神経質礼賛 2354.桜桃(さくらんぼ)
さくらんぼ販売会の新聞折込チラシを見て、行ってみる。午前10時半。すでにデパート正面玄関の仮設の売場から歩道には長い行列ができていた。並ぼうかどうしようか躊躇したが、並んで様子を見ることにした。「紅秀峰(1パック1600円)は売り切れましたが佐藤錦(1200円)はまだあります」とアナウンスが流れる。並んで待って売切れてしまったら悲劇である。待つこと約30分。やっと番が回ってきた。あまり赤くなり過ぎていない中くらいのパックを一つ選んで買った。南アルプス市の市長さんまで販売に来ていて、同市の観光案内のパンフレットが入った袋が配られていた。早速、昼食の後に食べてみる。やはり、スーパーで売っている物とは異なり、甘くて味が濃厚で3粒食べただけでも満足感がある。並んだ甲斐があった。
さくらんぼを愛した作家・太宰治(133話)の桜桃忌が毎年6月19日に行われ、さくらんぼが墓前に供えられるのがニュースでよく取り上げられる。太宰治の短編「桜桃」を青空文庫で読んでみる。実際の太宰の家庭生活が描かれている。妻は三人の子育てに追われて疲弊している。特に長男は四歳になっても言葉が出ず、這うだけで立てなくて手がかかる。主人公(太宰)はしばしば発作的にこの子を抱いて川に飛び込んで死んでしまいたいと思っている。子育てをめぐる妻との冷たい夫婦喧嘩から逃げるように酒を飲みに家を出る。そこで出された桜桃を「極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。」で小説は終わっている。子供たちや妻を気遣いながらも子育てを妻一人に押し付けて原稿書きを言い訳にして逃げる・それでいて原稿も思うように書けない後ろめたさとふがいなさがにじみ出ている。太宰は服薬自殺未遂や心中未遂を繰り返しては周囲の人たちに支えられて再起してきたが、この短編を書いた後、愛人の山崎冨榮とともに玉川上水に入りついに心中を遂げたのである。
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