神経質礼賛 2363.はひふへほ
ネットのニュースを見ていたら、「幸せの はひふへほ」についての記事があった。産業カウンセラーでビジネスコーチの渡部卓さんが唱えておられる「半分でいい 人並みでいい 普通でいい 平凡でいい ほどほどでいい」というものだ。老子の「足るを知る」という教えをわかりやすくしたものと言えよう。高い理想と現実とのギャップに苦しんでいる人に適したアドバイスになる。私も生真面目なうつ病の方には「あまりがんばらずにちょっと力を抜いて60点を目指していきましょう」と話している。
これが神経質となるとちょっと話が変わってくる。よりよく生きたいという生の欲望が人一倍強く、完全欲が強い。エネルギーは十分にあるがそれが空回りしている。そこで、森田療法では、その完全欲・向上発展欲を生かして、さらに高きを仰ぎ、それに向かって努力していくことを勧めている。森田正馬先生は次のように述べておられる。
完全欲の強いほどますます偉い人になれる素質である。しかるにこの完全欲の少ないほど、下等の人物である。この完全欲をますます発揮させようというのが、このたびの治療法の最も大切なる眼目である。完全欲を否定し、抑圧し、排斥し、ごまかす必要は少しもない。学者にも金持にも、発明家にも、どこまでもあく事を知らない欲望がすなわち完全欲の表われである。我々の内に誰か偉くなって都合の悪い人がありましょうか。偉くなりたいためには、勉強するのが苦しい。その苦しさがいやさに、その偉くなりたい事にケチをつけるのである。あの人が自分に金をくれない、それ故にあの奴は悪人である、とケチをつけるようなものである。偉くありたい事と差引きして考える必要はない。これを別々の事実として観察して少しもさしつかえはないのである。この心の事実を否定し、目前の安逸を空想するのが、強迫観念の出発点である。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.32)
前述の「はひふへほ」がよいのか、それとも森田先生の指導がよいのかは、患者さんの性格や状態による。そこの見極めが重要であり、まさに「人を見て法を説け」である。
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