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2025年7月31日 (木)

神経質礼賛 2370.50年後輩たちにエール

 夏の高校野球は各都道府県の代表校が決まり、これから甲子園球場で熱戦が繰り広げられる。私の出身校は地区大会決勝まで残っていたが、決勝戦で敗れてしばらくぶりの甲子園出場はならなかった。

 決勝戦の日、私は産婦人科クリニックで午前の外来を終えてスマホを見て試合結果を知った。県内でも最近は私立の高校が強く、公立の伝統校は旗色が悪い。私立だとスポーツの結果が大きな宣伝となって生徒集め・ひいては偏差値向上にも役立つため、施設にお金をかけ、大阪など遠方の都道府県から有力選手をかき集める。その点、公立だと設備費や運営費が十分ではなく、卒業生たちの寄付で何とかやりくりしているのが実情だ。野球部だから野球だけやっていればいいわけではなく、成績が悪ければ追試が待っているし下手をすれば落第である。少ない練習時間に集中して練習し、学業にも励む。

 帰りの電車に乗っていると、決勝戦が行われた草薙球場近くの運動場前駅で大勢の高校生たちが乗り込んだ。2両編成のガラ空き電車はたちまち満員になり、車内の気温が一気に上昇する。乗り切れない子たちは次の電車を待つ。すでに何本かの電車を見送りやっと乗れたのだろう。大勢乗り込んだのに静かで整然としている。私立高校ならば貸切バスを仕立てて教員が引率して出席扱いの応援になるが、強制ではなく各自の判断での応援参加、誰かが指導していなくてもきちんと行動できている。私は心の中で「フレー!フレー!〇高!」と50年後輩たちにエールを送る。野球の試合は負けてしまったけれども、これからは君たちの番だ。それぞれの部活や勉強で頑張ってくれればそれでいい。

 

2025年7月27日 (日)

神経質礼賛 2369.トイレの行列

 先週、土曜日の午後、東京駅の八重洲口で、ちょっとトイレに寄って行こうと思い、案内図を見て地下へ行くが、長い行列ができている。もう少し先の案内図を見て、やはり地下の他のトイレへ行ってみたがやはり行列である。仕方がないので待って利用する。それでも男子トイレは回転が早いからまだいいとしても、女子トイレは長蛇の列である。末尾の方の人は30分待っても入れないだろうと思う。外国人も多い。具合が悪くなる人が出るのではないかと心配になる。

 以前にも書いたことがあるが、神経質な私が見る悪夢の定番の一つに、トイレを探して走り回るが、長い行列ができているとか故障していて使えず、彷徨う「トイレ放浪記」の夢があり、目が覚めてホッとする。実生活でも恥ずかしい話、歳とともにトイレが近くなっているので、行ける時に行っておこうということになる。

 女性用トイレが少なすぎる、待ち時間が長い、といった声を受けて、東海道新幹線では今年の3月から、従来の男女共用トイレ2カ所のうち1カ所は女性専用に改装している。公共施設や商業施設でも新しい所では女性用トイレを増やすとか、空き状況表示システムを導入したりする取り組みが行われている。せっかくの楽しい旅行や買物もトイレのために悪夢になっては困る。行列ができないトイレになるよう、声を上げていこう。

 

2025年7月24日 (木)

神経質礼賛 2368.静嘉堂文庫美術館と三菱一号館美術館

 皇居外苑を歩いた後は静嘉堂文庫美術館へ。現在は国の重要文化財になっている明治生命館の1階に入っている。5階分のコリント式列柱が目を引く建物である。さて、どこが入口かよくわからない。ドアの内側にいた警備員さんに声を掛けて入口への行き方を教えてもらった。涼しい館内に入ってホッとする。現在の企画展は「絵画入門 よくわかる神仏と人物のフシギ」というテーマで日本画での絵画表現の特徴を解き明かしたもので面白かった。ただ、展示品の数は全部で52点と少ないのがちょっと残念だった。

 三菱一号館はすぐ隣のようなものである。赤レンガの美しい洋館で、かつてイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計した建物を復元したものである。中庭には休息が取れるベンチがあり、一部には暑さ凌ぎのミストを噴射しているところもある。今回の美術館の企画展は「オランジェリー美術館オルセー美術館コレクションよりルノワール/セザンヌ―モダンを拓いた2人の巨匠」というものだ。人気の高い印象派・ポスト印象派の画家だから、入場待ちの行列ができていて20分待ち、と告げられた。風景画、生物画、人物画など類似テーマごとに2人の絵を比較展示していて興味深く、作品数も多いのでとても見ごたえがあった。写真撮影可となっている作品も多く、スマホでカシャカシャ撮影する人が多かった。さらには2人から影響を受けたピカソらの作品も展示されていた。

 夜の集まりの午後6時までにはまだ2時間ある。会場のKITTE5階の「菜な」という店の場所を下見した後、KITTEの外のベンチに腰掛けてペットボトルの飲み物を飲んで休息をとる。日が傾いてきて直射日光が凌げ、風も強いので、屋外でも割と楽である。元気があれば銀座のヤマハで楽譜探しをするところだが、ちょっと歩き疲れているので、その手前の山野楽器まで行って戻ってくることにした。山野楽器へ行ったのはコロナ以前のことだ。売場が変わっていて、スマホの販売店が入っている階があり、CD売場や楽譜売場は縮小されていた。時代の流れを感じる。

 弦楽合奏部の同じメンバーでの集まりは9年ぶりとのことだ。私よりも3歳年長の方が2人参加、5歳下の人が4人、それ以下の学年だった人が2人来ていた。料理と酒に舌鼓を打ち、久しぶりの再会に話が弾んだ。2年に1回位は集まろうと約して散会した。

 

2025年7月20日 (日)

神経質礼賛 2367.楠木正成像

 昨日は夕方から高校時代の弦楽合奏部OBの集まりが東京駅近くの飲食店であった。行きは高速バスにして昼過ぎに東京駅に着いたら、静嘉堂文庫美術館と三菱一号館美術館を回ろうとセット入場券を購入しておいた。時間は十分ある。美術館から近い皇居外苑の楠木正成像を見に行くことにした。皇居は小学校の修学旅行で来たきりだ。楠木正成は小学生の頃に太平記を読んですっかり夢中になった人物である。それ位だから見ているはずが、全く記憶に残っていない。二重橋をバックに記念写真を撮っただけだったのだろうか。

 一番暑い時間帯だから歩いている人は少ない。正成像の周りもC国人一家が大声を出しながら写真を撮っていたくらいだ。台座だけで高さ4m。その上に載っている像も4mあって、上から見下ろされている感じ。肉眼では顔の表情はわかりにくい。写真を撮って拡大してみると、キリリと引き締まった表情であることがわかる。馬の姿勢からも緊迫感がひしひしと伝わってくる。

 この像を造らせたのは当時の住友家当主。同家が経営していた別子銅山200年記念にそこで産出された銅で正成像を造らせ、寄贈しようと思い立った。委嘱先は東京美術学校(現・東京芸大)の高村光雲教授だった。光雲とその弟子たちが分担して造り、顔の部分は光雲作である。完成までには10年を要し、明治33年(1900年)、現在の地に設置された時にはすでに依頼主は亡くなっていた。第二次世界大戦後、この像は天皇への忠誠心を賛美し若者たちを戦場へと駆り立てるのに利用されていたかのように言われていたことがあったが、製作委嘱時は日清戦争の前で、日本が世界の列強諸国に後れを取り圧迫を受けていた時期のことであり、像にはそんな意図はない。場面は鎌倉幕府が崩壊して隠岐に流されていた後醍醐天皇を兵庫まで迎えに行った時の姿である。

 楠木正成は神経質人間だと私は思っている(362・363話、拙著p.227~234)。武術に秀でた豪傑ではない。強がろうとせず弱いままに、情報分析して創意工夫をしていた人のように思う。皇居外苑の正成像も緊張した時の神経質者の顔に見えてくる。

 

2025年7月17日 (木)

神経質礼賛 2366.金髪のジェニー

 今年の「アマチュア・アンサンブルの日」で演奏予定の最後の曲はフォスター作曲・ハイフェッツ編曲の「金髪のジェニー」だ。重音奏法が美しい編曲なのでいつかホールで弾いてみたいと思っていた。ただし、難点があって、曲の最初の音はG線(一番低い音の弦)で弾くように指定されている。この音はG線の開放弦より10度上の音で、あのG線だけで演奏する「G線上のアリア」の最高音よりも高い音である。さらに3度高い音までやはりG線のハイポジションで取らなければならない。今まで使っていた楽器ではこれがとても鳴りにくかった。幸い、最近入手した楽器はG線のハイポジションがきれいに鳴ってくれるのでクリアできそうだ。

 別れた恋人への郷愁を歌ったこの曲の原題はJeanie with the Light brown Hair(薄茶色の髪のジェニー)であり、フォスターの妻ジェーン・デニー・マクダウエルのことだと言われている。スティーブン・フォスター(1826-1864)はジェーンと結婚して娘をもうけ、「ケンタッキーの我が家」「主人は冷たい土の中に」「故郷の人々(スワニー河)」などの名作を次々と発表するが、経済的には恵まれず、生活は困窮を極め、ジェーンとも別居生活となる。下町の安宿で急死した時に所持していたのはわずかな小銭のみ。対面したジェーンはその場に泣き崩れたと伝わる。死の数日前に書き上げたとされる「夢見る人(夢路より)」は2か月後に発表された。

 まだ作曲家が生計を立てるに十分な報酬が得られなかった時代のことで、のちに「アメリカ音楽の父」とまで言われるようになったフォスターには気の毒過ぎる最期である。それでも、自分が作った歌がいつまでも世界中で愛され歌い継がれ、クラシックの作曲家からも高く評価されているのは救われる。短いけれども精一杯生き尽くした人生だったと言えるだろう。

 

2025年7月13日 (日)

神経質礼賛 2365.オールド・ヴァイオリン

 今までメインで使っているヴァイオリンは40年前、医大オーケストラにいた時に買ったものだ。ラベルなし製作年不明のかなり古いドイツ製のオールド・ヴァイオリンだ。いくつかの楽器を試奏して弾きやすいものを選んだら、7/8あるいはレディースサイズと呼ばれる小ぶりの楽器だった。手が小さい私には向いていたのだろう。普通サイズは胴の長さが355mmのところ、1cm短い345㎜である。柔らかく優しい音色でとても気に入っているが、音量がやや小さく、G線(一番低音の弦)のハイポジションが鳴りにくい。持主に似て、ちょっと引込思案の神経質な楽器と言えそうだ。一昨年と昨年、ヴァイオリンソナタをAOIホールで弾いた録音を聴くと、ピアノの音量に完全に負けてしまっている。いつも伴奏してくれる友人からは、「新しい楽器を買わない?」とよく言われていた。確かによく鳴る楽器は欲しいけれども、もう終活の年頃であり、楽器が弾けるのもあと5年から10年位がいいところだ。子供が一時期使ったヴァイオリン、エレキヴァイオリン、1859年製の小型オールド・ヴィオラも持っていて、楽器をこれ以上買うのもなあ、と思っていた。

 ところが、先週、高校の弦楽合奏部の後輩でプロのコントラバス奏者から「プロのヴァイオリニストが使っていたオールド・ヴァイオリンがあるから買いませんか」という連絡が入った。とりあえずお借りして試奏してみることにした。ラベルにはGEORG KLOTZ 1779とあり、250年近く前に作られたドイツ製のオールド・ヴァイオリンである。音の芯がしっかりしていて、よく響く。思い切って買うことにした。

 ヴァイオリンは良い楽器で手入れが良ければ300年以上でも生き続ける。今までいろいろな国のいろいろな人の手を渡り歩いてきたのだろうなあと想像する。

 

2025年7月10日 (木)

神経質礼賛 2364.汗

 産婦人科クリニック診察室のカレンダーの7月7日月曜日には休診日を示す赤丸が付けられている。先々月、スタッフに「何の休みですか」と聞いたら「クリニックの創立記念日です」ということだった。「七夕が創立記念日なんですね」間違えないように自分の手帳と自宅のカレンダーにも赤丸を付けておいた。ところが、当日朝、9時過ぎにクリニックの事務員さんからケータイに電話がかかってきた。「どうされましたか?9時予約の患者さんが来てますよ」と(!)。休診はとりやめになって通常の診察日になったらしく、知らないのは私だけだったようだ。暑いのに冷汗ものだ。あわてて通勤用のバックを肩にかけて近くの電車の駅へ向かう。電車を降りてからクリニックへといつもより速足で歩く。日傘をさし、マスクは外しているけれども、いつもより2時間近く遅い時間ですでに日が高くなっていて暑さが厳しい。9時50分にクリニックに着いて着替えするが汗がどうにも止まらない。待たせてしまった患者さんには平謝り。その後は順調に診察が進み、御迷惑をおかけしたのはお一人だけで済んだ。診察の合間に家から持ってきたスポーツドリンクをバックから取り出して飲む。2時間で1本500mlを飲み切ってしまった。通常の発汗分と冷汗分である。汗は生きるしるし(1167話)ながら冷汗はかきたくない。

 私は神経質ゆえ、確認癖があるけれども、今回は確認が足りなかったと反省する。先週、もう一度、スタッフに、休診日かどうか確認しておけば防げたことである。

 

2025年7月 6日 (日)

神経質礼賛 2363.はひふへほ

 ネットのニュースを見ていたら、「幸せの はひふへほ」についての記事があった。産業カウンセラーでビジネスコーチの渡部卓さんが唱えておられる「半分でいい 人並みでいい 普通でいい 平凡でいい ほどほどでいい」というものだ。老子の「足るを知る」という教えをわかりやすくしたものと言えよう。高い理想と現実とのギャップに苦しんでいる人に適したアドバイスになる。私も生真面目なうつ病の方には「あまりがんばらずにちょっと力を抜いて60点を目指していきましょう」と話している。

 これが神経質となるとちょっと話が変わってくる。よりよく生きたいという生の欲望が人一倍強く、完全欲が強い。エネルギーは十分にあるがそれが空回りしている。そこで、森田療法では、その完全欲・向上発展欲を生かして、さらに高きを仰ぎ、それに向かって努力していくことを勧めている。森田正馬先生は次のように述べておられる。

 完全欲の強いほどますます偉い人になれる素質である。しかるにこの完全欲の少ないほど、下等の人物である。この完全欲をますます発揮させようというのが、このたびの治療法の最も大切なる眼目である。完全欲を否定し、抑圧し、排斥し、ごまかす必要は少しもない。学者にも金持にも、発明家にも、どこまでもあく事を知らない欲望がすなわち完全欲の表われである。我々の内に誰か偉くなって都合の悪い人がありましょうか。偉くなりたいためには、勉強するのが苦しい。その苦しさがいやさに、その偉くなりたい事にケチをつけるのである。あの人が自分に金をくれない、それ故にあの奴は悪人である、とケチをつけるようなものである。偉くありたい事と差引きして考える必要はない。これを別々の事実として観察して少しもさしつかえはないのである。この心の事実を否定し、目前の安逸を空想するのが、強迫観念の出発点である。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.32)

 前述の「はひふへほ」がよいのか、それとも森田先生の指導がよいのかは、患者さんの性格や状態による。そこの見極めが重要であり、まさに「人を見て法を説け」である。

 

2025年7月 3日 (木)

神経質礼賛 2362.森田神経質健在

 長年の精神科病院勤務からクリニック勤務に切り替わって3か月。ようやく新しい生活パターンにも慣れてきた。仕事の上では受診される患者さんの層の違いを感じている。精神科クリニックでは精神科病院の患者さんに比べたら軽症の方が多いけれども中には治療歴の長い統合失調症や双極性障害の方もおられる。産婦人科クリニックでは軽うつや神経症圏の方が圧倒的に多くなる。精神科クリニックの敷居は低くなったとは言え、まだ気軽に相談に来院するにはちょっと抵抗を感じる方も少なくないだろう。その点、産婦人科クリニックだと、月経不順や更年期の種々の症状で来院される方も多く、精神科もあるならばついでに診てもらおうか、というニーズもある。

 そんな中、不眠やイライラを主訴としているけれども、よく話を伺うと、自分自身に対しても他人に対しても厳しく、完全欲が強い・生の欲望が強い森田神経質と読める人が少なからずおられる。学校や職場や家庭では一生懸命に真面目にやっているが十分に成果が出ていないように感じてあまり自信が持てず、ズルをしたりハッタリをきかせたりして成功するような人間に対しては強い憤りを覚えてイライラする。そうした方々には今のあなたは立派にやっていますよ、と伝えている。森田神経質があまりいなくなったとはよく聞くけれども、まだまだ健在である。

森田先生は次のように言っておられる。

 「自分は頭が悪い、読書が少しもできぬ」と苦しむ人が、学校成績は一番になったりする事もあるように、およそ神経質は、何事につけても、いわゆる劣等感で、自分の悪い方面ばかりを考えるものであるから、事実においては、神経質は常に善良優秀なる人であるべきである。これがすなわち我々が、神経質に生まれたという事を感謝すべき事柄であります。これに反して、ヒステリーとか・意志薄弱性素質とかの人は、常に自分のよい面ばかりを考えて、独り得意になっているから、丁度神経質と反対になります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.433)〔最後の一文を読んで、A国のT大統領を頭に思い浮かべるのは私だけだろうか〕

 

2025年7月 1日 (火)

神経質礼賛 2361.カレーライス物価指数

 昨今の食料品価格上昇には驚く。スーパーへ行くたび、あれも上がった、これも上がったとあきれるばかりである。弁当類や外食代も高騰している。熱中症対策にペットボトル飲料を買おうとすると1年前よりずいぶん値上がりしている。私の感覚では「狂乱物価」レベルだ。その割にはニュースでそれほど話題にならない。食品値上げには慣れっこになっている、給料が上がっているからいいだろう、ということなのだろうか。本当に皆さん困っていないのだろうか。衣類は古いものを我慢して着ていれば節約できるけれども食品は待ったなし、そうはいかない。特に低所得の人々の生活を直撃していると思われる。

 食品の物価を示すわかりやすい指数がある。カレーライス物価指数(カレー指数)は2020年に1杯のカレーを作るのに必要な原材料や水道光熱費などの合計を100としてそれがどう変化したか比較するものである。2023年まではあまり上昇していなかったのが、2024年の平均は一食365円・カレー指数は133.6と跳ね上がった。2025年3月のデータではコメの高騰を反映して一食421円・カレー指数は150以上に達している。

 カレーが嫌いという人はめったにいない。学校給食や病院食でもカレーは人気メニューである。国民食と言ってもいいだろう。森田正馬先生もカレーは大好物で、胃腸を患い回復したばかりにカレーを2杯3杯もお代わりするので妻が食べさせないようにすると、勤務先の根岸病院に出かけてカレーとこれまた好物のゆで卵を何個も召し上がっていたという逸話が残っている。

 私が東京で学生生活をしていた頃、大学生協食堂で一番安いのは120円のカレーだった。週1~2回は必ず食べていた。カレーは栄養が摂れて元気も出る、貧乏学生にとってはありがたい料理だった。下宿でもゆで卵を作りながら同じ鍋で安売りの時に買っておいたレトルトカレーを温めてうどんやスパゲティにかけて食べたこともあった。弟が遊びに来る時には材料を買いそろえてカレーを多めに作り、残りは冷蔵庫に入れて翌日温め直してまた食べたものだ。

   近頃では原材料高・人件費高騰などの影響でカレー店の閉店・倒産が増えているという話もある。食品高騰に対して(と言うより選挙対策に)一人2万円の給付金をばらまくことを主張する政治家がいるが、そんな姑息な手段では効果がない。カレー指数を意識した根本的な物価高対策が必要だ。

 

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