添付しなくても大丈夫ですよ。どうしても気になるということでしたら、お待ちいただければ対応しますけど」と言われる。一昨年、窓口で源泉徴収票の添付は不要だと言われた(2077話)ことをすっかり忘れていた。調べてみると2019年(令和元年)4月から添付は不要になったようである。

 毎年、税務署に行く日は強い西風が吹いている。内堀沿いを歩いていると、スギ花粉が飛んでいて目はショボショボ、鼻はクシュクシュ。駿府城公園の入口から見て正面に1本の紅梅が満開になっているのに気が付いた。強風に枝を大きく揺らしながら見事に咲き誇っている。思わず近くに行って、写真を撮る。まだまだ寒い日は続くけれども、本格的な春は一歩一歩近づいてきている。

2025年2月17日 (月)

神経質礼賛 2317.計算恐怖・間違恐怖

 今年も確定申告の受付が始まる。国税庁のホームページから入力して申告書を作っているので電卓で計算するようなことはなくなったけれども、落ちがないか、入力間違いがないか、とても気になって確認するのが常である。
 神経質な人には計算間違いを心配して何度も確認してしまう人がいる。必要以上に確認していると時間ばかりかかって大変なことになる。その昔、そろばんを弾いて集計していた時代はそうした人が今以上に多かっただろうと思う。森田正馬先生のもとにも、そうした悩みを抱えている人から相談の手紙があった。

   手紙の主は29歳、米穀雑貨商 店員10年、支店の営業を任されていて仕事は順調である。売上代金や仕入れ金などを計算する際、3回位計算して同額であっても、間違えていて損害を出してしまう不安が起きる。何回も繰り返し計算しても満足できない。他にも手紙などの宛先を間違えていないか心配になるとのことである。
 それに対して、森田先生は、
「計算に間違ひがあれば、種々の不都合があるから、当然、不快、不安心であるべき筈です。之を馬鹿らしい事、余計の取越苦労であるとか、自分は常人よりも余計に気にする性分であるとかいふ風に考へてはなりません。」
「十銭と十圓との利害の軽重を考へ、十銭のために長い時間の骨折りをしてはなりませんが、百圓には一時間位かけても差し支へありません。」
「実際的にいへば、初め普通の人のやうに正確に一回計算し、次に念のために之を正し、それで思ひきつて、たびたびやり直す事を断念しなければなりません。」
「人間は間違ひないといふ自信を持つ事は、不可能の事です。即ち間違つた時は、其損害を受けるより他に方法はない。只これのみを知ればよし、この心持さへ出来れば、自ら注意が行届きて、自然に間違ひが最も少なくなります。
 只徒(いたずら)に、間違ひはないやうにと心配すれば、工夫はなくなり、自然に間違ひだらけになるものであります。」(白揚社:森田正馬全集 第4巻p.427-429)

 原則、再計算の確認は1回に留めるというのは確認行為に対する一般的な処方箋である。ただし、間違えた場合の損失が大きいような巨額の計算の際にはやはり時間をかけてよい、としている。このあたりは臨機応変ということである。そして、間違えないという自信を持とうなどという不可能の努力はしないことである。

 

2025年2月16日 (日)

神経質礼賛 2316.顔写真撮影

 この4月から二か所のクリニックで働く予定になっている。一か所は三島の病院で一緒に働いたことがある先生が院長をしている精神科クリニック。現在休診日になっている曜日を私が勤務して埋める形になる。私のピアノ伴奏をしてくれる親友の家から近くにあって、彼が通りかかったら4月から私が勤務になることが掲示されていた、とLINEで写真を送ってくれた。ここはまだ電子カルテになっていなくて紙カルテである。患者さんの層も今までの勤務先と大差ないようだ。

 もう一か所は精神科ではなく何と産婦人科のクリニックである。メンタル患者さんが多いから診てほしいという要望があって行くことになった。こちらは全くの未知数である。先日、クリニックのホームページに載せる顔写真が必要なので来てほしいという連絡が入った。顔写真なら撮ったものがあるから送りますよ、と返事すると、無料で配られる情報誌にも載せたいから、とのことだった。決められた日の午後6時に行ってみると、もう一人5月から勤務予定の若い女医さんも来ていた。この女医さんは現在こども病院で児童思春期を専門にしている方で、産婦人科クリニックにはまさに適任だろうと思う。まず、絵柄の入った色物の仕事着のシャツに着替える。長年、仕事中はYシャツに白衣、特に冬場はネクタイをしていたから戸惑う。ポケットがないシャツだから仕事の時に困るだろうなあ、と早くも先の心配をする。「郷に入りては郷に従え」でやむを得ない。森田の言葉では「境遇に柔順なれ」だ。情報誌のカメラウーマン(?)たちの指示に従っていろいろなポーズで写真を撮られる。刺繍のついたクッションを抱えさせられて「もっとニッコリ笑ってください」などと言われながらどうにか撮影が終わったら7時近くになっていた。さて、これからどうなりますことやら・・・。

 

2025年2月13日 (木)

神経質礼賛 2315.気になるパソコン打ちの音

 電車の中や駅の待合室でパソコンを使う人が増えた。パソコンが小型軽量になり、バッテリーも長時間もつようになったこともあるだろう。すきま時間の有効利用はいいことであるが、近くの席にそうした人がいると、カシャカシャとキーを叩く音が気になることがある。特に、文の終わりでENTERキーを押すような時だろうか、力を込めて叩く音がひときわ大きく感じて気になってしまう。そんなに力を入れなくてもいいのに、などと考えるとますます深みにはまってしまう。まさに森田理論の「精神交互作用」である。注意の集中→感覚の鋭化→意識の狭窄→注意の集中→・・・という循環が起きてとらわれてしまうである。気にしないようにしよう、などと思えば思うほど、ますます気になる。音自体は小さくても気にしていると、その音を選んで拾って聞いてしまうのだ。

 一番効果があるのはやはり、イヤホンで自分の好きな音楽でも聴くようにすれば音そのものが聞こえなくなって回避できる。もし、イヤホンを持っていないような時には、仕方なく聞こえるままに、スマホでメール打ちしたり調べ物をしたりしているうちに時間がたてばあまり気にならなくなっているものだ。

 かつては電車の中で近くにいる人のウォークマンのイヤホンから漏れ出るシャカシャカ音が気になったものだが、最近のイヤホンは密閉型が多くなったためか、周囲に不快な音をまき散らす人は見当たらなくなっている。もっとも、小さな音でも不快感を周囲に与えてしまうことはあるから、迷惑を及ぼさないように気を配りたいものだ。

 

2025年2月 9日 (日)

神経質礼賛 2314.欠勤者のカバー

 外来患者さんからよく聞く話、「病気で欠勤の人が出てしまって大変です」。病気とは大抵はうつ病や適応障害である。結局、他の人が残業や休日出勤してカバーせざるを得ない。うつ病で通院中の人が欠勤者のカバーのために無理をして仕事を増やしてアップアップしている。コンビニのパート勤務をしている主婦の方。急に辞めた人が出て補充できないから代わりに出勤日を増やすことを求められる。なかなかNOと言えない人で、断れずに背負いこんでしまう。結局は真面目で責任感の強い人にしわ寄せが行く、という図式である。人件費削減のため、どこもギリギリあるいはそれ以上の仕事を詰め込んでいるから、欠勤者が出た時の対応が困難になっている。もう少し勤務にゆとりを持たせるような体制にするのが本筋である。その方が勤務者の定着率もアップするのではないかと思う。

 他人事ではない。昨日の朝、若い常勤医の先生から電話があり、発熱して休むから外来の代診をお願いしたい、ということだった。その後、コロナ陽性だったことが判明。勤務を終えて帰宅すると携帯電話が何度も鳴っている。出てみると事務方のトップからで、もう一人の先生もコロナ陽性になってしまいました、と衝撃の情報が。建国記念日の精神科救急の日当直を代わりにやってもらえないでしょうか、と。精神保健指定医でなければできないので、私がカバーする他ない。祝日が実質休めることは珍しいので喜んでいたらこれである。そして当分、毎日代診で外来をやらなくてはならない日々が続きそうである。経営者から見れば、二人減らしても仕事が回るのだったらその人数で十分じゃないか、という論理になりそうだが、ゴムを伸ばして伸ばしてやっとの状態はいつかプッツン切れて長続きしない。

 

2025年2月 6日 (木)

神経質礼賛 2313.しもやけ(凍瘡)

 昨年の暮あたりから、手にしもやけができ始めた。痒いしちょっとどこかにぶつけると強い痛みを感じる。最初に出たのが右手小指の外側だ。冷たい机の上で書類を書く時に当たる部位である。それが徐々に薬指→中指→人差し指にと広がってしまった。精神科病院では鍵の開け閉めが多くて鍵を回すたびに指に当たって痛い。

 しもやけ(凍瘡)は急激な温度変化により身体末端の血流異常をきたすことで起きると言われている。真冬よりも寒暖の差が大きい晩秋から初冬・春先にできやすい。童謡「たきび」の2番の歌詞に「さざんかさざんか咲いた道 たきびだたきびだ 落ち葉たき あたろうかあたろうよ しもやけおててがもうかゆい」とあったのを思い出す。さざんかの開花は椿よりも早い10月~2月頃である。しもやけの症状は大きく二つに分かれ、指全体が赤く腫れる「樽柿型」と赤いブツブツや小水疱が多数できる「多型滲出性紅斑型」がある。前者は子供に多く、後者は成人に多いとされる。治療としては血管拡張作用のあるビタミンE配合の軟膏を塗布し、発赤がひどい時にはステロイド軟膏を使用することもある。

 今回はなかなか重症で、軟膏は塗っているが、治りが悪い。勤務先で感染症対策のために頻回にアルコールで消毒しなくてはならないのと、病棟との間を歩く間、冷たい強風にさらされるのもよくないような気がする。そもそも朝出勤するとすぐに冷たい机の上で書類を書いていたのが原因と思われるから、一種の職業病みたいなものである。春の到来を待とう。

 

2025年2月 2日 (日)

神経質礼賛 2312.原因の如何を問わず実践第一

 強迫観念は不安を呼び起こす好ましくない考え、イメージ、衝動が頭の中に繰り返し割り込んでくることをいう。実際の体験が引き金になることが多い。例えば車を運転中にたまたま道路から衝撃を受けて、もしかして人を轢いてしまったのではと心配になってそのことが頭から離れなくなるようなものである。それをそのままにしておけば消失していくのだが、同じ所に戻って確認するような強迫行為をしてしまうと深みにはまっていくことになる。

 実際の体験はなくて本で読んだだけでも気になり続ける人もいる。森田正馬先生のもとに講談雑誌の読物「女給可愛や盗んでまでも、恋の大穴五萬円」を読み、その金額が気になって仕方がないと訴える25歳の農業の男性からの手紙に対して次のように返信しておられる。

 治療上の直接の要点は、自分の不快や不安の気分を一層するために、決して色々に判断し或は研究して之を解決しやうとしてはなりません。只不安、苦悩のまゝに日常の仕事をし、又は自分の好きな事をして日を送れば」よいのであります。
 それは例へば、家康の家訓の「重きを負ひて遠きを行くが如し」で、苦痛をしのびながら、日常の生活をして行けばよい。タッタそれだけの事です。
 色々理屈を知るために、却つてあやまりたる人生観におち入り、強観(強迫観念)となるので、むしろ何も知らないで人並にやつて行けばよいのです。実際に治るのに、只其実行だけでよいのですけれども、しかし人は例へば畳のヤケ穴でも、気が付かなかつた前には何でもないものが、一度偶然に気がついて目に見へれば、其後は之が見へない様に気にならぬ様にする事の出来ぬと同様に、一度出来た知識は其まゝ思ひすてる事も、忘れる事も出来ません。況んや強観に於ておやです。仕方ないから只苦しいまゝにこらへてやつて行く外ありません。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.576-p.577)

 難しい理屈はいらない。気になるまま、それを消そうとあくせくせず、普通の生活を送って行くのが強迫観念の最善の治療法なのである。

 

2025年2月 1日 (土)

神経質礼賛 2311.干柿と干芋

 友人から旅行のお土産に干柿をもらった。一個ずつパックされ、袋には「富山干柿」と書かれ、エージレスが入っていて日持ちするようになっている。生で食べる柿は平たい形をしているが、干柿にする渋柿は尖った形をしている。公園などで鮮やかな赤色に染まった渋柿を見かける。鳥たちも渋くて食べられないことを知っているのだろう。乾燥させることで渋抜きができて甘くなって食べられるようになる。私が子供の頃は親類の家に行くと、軒下に干柿が吊るしてあるのを見かけたものだ。貴重な保存食、子供たちにとっては嬉しいおやつだった。干柿の表面は白い粉のようなものがびっしり付いている。一見、白いカビが全体に付いているようで、神経質としては食べるのをちょっと躊躇したくなる。しかし、これは柿の実の糖分が結晶化したもので、何ら問題ないらしい。

 干柿と同様、乾燥させた保存食に干芋がある。干芋の表面の白い粉も同じであり、芋の糖分である。私の母は「芋切干」と呼んでいて大好物だった。よくスーパーで売っている茨城産のものを届けたが、やっぱり地物の方がいいと言われたものだ。干芋は何と静岡県が発祥の地だそうである。江戸時代、薩摩藩の御用船が御前崎沖で座礁した。乗組員たちを救助して手厚く介抱したのは御前崎の住人たちだった。薩摩藩は礼金を渡そうとしたが、固辞されたため、お礼として積み荷のサツマイモ3本を渡し栽培法を伝授した。それが遠江国全体に広がり、さらに煮たり蒸かしたりしたサツマイモを薄く切って乾燥させて保存食にする工夫が行われたという。
 さらに茨城県で干芋が作られるようになったきっかけは、これまた海難事故だそうだ。明治時代に茨城の船が静岡県沖で難破して救助され、その時に静岡の干芋の存在を知った人が茨城で干芋を生産して広まったという。まさに災い転じて福となる、の食品だった。

 

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