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2025年2月17日 (月)

神経質礼賛 2317.計算恐怖・間違恐怖

 今年も確定申告の受付が始まる。国税庁のホームページから入力して申告書を作っているので電卓で計算するようなことはなくなったけれども、落ちがないか、入力間違いがないか、とても気になって確認するのが常である。
 神経質な人には計算間違いを心配して何度も確認してしまう人がいる。必要以上に確認していると時間ばかりかかって大変なことになる。その昔、そろばんを弾いて集計していた時代はそうした人が今以上に多かっただろうと思う。森田正馬先生のもとにも、そうした悩みを抱えている人から相談の手紙があった。

   手紙の主は29歳、米穀雑貨商 店員10年、支店の営業を任されていて仕事は順調である。売上代金や仕入れ金などを計算する際、3回位計算して同額であっても、間違えていて損害を出してしまう不安が起きる。何回も繰り返し計算しても満足できない。他にも手紙などの宛先を間違えていないか心配になるとのことである。
 それに対して、森田先生は、
「計算に間違ひがあれば、種々の不都合があるから、当然、不快、不安心であるべき筈です。之を馬鹿らしい事、余計の取越苦労であるとか、自分は常人よりも余計に気にする性分であるとかいふ風に考へてはなりません。」
「十銭と十圓との利害の軽重を考へ、十銭のために長い時間の骨折りをしてはなりませんが、百圓には一時間位かけても差し支へありません。」
「実際的にいへば、初め普通の人のやうに正確に一回計算し、次に念のために之を正し、それで思ひきつて、たびたびやり直す事を断念しなければなりません。」
「人間は間違ひないといふ自信を持つ事は、不可能の事です。即ち間違つた時は、其損害を受けるより他に方法はない。只これのみを知ればよし、この心持さへ出来れば、自ら注意が行届きて、自然に間違ひが最も少なくなります。
 只徒(いたずら)に、間違ひはないやうにと心配すれば、工夫はなくなり、自然に間違ひだらけになるものであります。」(白揚社:森田正馬全集 第4巻p.427-429)

 原則、再計算の確認は1回に留めるというのは確認行為に対する一般的な処方箋である。ただし、間違えた場合の損失が大きいような巨額の計算の際にはやはり時間をかけてよい、としている。このあたりは臨機応変ということである。そして、間違えないという自信を持とうなどという不可能の努力はしないことである。

 

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コメント

40年も昔ですが丸の内のホテルにいた会計が手中の電卓をこれ見よがしに速叩きしていました。その時も感心しませんでしたが、「検算して下さい」と言わなかったことが、たまに思い出されて遺憾です😱

たらふく 様

 確かに自慢げに早叩きしている人にはムカッと
きますね。そういう人は最後のキーを叩く時は特
に思い切り力を入れますね。マネできない人間の
ヒガミかもしれませんが。

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