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2025年5月29日 (木)

神経質礼賛 2350.水無月(2)

 いつも日帰り京都旅行の締めくくりは駅の伊勢丹での買物である。私の母が健在だった頃にはヨモギあるいは粟の生麩をおみやげに買っていたものだ。今では帰りの新幹線の中で食べる夕食の調達が主な目的となっている。妻は漬物と和菓子を買っている。いつもこれに時間がかかる。今回は寺社拝観が早く終わって、京都駅に戻って2時間以上時間があった。土曜日ということもあってか地下1階・地下2階はとても混んでいる。妻が和菓子をよく買う仙太郎という店は長い行列ができている。順番が来てから品定めをして注文する人もいるようで、行列はなかなか前に進まない。その間、私は階段横のスペースで待つことになる。秋から冬だとわらび餅と最中を買うことが多い。今回買ったものは黒豆大福と初夏らしく水無月(1391話)だった。いずれも賞味期限は当日限り。とは言っても実際には夫婦二人だけではすぐに食べきれないので2~3日かけて食べることになる。

 水無月は旧暦6月。水有月ではないか、とツッコミを入れたくなる。由来は田に水を引く「水の月」と言われる(諸説あり)。和菓子の水無月は京都発祥である。白い外郎(ういろう)の上に甘く煮たあずきを載せて三角形に切ったものだ。白い外郎は氷室から出した氷で暑気払い、小豆には厄除けの意味があるそうだ。京都では6月30日の夏越しの祓の日に食べて残り半年の無病息災を祈念する風習があるという。今では白い外郎だけでなく、黒糖外郎や抹茶外郎を用いたものもある。邪気を払うという意味からすると同じ緑色でも抹茶でなくヨモギ外郎が使われても良さそうなものだが、なぜか見当たらない。国産素材にこだわって種々の生外郎を販売している伊勢の虎屋ういろホームページによれば、国産ヨモギの調達が非常に困難になり、昨年から定番商品から季節限定商品に変更したとのことである。そんな事情も関係しているのだろうか。

 

2025年5月26日 (月)

神経質礼賛 2349.大徳寺瑞峯院から妙覚寺へ

 大慈院の泉仙で食事をした後、すぐ隣の瑞峯院へ。大友宗麟ゆかりの寺で通年拝観できる。方丈前の独座庭は、荒波が打ち寄せるが、それにもまれながらも独座する岩々が示されている。しばし縁側に腰かけて眺める。方丈裏の閑眠庭は重森三玲の作庭でキリシタン灯篭を中心に十字架状に石組みを配して万民の霊を弔っているという。

 午前中は小降りで時折雨間があったのがだんだん本降りになってきた。午後のメインは妙覚寺の新緑特別拝観である。大徳寺から徒歩20分ほど。この寺の存在は先日TV番組で初めて知った。織田信長が京に滞在の際の定宿だった寺である。本能寺の変の際は嫡男の織田信忠が宿泊していた。信忠は手勢を率いて一旦本能寺へ信長救援に向かうも信長自害の報を受け、二条新御所の皇太子を避難させた上で立て籠もったが多勢に無勢。自害して遺骸は信長と同様、発見されなかったという。TV番組ではこの寺に伝わる斎藤道三が信長に宛てて書いた遺言状が紹介されていた。自国を娘(濃姫)の夫である信長に委ねるという内容である。実物は見られないが、パネル展示されていた。寺の建物は何度も火災で焼け落ち、聚楽第裏門を移築したという門だけが往時をしのばせる。今回の特別展示では信長が千利休の茶会で振舞った料理の模型が展示されていた。一から三の膳まであり、さらにデザート類や引物もあった。白鳥の肉も使われていたから鷹狩で調達したものだろう。この寺の魅力は楓と苔が美しい法姿庭園である。特に人工的に手を加えることはせず、「あるがままですばらしい」自然庭園である。雨の中、緑が鮮やかに映え、ピンク色の楓花が色を添えていた。おそらく秋の紅葉は鮮やかだろうけれど、青もみじの競演もいいものである。

 

2025年5月25日 (日)

神経質礼賛 2348.一休寺

 昨日は京都日帰り旅行。ずっと前から行ってみたいと思っていて行けなかった酬恩庵一休寺が最初の目的地だ。京田辺市にあり、京都駅で近鉄に乗り換え新田辺下車。駅前には「たなべいっきゅう」「とんちはし」と刻まれた石の円柱の間に茶色の太鼓橋を模したようなモニュメントがあり、そのてっぺんには一休少年が立って見下ろしている。「このはし渡るべからず」の橋を端ではなく真ん中を歩いて通ったという一休頓智話にちなんだものだ。その少し横には箒を手にした一休像がある。寺の開門は9時でまだ時間があるので歩いて行く。寺に向かう「一休とんちロード」の電柱には一休の故事にちなんだ「一休かるた」が取付けられている。

 境内に入ると青もみじが美しい。そして、ピンク色の楓花もいたるところに見られる。宗純王廟(一休の墓)は宮内庁の管理下にあり、閉ざされた門の菊の御紋の透かし彫り越しに拝む。拝観一番乗りで方丈の庭園を見る。穏やかな波を表す広い白砂の向こうには山々を模したようなサツキの刈込が並ぶ。石川丈山、松花堂昭乗らの作庭だという。詩仙堂の庭を思い出した。自分の髪と髭を移植させたと伝わる晩年の座像は近くで見ることができず、ちょっと残念だった。

 新田辺から京都行きに乗り、竹田で地下鉄に乗り換え。同じホームで乗換できるのはありがたい。混雑していた地下鉄は烏丸御池を過ぎたあたりから急に空いてくる。北大路で降り、少し早めに昼食を予約した大徳寺大慈院の泉仙を目指す。前回寄ったのは8年半前だった。大徳寺聚光院の特別拝観(1336話)を見た際に寄って以来である。精進料理が鉄鉢料理の名の通り托鉢僧の鉢を模した朱塗りの器で供され、食べ終わると7個ほどの器は入れ子状に重ねられる趣向になっている。箸の包み紙には「生死事大 無常迅速 光陰可惜 慎勿放逸」と書かれた木版(もっぱん)が描かれ、右側に「有漏路より無漏路にいたる一休 雨降らは降れ風ふかはふけ」と書かれている(1338話)。自分の写真を見比べると、あっという間に歳を取ってしまったなあと思う。まさに無常迅速である。前回は食事の後、歩いて北山の源光庵まで行き、さらに京都国立博物館で伊藤若冲の展示を見て豊国神社の宝物館を見てから帰っていた。今ではとてもそんなパワーはない。光陰惜しむべし。動けるうちにできることをなるべくやっておこう、と反省する。

 

2025年5月22日 (木)

神経質礼賛 2347.衣替え(3)

 日曜日には義父の一周忌があり、黒礼服上下に黒ネクタイ姿でお寺に行った。参列者は妻と私の二人だけである。樹木葬にしているので、省略してもよいのだが、三回忌まではお寺にお願いすることにしている。円形の小さな樹木葬墓苑の周囲に数か所の花立てがあって、まず持参した花を供え線香をあげる。本堂で三十分ほど法要の後、再び線香をあげる。この日の最高気温は29℃。花もすぐに枯れてしまいそうだ。この暑さで黒礼服はきつい。一旦家に帰って着替えてから食事に行き、ついでに礼服をクリーニングに出す。

 産婦人科クリニックへの通勤には自宅近くを走る2両編成の静鉄電車を利用している。5月の初めくらいからクーラーが入っている。通学に利用している学生さんたちもすでに夏服になっている。かつて衣替え(1194・1868話)は6月と10月とされていたが、温暖化のため年々実質的な夏が長くなってきて、今では5月と11月といったところか。電車を狐ヶ崎駅で降りても駅前には商店はなく、200mほど先にイオン清水店の建物が見えるだけだ。もちろんタクシーも止まっていない。バスは1時間に1本なので歩くしかない。これからの夏場、電車を降りてからの徒歩片道20分が勝負所になるだろう。日傘(1775話)は必携である。カフェイン抜きの水分も少し用意しよう。

 

2025年5月18日 (日)

神経質礼賛 2346.年金繰下げ請求

 4年半前に日本年金機構から年金請求の書類が入った緑色の大きな封筒が送られてきて、いろいろ必要な書類を揃えて「街角の年金相談センター」へ行き厚生年金の請求手続きをしたところ、「所得があるのであなたの厚生年金はゼロ円です」と宣告された(1816話)。在職老齢年金という制度のために、働いていて厚生年金に加入したまま年金を受け取ろうとしても一定以上の給与だと年金の一部または全額がカットされる。しかもカットされた分は繰り下げることができず、丸損になる仕組みである。この仕組みが十分に周知されているとは言い難い。カットされても、その分は繰り下げて受け取れるのではないかと何となく思っている方も多いのではないだろうか。私もそうだった。これから年金を受け取る方は、そのあたりをよく研究して、カットされない働き方を工夫されるとよいと思う。

 基礎年金はカットされないけれども、それだけ受け取ってもなあ、と思って請求せずにそのままにしていた。今回、病院を退職して、厚生年金の受給が始まるので、それに合わせて基礎年金の方も受給開始してもらうための繰下げ請求を行った。こちらは繰下げた分、受給額がアップする。繰下げ請求時から12年以上生存していれば繰下げた方が得だと言われている。予約の午後4時に街角の年金相談センターへ行ってみると誰も「客」はおらず、閑散としていた。待ち時間もなく、「研修生」の名札を付けた女性が窓口で対応された。神経質らしく今まで送付されてきた通知や証書類を全部持って行ったが全く必要なく、マイナンバーカードを出しただけで、申込書にマイナンバー・住所・氏名・日付などを記入して、ものの10分足らずで手続きが完了した。全く拍子抜けだ。これで私も年金生活者の仲間入りである。

 

2025年5月15日 (木)

神経質礼賛 2345.神経症マーチ

 アレルギーマーチという言葉を聞かれたことがあるだろうか。マーチと言っても音楽の行進曲ではない。小児科・皮膚科・耳鼻科・呼吸器内科で言われる言葉で、乳児湿疹→食物アレルギー・アトピー性皮膚炎→小児喘息→アレルギー性鼻炎→成人喘息というようにアレルギー疾患が年齢とともに形を変えて次々と現れることを言う。

 考えてみれば、神経症も年代とともに形を変えて現れやすいものがある。時には複数の神経症が重複することもある。対人恐怖は小児期・思春期あたりに発症しやすい。学校などの集団生活の中で失敗して笑われたりしたことをきっかけになりやすい。私自身もそうだった。それでも、学生生活や社会人生活をしているうちに医療機関を受診せずに何とかなっていく人も少なくない。強迫症状も比較的若い時分から出やすい。失敗を恐れて確認を繰り返したり、一時的な安心を求めて強迫行為を繰り返したりしているうちに深みにハマり込んでしまうのだ。パニック症(不安神経症)は社会人として活動する20代~40代位の発症が多いように思う。内向的・消極的な神経質者ばかりでなく、むしろ一見、外向的・社交的な人にも現れてくる。たまたま満員の通勤電車で気分が悪くなったことなどをきっかけに注意が自分の身体に向き、動悸や呼吸困難感が出現し、またなったらどうしようと予期不安するうちに症状が固着する。そして老年期になると身体症状を過度に気にする心気症的な疾病恐怖症状が出やすくなってくるように思われる。形は変わっても、根は同じである。不安・死の恐怖がベースにある。薬で症状を抑えようとしがちだが、それではモグラ叩きに過ぎない。高齢者では薬の代謝が遅く、副作用が出やすい。そして身体的な疾患のために普段から多くの薬を服用していることも少なくない。だから特に高齢者の神経症では精神科薬を投与するのはできるだけ避けたい。身体の病気ではなく、そのために直接に命を落とす心配はないのだから「症状」は相手にせずにそのまま生活していく森田療法的アプローチが優れているように思う。

 

2025年5月11日 (日)

神経質礼賛 2344.そういえば症状

 勤務先が変更になったため、精神保健指定医証に記載された勤務先の変更手続が必要である。保健所まで徒歩15分。担当窓口に手続書類を提出して、指定医証の勤務先名を訂正してもらう。それをスキャンして記録に残しているようである。ものの3分で完了。郵送よりも手っ取り早い。さて、その精神科クリニックの仕事は、今まで休診日だった曜日に担当で入ったため、最初は1日5人位しか患者さんが来ず、閑古鳥が鳴いていた。しかし、新患の方が次々入り、空いていて待ち時間が少なそうだと他の曜日から移って来る人もいて、1カ月を過ぎて20人、30人と増えてきた。おそらく50~60人に達しそうな勢いである。

 今まで他の先生が診ておられた年配の男性。長いこと同じ睡眠薬だけが処方されている。まだ仕事は続けておられ、5~6時間は眠れている。「そういえば、元々人前で緊張して困るんですが何とかならないものでしょうか」と言われる。医師が代わったので、久しぶりに言ってみたらしい。カルテを前の方へどんどんめくっていると対人恐怖症状の記載が確かにあった。当初は抗不安薬や動悸を抑えるβブロッカーが対症的に処方されていたが、もう長いこと睡眠薬だけになっていた。「そうですか。それでは私と同じですねえ。緊張しても何とか生活が回っているのであれば、それでいいのではないでしょうか」と答えると、「まあ、そうですねえ」と。本人は気になるけれども他の人からすれば何でもないように見えるのが神経症の対人恐怖である。誰しも人前では緊張するものであり、自然なことだ。気になりながらも避けずに行動していけばそれで良いのだ。そういえば、と「症状」を掘り返す必要はなく、そのまま埋もれたままにしておけば良い。森田正馬先生は、次のように言っておられる。

 病氣を治さうとする事を忘れた時に、病氣がなくなって居るのである。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.264)

 心機一転とは、平生・内向性の心が、次第に変化して、或機会に一転して外向的となる事である。其手段としては、第一に自分の病状を言はない事、書かない事で、第二には仕事に乗りきる事の二つである。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.329)

2025年5月 8日 (木)

神経質礼賛 2343.退職後の手続き

 サラリーマンが定年退職すると必要な事務手続がある。急ぐのは健康保険である。国保に切り替えると在職していた前年所得の影響により高い保険料を払わなくてはならない。そこで、退職後2年間はそれまでの健康保険を任意継続した方が得な場合が多い。国保へ切り替える場合は退職後2週間以内にしなくてはならないので、急いで協会けんぽの事務所へ行って任意継続の手続きを済ませた。

 私の場合、年金の手続もある。働いていて収入があるということでゼロ円になっている厚生年金の手続きは前の勤務先でやってもらえるらしい。一方、老齢基礎年金は退職するまでは不要だと思って、手続きせずそのままにしていたので、繰下受給の請求手続きをしなくてはならない。老齢年金請求者専用フリーダイヤルに電話してみる。連休の合間の日で、混んでいてすぐには繋がらないだろうと思っていたら、意外にも1回で繋がった。状況を説明して、地元の街角年金相談センターの相談予約を取ってもらえた。コールセンターのオペレータが私の住所を2回聞いてきた。強迫の人なのかな、と思う。こちらも強迫なので念のため相談予約日時を最後にもう一度確認した。ホッとして受話器を置いて1分ほどして電話が掛かってきた。先刻、対応してくれたオペレータからだった。「すみません、先ほどお伝えした相談日時を教えて下さい」と。確認の応酬である。強迫同士の会話はこんな風になるのだろう。

 

2025年5月 4日 (日)

神経質礼賛 2342.寝酒は逆効果

 不眠を訴える外来患者さんたちの中には寝酒が習慣となっている人がいる。毎日25度焼酎を欠かさず2合飲んでいるという男性。仕事の緊張感から解放されてよく眠れるからと言うが、日本酒換算で1日4合近いこの量は危険である。せめて週1日休肝日を作り、量も少しずつ減らしていきましょう、と毎回話している。女性で夕方からビールをちびちび飲み続け、毎日ロング缶3~4本飲んでしまう人がいる。明るくなって家族との話が弾むしよく眠れていいから、とこの人も理由付け飲酒している。純アルコール量で男性は1日40g以上、女性は20g以上で生活習慣病のリスクが高くなることが近年よく言われている。純アルコール40gは日本酒で言えば1合半、ビールだとロング缶1.5本位、女性の20gだとその半分になるから、すぐにオーバーしてしまう。その分、飲まない日を増やす必要がありそうだ。そして、寝酒の問題点はかなり前に書いている(477話)ので再掲しておこう。

 寝酒という言葉があるように、アルコールを飲むとよく眠れるので睡眠薬を飲むよりいい、と思っている方も少なくないだろう。ところが、アルコールは睡眠に悪さをするのである。アルコールを飲んで眠くなるのは、意識レベルに関与する脳幹部の網様賦活系を抑制するためである。一見、寝つきはよくなったように見えて、睡眠の質は悪くなっている。一部の睡眠薬でも似たような問題があるが、レム睡眠が抑制されて、「眠ったような気がしない」「疲れが取れない」という感じになりやすい。それにアルコール濃度が低下してくると中途覚醒してしまい、そこから眠りにくくなる。ウトウト眠っても、それまで抑制されていたレム睡眠が反動で出てきて、「悪夢を見る」「変な夢ばかり見て疲れる」ということになってしまう。また、人間の体温は日中上昇し夜間低下するリズムがあり、夜は眠りやすくなっているのだが、アルコールのカロリーは体温上昇に使われるので、睡眠リズムがおかしくなる一因となりうる。それに、休肝日なしに飲酒していたら、体の負担も出るので、特に朝は元気が出ない、ということになるはずである。

 睡眠の問題だけではない。飲酒している時は抑制が取れて元気になったような気がしてしまうのだが、その後に反動の落ち込みが出るし、翌日の体調を悪くするから、過度の飲酒はうつ状態の一因にもなるとも言える。適量に留めて連日飲まないのが一番である。

 

2025年5月 1日 (木)

神経質礼賛 2341.不眠の訴え

 病院勤務から2ヵ所のクリニック勤務に変わって1か月近く経過し、やっと新しい生活に慣れてきた。起床時刻は今まで5時前だったのが6時となり、少しゆとりができた。入院できる病院と異なり、クリニックでは患者さんの層も比較的軽症の方が多く、神経症圏の方を診ることが増えた。初診時の訴えとしては、不眠・イライラが多いのは同じである。そして、4月で年度替わりということもあってか、新しい部署でパワハラに遭って仕事を休んでいる、という訴えもある。

 スッキリ眠れない、何度も目が覚めてしまう、寝ても疲れが取れないことを気にしている人はよほど多いとみえて、TVショッピングやCMでは眠りをよくするサプリや快眠グッズをよく見かける。これらの商品のターゲットは中高年者である。加齢に従い、睡眠時間はだんだん短くなり、60歳位では6時間を切って来る。眠りも浅くなり、尿意を催してトイレに起きる回数もだんだん増える。その分、日中も食後にウトウトしやすくなるのが普通である。果たしてこれを「病気」として「薬物治療」する必要があるのだろうか。呼吸器系疾患・耳鼻科系疾患などの身体疾患が原因の不眠ならばまずその治療が優先される。精神病症状に伴う不眠であれば、その治療薬に加えて睡眠薬を使う必要性もあろうが、神経症性不眠の場合はこれまでも何度も書いてきたように、「眠れないと明日に支障がある」「眠れないと病気になってしまう」「早く呆けるのではないか」といったことを恐れる「不眠恐怖」と言った方がよい。特に日中の活動が少なくゴロゴロしてしまう人、長く昼寝をする人では、夜眠れないのは当たり前である。だから、森田正馬先生のように、その人の生活状況を聞いて、神経症性のものであれば「眠りは与えられただけ取る」・・・眠ろうとする努力をやめるという不問の姿勢が一番の「治療薬」になってくるのである。私もまずは生活状況を確認して一般的な睡眠衛生アドバイスを行い、睡眠薬投与は二の次にしている。

 

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