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2025年6月22日 (日)

神経質礼賛 2358.薬ではないクスリ

 前の先生から引き継いだクリニックでの患者さん。「うつ」で長いこと休職している。毎週受診され、「全然眠れない」「昼間眠くて何もできない」と言い、日中はごろごろして過ごしておられる様子。毎回身体の不調をあれこれ訴えていかれる。抗うつ薬が2剤、それを増強する抗精神病薬も加えられ、睡眠薬は長時間型が2剤処方されている。睡眠薬の持越し効果により日中に眠気が残ってしまうのではないか。生活リズムの問題も大きいように思われた。まずは睡眠薬の調整を行っていった。減量しても特に症状悪化はない。しかし、本人の訴えは変わらない。そこで、拙著『ソフト森田療法』をお貸しし、「字が大きいし軽く読める本ですから、試しに50ページまで読んでみて下さいね」と伝えた。50ページまでの間には、①不安・②不眠・③気分の落ち込み・④意欲低下・⑤体調不良への対処法があり、この人へのアドバイスになると考えた。そして、通院間隔を1週ごとでなく2週に1回とした。

 その次の診察の際に「本をありがとうございました」と返却された。特に感想はなかった。しかし、それから2週後、4週後に変化がみられた。引きこもり同然だったのが、買い物に出かけるようになった。家事も以前よりできるようになった。元々好きだった韓流ドラマも続けて見ることができるようになり、「録画ストックがなくなっちゃいました」と笑う。診察時の表情も明るい。第4章に書いた「意欲のわかない時」に小さなことでいいから行動してみると、それが「呼び水効果」となって、行動の好循環が起きる、その結果「症状」も薄らいでいく、それを御自分で示したのだった。うつには抗うつ薬、それでも効果がなければ抗精神病薬による増強療法、不眠には新規睡眠薬がエビデンスのある治療法となっている昨今であるが、本当は生活上の適切なアドバイスをするのが良いクスリなのではないかと思う。

 

2025年6月19日 (木)

神経質礼賛 2357.「グレる」の意外な語源

 何かの時にふと気になることがあって、後で調べようと思っているうち忘れてそのままになることが多い。その一つが「グレる」の語源である。ニュースでスウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんが話題になると、思い出すけれども、そのままになってしまう。先日、グレタさんが乗っていた船がイスラエルに拿捕されたというニュースがあって、また思い出した。

 グレる、とは不良になる、という意味だ。語源は意外にも優雅なところにあった。平安時代末期、貴族の遊び「貝覆い」、神経衰弱のような遊びである。ハマグリの殻の内側に美しい絵が描かれている場合もあった。ハマグリの殻を選んで合わせてみて合えば獲得でき、たくさん獲得した者が勝ちというわけである。のちに、ピッタリ合わないことを「ハマ」と「グリ」を逆にして「グリハマ」と呼んだのが「グレハマ」と転じ、それが動詞化して「グレる」になったということだ。ズレる、正しい道から外れるという意味で使われるようになって今日に至っている。ちなみに繁華街を徘徊する不良仲間のことを愚連隊と呼ぶが、これも「グレる」の派生語で漢字は当て字だと言われている。

 前述のグレタさんは自閉症スペクトラム障害、強迫性障害と診断されたことを公表している。最初はその診断に縛られていたが、病気とは見ず、「スーパーパワー」と呼ぶようになったそうである。自分の特性を認識してそれを最大限活用しているようにも思える。

 神経質も同様である。自分は神経質・小心者で情けない、と思っている方もいらっしゃるかもしれないけれども、森田正馬先生が神経質を礼賛されたように本来は優れた特性なのであり、これまた「スーパーパワー」に他ならない。宝の持ち腐れにしていてはもったいない。「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.386)の通りであって、「病気」探し・「病気」作りにそのパワーを無駄遣いせず、周囲に気を配って行動して、神経質を大いに活用していただきたいと思う。

 

2025年6月15日 (日)

神経質礼賛 2356.ピアノサークルの練習会

 11月24日(月・振替休日)にAOIホールで行われる「第15回アマチュア・アンサンブルの日」に申し込んでいて、3年連続で出演できることになった。今年は早い時間の出演で正午頃になりそうだ。演奏予定曲目は、①シューマン作曲クライスラー編曲「3つのロマンス」作品94第2番、②ブラームス作曲「FAEソナタ」第3楽章スケルツォ、③フォスター作曲ハイフェッツ編曲「金髪のジェニー」でちょうど15分枠に収まる。昨日は友人が加入しているピアノサークルの練習会の日だった。その場を借りて練習させていただいた。会場は清水マリナートホールの練習室。あいにくの雨の日。ピアノ伴奏してくれる友人は午前中が勤務で開始時間スレスレに到着。ちょっとお疲れ気味だ。参加者は12人。小さいグランドピアノが配置された部屋はほぼ一杯になる。

 このサークルでは座った席の順番で1曲ずつ弾いていくのが慣例となっている。トップバッターの男性はいつもその席に座り、「川の流れのように」など歌謡曲の編曲ものを弾いている。若い女性がものすごく早いテンポで「子犬のワルツ」を弾く。年配の女性は「今、失業中です。バッハが弾けるおばあちゃんになりたい」と言いつつも難曲・ラフマニノフ編曲の「愛のかなしみ」を弾きこなす。全部で3巡したので、私は①②③一通り弾くことができた。友人も一人でショパンの「幻想即興曲」やリストの曲を弾く。

 練習が終わった後に初めて参加したという男性に声をかけられた。その人はピアノを弾いているが、ヴァイオリンも弾いているという。①のクラリネット版の演奏を聴いたことがあるとも話していた。いろいろな出会いがあって、こういう他流試合もいいものである。

 

2025年6月12日 (木)

神経質礼賛 2355.ごはんパック

 令和の米騒動は現在なお進行形である。1年前に比べて銘柄米の小売価格はほぼ2倍に上昇。農水大臣の「コメは買ったことがない」「(支持者が)いくらでも持ってくる」といった神経質が欠如した発言で大臣更迭の騒ぎとなった。政府は慌てて備蓄米を安価で放出して来るべき選挙対策に「やってる感」を演出しようとしているが、備蓄米の量は知れているし、古古米あるいは古古古米であるから価格が半値とはいっても1年前には銘柄米がその値段で買えたことを思えば話にならない。本当のコメ不足と言うよりは流通の問題にパニック買いが重なっていると考えられる。新米が出始める8月までの間、卸売業者が販売を抑制して高値が続いたのに加えて転売で一儲けしようとする業者がいたような話もある。すでに安価な外国米を直接買い付ける業者も出ているとのことで、こんなことをしていてはコメ生産農家がダメになり日本のコメ自給率はますます低下してしまうだろう。

 最近、ドラッグストアの冷凍食品売場で焼おにぎりやチャーハンが品薄になっていることがある。食品価格高騰の中で消費者ができる自衛策ということで品薄になりやすいのだろう。一頃、店頭から姿が消えたパック入り御飯もしっかり値上げされて再登場している。冷凍のごはんセットという商品を見つけたので試しに買ってみた。御飯とおかずがセットになったトップバリュの冷凍食品で価格は税込みで350円程度。数種類の中から「ハンバーグとデミグラスソースハンバーグ」を選んでみた。袋から出してフィルムが付いたまま500W電子レンジで6分余り加熱。フィルムを開けると黒いトレイに乗ったコンビニ弁当といった感である。野菜の付け合わせもあって彩もよい。塩分は2.9gでそれほど味が濃くはない。ファミレスのハンバーグ程度の味である。431kcalだから、成人男性にとっては腹6分目といったところ。もう少し何か欲しくなる。500円以上のガッツリ系商品もあるらしい。便利な商品ではあるが、トレイの大きさはそれなりにあるので、ゴミの分別収集が厳しい地域にお住まいの方は、その点も考える必要がありそうだ。

 

2025年6月 8日 (日)

神経質礼賛 2354.桜桃(さくらんぼ)

 さくらんぼ販売会の新聞折込チラシを見て、行ってみる。午前10時半。すでにデパート正面玄関の仮設の売場から歩道には長い行列ができていた。並ぼうかどうしようか躊躇したが、並んで様子を見ることにした。「紅秀峰(1パック1600円)は売り切れましたが佐藤錦(1200円)はまだあります」とアナウンスが流れる。並んで待って売切れてしまったら悲劇である。待つこと約30分。やっと番が回ってきた。あまり赤くなり過ぎていない中くらいのパックを一つ選んで買った。南アルプス市の市長さんまで販売に来ていて、同市の観光案内のパンフレットが入った袋が配られていた。早速、昼食の後に食べてみる。やはり、スーパーで売っている物とは異なり、甘くて味が濃厚で3粒食べただけでも満足感がある。並んだ甲斐があった。

 さくらんぼを愛した作家・太宰治(133話)の桜桃忌が毎年6月19日に行われ、さくらんぼが墓前に供えられるのがニュースでよく取り上げられる。太宰治の短編「桜桃」を青空文庫で読んでみる。実際の太宰の家庭生活が描かれている。妻は三人の子育てに追われて疲弊している。特に長男は四歳になっても言葉が出ず、這うだけで立てなくて手がかかる。主人公(太宰)はしばしば発作的にこの子を抱いて川に飛び込んで死んでしまいたいと思っている。子育てをめぐる妻との冷たい夫婦喧嘩から逃げるように酒を飲みに家を出る。そこで出された桜桃を「極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。」で小説は終わっている。子供たちや妻を気遣いながらも子育てを妻一人に押し付けて原稿書きを言い訳にして逃げる・それでいて原稿も思うように書けない後ろめたさとふがいなさがにじみ出ている。太宰は服薬自殺未遂や心中未遂を繰り返しては周囲の人たちに支えられて再起してきたが、この短編を書いた後、愛人の山崎冨榮とともに玉川上水に入りついに心中を遂げたのである。

2025年6月 5日 (木)

神経質礼賛 2353.ペンライト

 医療従事者はポケットにペンライトを入れていることが多い。クリニックの外来で必要になることはまずないが、病院の病棟では急変時に意識をチェックするのに瞳孔を見るのに必要だからだ。それ以外に、皮膚の病変を確認する際によく使う。さらに当直中の夜間に普通の懐中電灯としても重宝する。最近のペンライトは従来の電球から白色LEDを使用したものになってきている。電球が切れる心配がないし、消費電力が少ないから電池も長持ちする。以前書いたように(1839話)白色LEDを駆動するのには3.6V程度の電圧が必要で電池が3本必要になるが、昇圧回路を内蔵して電池1本で済むものも増えている。問題は、白色の程度である。白色LEDの本質は青色LEDなので、少し青み掛かった色になってしまうものがある。逆に、黄色がかった光を発するペンライトもある。そうなると、色が違って見えてしまい皮膚病変を確認するのには不都合である。実際に白色が出るものを選んで使いたい。

   ペンライトが点灯しなくなるのは電池ボックスのマイナス極に接するバネの錆びが原因であることが多いような気がする。電池が長持ちするということで交換せずにいると、アルカリ電池の漏液でベトベトになっていた、などということもある。長く使用しない時には電池を抜いておくといいが、なかなかそこまでする人はいないだろう。私が長く愛用していた単4電池1本で駆動できるペンライトもついにダメになってしまった。そこで新しいものを買った。C国製ではあるが、光はきれいな白色である。ただし、光束120ルーメンでは明る過ぎて瞳孔を見るには不適だ。患者さんの眼を痛めてしまう恐れがある。仕事用には別のペンライトを探すとして、これは単なる懐中電灯用になりそうだ。

 

2025年6月 3日 (火)

神経質礼賛 2352.五つの物品(長谷川式スケール)

 病院の常勤医時代とは異なり、クリニックには自分のデスクがなく資料や物を置いておけるスペースがないので、必要な物はすべてカバンに入れて持ち歩くことになる。患者さんに病気の説明を行うパンフレットや自宅のプリンターで印刷した患者さんに渡す資料も持ち歩く。たまに高齢の方で認知症の疑いがある方がいて、長谷川式スケール(831話)を行いたいと思うことがある(前回記事に書いた当時は保険点数が取れなかったが、現在は保険点数が取れるようになっている)。クリニックには用紙がないので、家で10枚ほど印刷した。質問の中には五つの物品を見せてから隠し、何があったか答えてもらうというものがある。今まで勤務した病院には製薬会社が作った五つの物品セットがあって重宝していた。クリニックでは見当たらないので、自分で用意して小さなポーチに入れ、これも通勤カバンの常備品となった。五つの物品はなるべくお互いに関連のない物である必要がある。私が用意したものは腕時計、小さなハサミ、鍵、単4乾電池、五円玉である。ハサミは実際に使えるし、電池はペンライトの予備電池になるので一石二鳥である。

 長谷川式スケールは認知症研究の大家だった長谷川和夫先生(1929-2021)が開発され、日本では広く活用されている。30点満点で20点以下は認知症の疑い、実臨床では10点を切って来ると家庭での対応が困難となり、施設入所も考える必要性が出てくる。介護の仕事をされている方々や御家族にもわかりやすいものだ。長谷川先生は晩年に御自身が認知症になられたことを公表して話題になった。あまり知られていないが長谷川先生は森田療法の入門書も書かれている。慈恵医大御出身で聖マリアンナ医大教授から学長になられているから森田療法についての造詣も深かった。30年以上前に出版されたごま書房『森田療法入門』は漫画も入ってとてもわかりやすい本で、私の本棚にはだいぶ茶色く変色した状態で収まっている。

 

2025年6月 1日 (日)

神経質礼賛 2351.若者に増えている電話恐怖症

 あまり電話恐怖という人にお目にかかったことがない。前勤務先の病院の外来患者さんに一人だけいた。夫が自営業をしていて、お客さんから電話がかかってきたり、時には電話をかけなければならなかったりすると激しく緊張して動悸がして困るということで受診された。対人恐怖(社交不安症)の一種と考えてよい。私自身、電話恐怖(1669話)の経験があるからとてもよく理解できる。誰でも仕事の電話を受けたりかけたりする時には緊張するものであるから、仕方なしにやっていけばよい、と伝え、本人の希望で薬物療法(エスシタロプラム10㎎を1日1錠投与)を行った。日常生活には支障をきたさなくなり、通院間隔は1カ月から2カ月、3カ月に一度となっていった。

 ところが、最近のネット記事(東洋経済ONLINE)によると若者の間で電話恐怖症が増えているという。固定電話がある職場に働く20歳以上の男女562人を対象とした2023年の調査では職場での電話対応に苦手意識のある人は全世代で57.8%、特に20代は75%だったという。着信音が鳴った瞬間、心拍数が一気に上がり、電話が終わると全身の力が抜けてため息が出る、営業なのに電話でアポが取れない、などという話もあるようだ。メールやSNSに慣れた若者では固定電話への苦手意識が出やすいのだろう。電話だと、待ったなしでの対応が求められるし、相手の状況が見えない中で会話しなくてはならないから、失言したらどうしよう、などと心配しやすい。今では電話代行サービスがあったり、AIによる電話の会話分析(話すテンポ、ラリー回数、沈黙回数などを分析する)サービスがあったりするらしい。

 結局は「慣れ」なのだと思う。緊張しながらも仕方なしに電話を取る。そして、嫌々ながら電話を掛ける。オドオド・ハラハラしながらも話が伝わればそれでよし。緊張したかどうかを問題にしないことだ。それを繰り返していくうちに苦手意識は自然と薄らいでいくものである。

 

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