神経質礼賛 2334.アンパンマン
新しい朝ドラ「あんぱん」が始まった。漫画やアニメでおなじみアンパンマンの作者・やなせたかし(1919-2013)の妻となる女性が主人公ということだ。それにちなんで「アナザーストーリーズ」という番組ではやなせさんの人生を辿っていた。アンパンマンは力で悪をやっつける普通のヒーローとは異なる。弱っている人に自分の顔を食べさせて元気を与えてくれる。顔が欠けてしまってもジャムおじさんがまた修復してはくれるけれど、アンパンマン自身も弱っている人と苦しみを分かち合うのである。
やなせさんは東京生まれではあるが、小学生の時に父親を亡くし、母親も再婚してしまったため、弟とともに現在の高知県南国市で開業医をしていた伯父に育てられ、高知の旧制中学を卒業している。父親の実家が現在の高知県香美市にあったことから、同市には市立やなせたかし記念館があり、実家跡の公園にはやなせ夫妻の墓があってその両脇にはアンパンマンとバイキンマンの石像が立っている。
苦を分かち合う行為の最極端が捨身ではないだろうか。法隆寺の国宝玉虫厨子に描かれた絵にあるように、飢死寸前の虎の親子を救うため崖から飛び降りて我が身を食べさせたインドの王子が生まれ変わって釈迦になったのだという。
京都森田療法研究所のブログが更新され、今回は共感や共苦について論じられている。症状の苦、人生の苦を何とかしたいという方々に対して森田療法は何ができるだろうか。症状は不問とする姿勢は、不快な症状を何とか少しでも取り去ろうとしてこだわりを強めてかえって悪化させる悪循環を断ち切る画期的な方法である。しかし、どうかすると「塩対応」だとか、行動を要求するばかりのスパルタ教育というような誤解も起きうる。20年近く前に書いた当ブログ初期の記事「不問と暗黙の共感」(27話・拙著『神経質礼賛』p.45~46)の一部を再掲する。
「不問」というのは一見とても冷たい対応のように思われるかもしれない。しかし、実は治療者の側も、症状がどうなるかはとても心配なのである。森田正馬先生も、便秘を訴え下剤を多量に常用していた患者さんに対し、規則正しい生活をさせて下剤をやめさせ、患者さんの訴えは不問としたが、やはり、排便があるまではとても心配されていた。突き放しているように見えても、言葉には出さなくとも、表情には出さなくとも、そこには暗黙の共感があるのだと思う。また患者さんの側も、半信半疑であっても神経質を克服した先生の言う事だからつらいけれどやってみよう、という面もあるだろう。
このあたりはマニュアル的にやっていたらスッポリ抜け落ちてしまう重要な点である。共感も共苦も本来の森田療法には内在しているものだと思う。
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