フォト
無料ブログはココログ

« 神経質礼賛 2348.一休寺 | トップページ | 神経質礼賛 2350.水無月(2) »

2025年5月26日 (月)

神経質礼賛 2349.大徳寺瑞峯院から妙覚寺へ

 大慈院の泉仙で食事をした後、すぐ隣の瑞峯院へ。大友宗麟ゆかりの寺で通年拝観できる。方丈前の独座庭は、荒波が打ち寄せるが、それにもまれながらも独座する岩々が示されている。しばし縁側に腰かけて眺める。方丈裏の閑眠庭は重森三玲の作庭でキリシタン灯篭を中心に十字架状に石組みを配して万民の霊を弔っているという。

 午前中は小降りで時折雨間があったのがだんだん本降りになってきた。午後のメインは妙覚寺の新緑特別拝観である。大徳寺から徒歩20分ほど。この寺の存在は先日TV番組で初めて知った。織田信長が京に滞在の際の定宿だった寺である。本能寺の変の際は嫡男の織田信忠が宿泊していた。信忠は手勢を率いて一旦本能寺へ信長救援に向かうも信長自害の報を受け、二条新御所の皇太子を避難させた上で立て籠もったが多勢に無勢。自害して遺骸は信長と同様、発見されなかったという。TV番組ではこの寺に伝わる斎藤道三が信長に宛てて書いた遺言状が紹介されていた。自国を娘(濃姫)の夫である信長に委ねるという内容である。実物は見られないが、パネル展示されていた。寺の建物は何度も火災で焼け落ち、聚楽第裏門を移築したという門だけが往時をしのばせる。今回の特別展示では信長が千利休の茶会で振舞った料理の模型が展示されていた。一から三の膳まであり、さらにデザート類や引物もあった。白鳥の肉も使われていたから鷹狩で調達したものだろう。この寺の魅力は楓と苔が美しい法姿庭園である。特に人工的に手を加えることはせず、「あるがままですばらしい」自然庭園である。雨の中、緑が鮮やかに映え、ピンク色の楓花が色を添えていた。おそらく秋の紅葉は鮮やかだろうけれど、青もみじの競演もいいものである。

 

« 神経質礼賛 2348.一休寺 | トップページ | 神経質礼賛 2350.水無月(2) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神経質礼賛 2348.一休寺 | トップページ | 神経質礼賛 2350.水無月(2) »

最近のトラックバック

2025年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30